『敵対』
この二人が相性に恵まれていないだろうことは、誰が見てもほんの数秒で気付くほどだった。
しかし残念ながら、この二人は城の地下で膨大な書物を抱える資料室の管理のために配属されてしまっている。
クリフトが一人前の城仕えとして成長した暁には彼自身の務めが任されるのだろう。
だから、それまでの間なのだから。と、何度言い聞かせたことか。
もちろん、先輩に当たるリゲルタは尊敬に値する優秀な人材であることは理解している。
学ぶところも大きい。
何が問題かと尋ねられれば確答はできない。何しろ、何をするにしても気が合わないのだ。
クリフトが右といえば、彼は左という。上といえば下と答える。
それほどに単純に考え方も物の捕らえ方も違う。はっきりと言えば、まるで別の生き物に対峙しているかのようだった。
そして、彼は記憶力がまるで機械のように正確で確実であることが特徴の一つとして挙げられる。
一度見聞きしたことは忘れることはなく、時間が経っても褪せることはない。
それ故に彼はそれが当然のように人にも同じことを求める。
生まれついての才能なのだから、それが与えられていない者の気持ちがわからないのも仕方ないとも言えるが、
31にもなって全く改善しようと思うところがないのは彼の性分によるところが大きいのだろう。
と、真面目なクリフトにとって対立することが多いのは仕方のないことだった。
そして、この日は何かお互いに気が立っていたのだろう。
「今日こそはもう許さん。どれだけおれの邪魔をすれば気がすむんだ」
リゲルタは眼鏡の奥で血色の瞳をぎらりと光らせた。
「…先日のリゲルタ先輩の指示に従っていただけのことです。いつもリゲルタ先輩のお言葉には
主語やら補語やらが足りていないんです。先輩の指示のミスではありませんか」
本当につまらない言い争いだった。
写本作成の依頼に出す傷ついた古書を別の物と間違えただけのことだ。
「“長期出張に出ている間に、あそこにあるの出しておいて”とメモが置かれていたので実行したのです。
あのメモだけでどうしたら良かったとおっしゃるのですか」
写本作成だと気が付いただけでも褒めてもらいたい程だ。元来、クリフトは人との対立を出来るだけ避けようとする。
そんなクリフトの目の座った反論にリゲルタは目じりを吊り上げて、腕で空を裂いた。
「分からないことがあったら確認しろ!」
「確認しようにも、言われていた行き先にいらっしゃらなかったではありませんか」
売り言葉に買い言葉。どちらが正しいわけでもなく、どちらにも非はあるのだがこうなってしまうと
お互いに一歩も引けない。
しばらく黙って睨みあっていたが、リゲルタがおもむろに眼鏡を外して
ポケットから別の眼鏡を取り出してかけた。彼が外出するときに使う、魔物戦ってもズレないと自慢していた一品だ。
彼は勢いよく上を指差した。
「今日こそはその減らず口を黙らせてやる。決闘だ!」
「望むところです!」
城の城門を出てほんの少し離れた平原でリゲルタは理力の杖を構えた。
クリフトも借りてきた鉄のやりを試しにぶんと振ってみた。
リゲルタは日のあたる地上に出てきて改めて見てみれば、その背はクリフトよりも二回りは大きい。
あまり神聖魔法は得意ではない、と常日頃から言っていたが、それでも経験は上だろう。
城門を守る二人の兵士は遭遇した珍事を唖然と眺めた。
「神官様の決闘ってのも珍しいよなぁ」
「他の神官様をお呼びして止めた方がいいんじゃないか?」
「そ、そうだよな」
一人の兵士が慌てて城内へと走り戻った。
そんな会話があったことも露知らず、クリフトはリゲルタに切っ先を向けた。
リゲルタも杖に魔法力を集中させた。杖の先の宝石による魔法媒体に光が灯り、
杖全体が魔法力を帯びて槍のように輝きを増した。
…リーチの長さでは互角か。
リゲルタは眼鏡を片指で持ち上げて直すと、クリフトを挑発した。
「かかってこい」
クリフトはその言葉に弾かれるように大地を蹴ると、
一息に距離をつめて槍を真横に凪いだ。
読んでいたリゲルタも杖を縦に構え、受け止める。金属同士のぶつかる甲高い音が響き、
手に伝わるその衝撃に眉を微かに歪めた。
クリフトの力の向きが戻らないうちに、構えに戻るその前に。
「っ!」
思い切り腹部を蹴り上げられたクリフトはそれでも何とか倒れぬように持ちこたえると、
背後へと跳び、再び距離を取った。
「結構、訓練したみたいだな」
正直、リゲルタの想像以上だった。反応速度の速さに感心する。
どちらから動くわけでもない硬直状態。
そこへやってきたのは。
「おい!神官様をお連れしたぞ!」
はらはらと見守る兵士の下へ、神官を見つけて戻ってきたもう一人の兵士が慌てて駆けてきた。
小柄な三つ編みの神官ルオン。
「誰が決闘しているかと思えば資料室管理の二人じゃないか。おもしろい。怪我をしたらおれが回復してやるよ」
彼は懐から薬草を取り出すとまるで応援旗を振るようにやる気なくぴろぴろと振った。
その様子にがっくりと肩を落とす二人の兵士。明らかに止めてくれる人材ではない。むしろ引っかきまわすタイプだ。
「きっと勝つのはリゲルタ先輩だろうけど、後輩もなかなか見所があるからな。どっちが勝つと思う?」
「え、いえ…」
ルオンが『賭けないか』といわんばかりに絡んでくる。兵士はぶんぶんと頭を左右に振り、返事を拒否した。
それでも別にお構いなしにルオンは水を得た魚のように楽しそうに二人に野次なり応援なりを飛ばている。
…うるさい。
「…別の神官様を呼んでくる…」
「よろしく」
ルオンの登場を意に介せず、リゲルタはスカラの呪文を唱えた。
彼の周りを光の防護壁が覆う。
「ほらみろ。お前の攻撃力じゃ、もう貫けないぞ」
リゲルタは構えをといて余裕の笑みを浮かべる。
クリフトはそれでも尚、構えを解こうとはしなかった。
「本当に意固地だな」
鼻で笑うとリゲルタも再び構えた。
「…いい根性だ。少し見直したぞ。…お望みならぶっとばしてやる」
「お好きにぞうぞ」
「やめないか!」
虎の咆哮のような叫びにクリフトは肩を震わせた。
「神官が暴力に訴えるとはどういうことだ!?」
「げ、ティゲルト…」
一番、困る人物の登場を悟ったリゲルタはばつが悪そうに眼鏡を直し、杖から魔法力を引いた。
見れば安堵して胸を撫で下ろしている兵士二人の前でティゲルトが額に青筋を浮かべて睨みつけている。
…ルオンは巻き込まれてはたまらないと思ったのか早々に退散したようだった。
「ルオン。後でぶっとばす」
リゲルタが不穏な独り言を呟いているのを聞き流して、ティゲルトの二人と怒鳴りつけた。
「で?何が原因でこうなったか説明しろ!」
クリフトはそもそもの発端を話そうとして、ふと我に返った。
冷静になってみれば、なんとくだらない。確認しなかった自分も悪い。
「クリフトのやつが-」
「…私がリゲルタ先輩の指示を誤った方向に認識してしまったからです」
リゲルタが言い終える前にクリフトはそう言い切ると、ティゲルトに向かって頭を下げた。
気まずそうなリゲルタが頭を押さえて、眼鏡を掛けなおした。
「いえ、おれがクリフトに無責任に投げっぱなしだったのが発端です」
ティゲルトは二人の様子に軽くため息をついた。庇いあうくらいならば最初から決闘などしなければいいのに、と。
「二人とも今日は反省室に籠もって反省しろ」
人騒がせな二人に踵を返して、ティゲルトは頭痛を起したまま立ち去った。
狭くて薄暗い反省室。
「リゲルタ先輩、狭いです」
「仕方ないだろ」
本来ならば大の男一人が入って座って丁度の小部屋だ。当然狭いに決まっている。
それはそうだ。一人用なのだから。反省室は二部屋あるはずだが、何を思ったのか神官長に一室に押し込められたのだ。
反省どころではない。…恐らく、よく話し合えということなのだろう。
「リゲルタ先輩が大きすぎるんですよ」
「…どうも、ありがとよ」
ぎっしりと肩が当たる。空気が生暖かい気がする。リゲルタは困ったように無駄だと分かっていながらも
体を離そうと少し体をよじらせた。
「…でした。」
「ん?」
冷静になってみればみるほど、どれだけ愚かだったか胸に突き刺さる。
「すみませんでした」
「……」
リゲルタは何を言えばいいのかわからなくなってしまったのか、眼鏡を外してレンズを拭きだした。
それでもしきりに眼は泳いでいる。
「その…なんだ」
眼鏡を拭く手を膝の上に落として、力なく笑うとリゲルタはクリフトに言った。
「おれも大人気なくて…悪かった」
初めて眼鏡をかけていないリゲルタと向き合ったかもしれない。
クリフトはその血色の瞳を驚いたように見つめた。
「…今晩、一緒に飲みに行くか」
リゲルタは再び眼鏡をかけると、クリフトの肩をがしがしと叩いて、手を廻した。
「おれの趣味なんだ。悪かったから奢ってやる」
彼なりの最高の謝罪なのだろう。クリフトは子供のような、その分かりやすい反応に思わず笑みを零して頷いた。
「少しだけなら付き合いますよ」
二人が同室に押し込められた本当の理由は、隣の反省室で結局ティゲルトに捉まったルオンが閉じ込められ部屋が
足りなくなったためだとは知らずに、素直に問題解決のために存分に話し合ったのだと言う。
これを機に二人の冷戦は幕を閉じたのだった。
ウィンドウを閉じて戻ってください。
実はリゲルタは眼鏡マニアで用途に合わせて10本くらい持っていると思っている。
私の中でクリフトレベル1。
リゲルタ10。フレイ15。ティゲルト25。セイルート30。サーフィス20。ルオン10。ラスガルド10。くらいのイメージでいます。