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『神官と笑顔-夢と願望-』
─歌はお好きですか?
私は好きだったような気もしますし、嫌いだった気もします。
ただ、サントハイムの国家はずっと耳に残ります。
きっと、賛美歌以外に聞いた初めての歌だったからかも知れませんね。
しかし……、今聞こえてくる子供の歌声。
もしかしたら、好きなのかもしれませんね。
私もこんな幼少時代を過ごしていたらと夢を見させてくれるようで─
「クリフト、だいじょうぶ?」
私はカチカチに絞られて水分の欠片もなくなった布を額の上に乗せられながら呻いた。
「大丈夫です……、今回はただの風邪でしょうから……」
私をベッドサイドから見下ろす姫君にそう答えると、早く部屋から出て欲しくて具合の悪い演技をして眉をしかめた。
「ごめんね……。昨日はクリフトを川に落としちゃって……。魔物を倒した先にクリフトがいて巻き込まれるなんて全く想像してなかったの……」
昨日の戦闘中のこと。まさか背後からアークバッファローが吹き飛ばされてくるとは思わず、気が付いたら冷たい川の中を見ていた。しかも、息絶えた魔物が伸し掛かってきて水中からの脱出に手間取った。どう考えても風邪を引く要因は他にない。
肩を落とす姫様を見て、少し気が引けて窓の外へと視線を移した。
「私こそご迷惑をお掛けしております。本日は休みますので、一日の賜暇のお許しを頂けますでしょうか」
言葉こそ丁寧にしているが、つまりは“主に臥せっている姿を見せるのは、お付きとしても個人としても大層恥ずかしいので今日は勘弁してください”の意味だ。
「そうね。今日はゆっくり休んでね」
姫様が部屋を出るのと入れ替わりに、今度はブライ様が入ってきた。
額の上の半分乾いた布を水に着けて絞りなおそうとしたところ、ブライ様が無言で代わる。
「今回は災難じゃったと思ってゆっくり休むんじゃぞ」
「……はい。申し訳ございません」
姫様とは対照的に、水分が多すぎる布から水滴が額を伝わって耳に落ちた。不快であったが、私は看病して頂けるだけで有難いのだと自分に言い聞かせ、耐えた。
「ところで何か欲しいものや不便はないか?」
「はい。今は望みはございませんので、休ませていただきますが……」
もし、可能であればと私は窓の外をチラリと見て示すと、ブライ様に訊ねた。
「外から聞こえるこの歌……」
「歌?」
ブライ様は言われてようやく気が付いたようで窓の側まで歩み寄ると外の様子を見た。
「あぁ、すぐそこに見える学校の子供達が歌っておるんじゃな。騒がしければ部屋を変えてもらうか?」
私はその言葉を即座に否定した。
「いいえ。もっとよく聞きたいので、窓を開けて頂けないでしょうか?」
「何を言っとる。外の空気で冷やして余計に悪くなるぞ」
私は引かなかった。
「大丈夫です。少ししたら窓を閉めるくらいのことはできますので」
「仕方ないのぅ」
ブライ様は呆れたように窓を開けると、必ず締めるようにと私に念押しした。
ブライ様が出て行かれると今度こそ、私一人になった。
私は手始めにビショビショの布を水桶に戻すと、窓枠から乗り出すように外を眺めた。窓枠のすぐ下にあった植込みの茂みから春の土の匂いがする。
学校の外の花壇の回りを駆け回る子供が見えた。
聞こえてくる音楽は学校の中からのようだった。私は耳を澄まして明るいメロディーに乗る詩をききとった。
満開の花畑の中で子供達が輪になって踊り、
花を摘んでプレゼントの花輪を作る。
風に舞い散る花びらが空を彩り、
風に乗って子供たちは家に帰る。
子供も大人も皆笑顔になり、
美味しいご飯を食べて眠りにつく。
細かい言い回しは違うかもしれないが、そんな内容に聞こえた。
素晴らしく美しい言葉。
素晴らしく美しい情景。
羨ましい程に理想的な、甘美な夢だ。
私は窓枠に腕を乗せ、呟くように後追いで歌ってみた。
「お兄ちゃん、輪唱上手だね」
一番近くの花壇で遊んでいた子供の人が興味深そうに私に駆け寄ってきた。
「ありがとう。私は風邪を引いているから、近くに寄るとうつしてしまうかもしれないよ」
子供の扱いに慣れていない私はそう言って牽制したが効果はなかった。
「歌詞ちょっと違うから教えてあげるよ!」
私は諦めると子供達と歌って過ごした。
子供たちが歌って、私が後を追いかける。
歌の内容通りに満開の花が世界を彩って、
穏やかな時間が子供達も、大人も笑顔にして。
なんて……甘美な夢だろう。
薄暗い部屋のドアが遠慮がちに開かれ、隙間明かりが部屋に差し込んだ。
「あれ、起きてたのね?ご飯持ってきたわよ」
姫様の声に私は体を起こし、額に触れた。少しは視界がハッキリしている。熱は下がったようだ。
「申し訳ございません。こんな時間まで寝ていたようで……お手数をお掛け致しました」
「ううん。今日のクリフトは休むのが仕事だからいいの。食べられそう?」
ランプに火を灯そうとする姫様を私は身振りで制した。
「申し訳ございません。起きたばかりなもので……、少ししたら頂きますので置いて頂いてもよろしいでしょうか」
姫様はサイドチェストに食事の乗ったトレイを置いた。
「じゃぁ、後でまた取りに来るね」
静かにドアは閉められ、私は頭を抱え、顔を覆った。
「なんて美しい夢だろうか」
静寂の闇の中、私は決して得られることのなかった美しい夢を思った。
不思議な夢を見させるというイムルの宿が、熱に浮かされながら聞こえてきた子供の歌に乗せて、私に気を遣ったのだろうか。
私はしばらく開けられておらず、少し埃の乗った錆び付いた窓枠を見た。
「余計な……お世話です……」
手に入らなかった願望を見せられても、ただ空しいだけだ──。
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