『友愛を歌う日-栄光-』



「おい、何か気に入らないことでもあったのか?」
「いいえ。そんなことはありませんよ」
 クリフトはあくまで穏やかな口調で答えると、目の前に山積みにされた贈り物の箱を眺めた。 今日この日、城中の者から届いた贈り物だ。荷車に乗せられて届いたそれらは色とりどりのリボンや包装紙に包まれて、 薄暗い地下書庫に鮮やかに咲き誇っている。
「神官には毎年、これ程に贈り物が届くのですか?」
 問いかけられた大柄な神官は即座に答えた。
「まぁ、毎年これくらいだな。多分、他の連中もこれくらいもらってるはずだ」
「…こんなに贈られても…」
 クリフトは困惑したように肩を竦めた。その言葉を耳にして、神官リゲルタは噴出した。
「確かにな。こんなに食べられるのはサーフィスだけだろうな」
「…成程。ではサーフィスに進呈するのですか?」
 神聖魔法を研究する彼の口癖は、『甘いものは日々の潤い』だった。
「まったくお前は。 いいか。バレンタインデーっていうのはな。“過去に愛を唱えた偉大な聖人に感謝し、彼にちなんで大切な者に贈り物をする祝日”だ。 おれ達は、聖人への尊敬と感謝を代わりに受け取っているんだ」
「…そうですね」
 リゲルタは自分の名が書かれた小さな箱を一つ確認すると、手馴れた様子で手紙やカードだけを分け始めた。
「だから、おれは気持ちだけ頂いて、あとは全部、孤児院に寄付することにしている」
 クリフトは大いに納得した。
「それは良いことですね。私も倣うことにします」
「じゃぁ、持っていく分を分けろ。…他の連中はどうするかな」
「声をかけたら、きっと賛同すると思いますよ」
 クリフトは素直に、リゲルタの横に並んで作業を始めた。

「…あぁ、そうだ」
 リゲルタは突然、思い出したかのように付け足した。
「姫様から今年も頂けるかもしれん。ありがたいものだ。ちゃんと自分で食べろよ」
「…?…もちろんです」
 よくわからない指示だが、クリフトは当然のように頷いた。
「姫様が今朝、焼き菓子の教本を借りにいらっしゃったからな」
「…姫様が焼いてくださる、と?」
「まぁ、そういうことだろうな」
「去年はパイだったな。…まぁ、…姫様の気持ちは大変ありがたいんだがな。薬草学担当が大忙しだった」
「…はぁ」
 クリフトは意味がわからないままに、曖昧に頷いた。
「……」

 去年の記憶を辿ってみる。
(私は姫様から贈り物などいただいていない…)
 クリフトは動悸がするのを必死で押さえて平常を装った。

 荷台の山積みの菓子類をリゲルタが引っ張って出て行った後、 残された手持ち無沙汰なクリフトは一人、綴られた手紙を眺めた。
 手紙には自分への憧れの気持ちを綴ったものも多かったが、確かにリゲルタの言ったように、 確かに愛する者へ気持ちが通じるように願う手紙や、共に生きる伴侶との生涯の幸せを誓うものも多い。 深い願い事がかけられている手紙に一つ一つ目を通すと、それらを城の礼拝堂に置いておこうと袋にまとめた。
 そして、先ほどのリゲルタの言葉を思い返して、少しだけ気を落とした。 いや、分けているときには既に考えないように努めていただけのことだ。
(……姫様からの贈り物か)
 クリフトは僅かに自嘲した。
(…いや、私などに気をかけてもらえると期待している方がどうかしている)
 自意識過剰な己に、最大限の憐憫の情をかけて、手紙の詰まった袋を抱えると礼拝堂へと向かった。



 礼拝堂へと向かう大廊下を歩きながら、ふと、彼は気が付いた。
 焦げ臭い。周囲に臭いの元をさがしてみれば、数人の使用人が慌てた様子で厨房方向へと走っていく。
(まさか、火事では…)
 確か、姫様は“焼き菓子の教本”を借りていったという言葉。嫌な予感がして、クリフトは走り出した。

 黒煙が立ち込める厨房前では混乱しきった女中やコックが混乱しきった様子で右往左往している。
「何事ですか!?」
「あぁ、神官様。…か、カマドが爆発して…」
「爆発!?なぜ、そんなことが…!いや、まだ人が中にいるのですか?!」
 クリフトの言葉にコックが青い顔で指差した。
「姫様がこの奥に!」
「何ですって!?」
 クリフトはあまりにも不甲斐ないコックに怒鳴りつけるように叫んだ。
「申し訳ございません。我々も必死で…!!」
 コックも必死に逃げたのだろう。黒いススに汚れている。
 中の様子は煙によって窺い知ることはできないが、赤い炎を包み隠しているのか、熱気で肌が火照った。 彼は戦慄して煙を睨みつけると、躊躇なく中に飛び込んだ。

 すぐに目に入ったカメの飲用水を被る。
「姫様!姫様!」
 大きく声をかけながら奥へ奥へと進む。 熱い煙に目が懸命に痛みを訴えるが、ここで引き下がるわけにはいかない。 何度か咳き込むと、彼は煙に肺がやられないように、口元に袖口を当てた。

 そして、石釜の前でうずくまって屈む小さな姫。
 クリフトは急いで駆け寄ると大声で何度も名を呼んで叫んだ。ようやく薄くその目が開かれた。
「ご無事ですか!?」
「う…。クリフト…来てくれたの…?」
 意識が朦朧としているのか、アリーナは虚ろにクリフトを見上げると薄く微笑んだ。
 決して良くない状態であることを悟って舌打すると、アリーナを抱き上げ、クリフトは急いで出口へと向かった。
「あ、クリフト…まって…」
 アリーナはクリフトの肩の上から力なくどこぞを指差した。
「え?」
 何事かわからず振り向くが、あたりは煙に包まれて何も見えない。振り向き様に吹かれた熱風に顔を歪めた。
「申し訳ありませんが、すぐに外に出ます!」
 踵を返すと、クリフトは黒煙の中を進んでいく。力の抜けたアリーナの体は重く伸し掛かり、 熱気は肌をじりじりと焼いた。…眩暈で自分こそ倒れてしまいそうだ。
 廊下へのドアが見えたとたん、消火のための水を浴びせかけられて、体が冷えた。 やっとの思いで大廊下へと這い出すと、アリーナに持てる限りの力で癒しの呪文を唱えた。
「姫様も神官様も無事だ!」
 意識を朦朧とさせるアリーナのために、呪文を唱える彼にとっては、 周囲の者達も感激して叫んでいる様子も遠いものだった。





 クリフトは何故、こんな目に自分が遭わなければならないのか、不思議で仕方なかった。
 気が付いてみれば、全身の火傷で床に臥せっているのだから。
「クリフト、大丈夫?」
「…大丈夫ですよ…」
 包帯に巻かれた若い神官にアリーナは遠慮がちに声をかけたが、 包帯の隙間から見える彼の鎖骨が目に入って慌てて顔を背けた。
「私に全部の魔法力使ってホイミしてくれて…」
「…当然のことですよ」
 アリーナはススのついたままのエプロンすら着替えないままに、困ったように唸った。 その様子をぼんやりと眺めながら、クリフトは彼女から視線を逸らした。 あまりにも目まぐるしく変化して状況に混乱した頭が冷えてきて、ようやく納得がいった。 また、姫様のお転婆に巻き込まれてしまったか、と。
「でも、どうして火事に?」
「…お城の皆にクッキーを焼こうと思ってたら、急に爆発して」
「……………なるほど…」
 クリフトは苦笑した。
「…これからはコックの忠告をよくおききになってください…」
「え?どうしてわかったの?」
「…いえ…」
 答える力も出ず、クリフトは枕に突っ伏した。
「でも全部ダメになっちゃって…」
「皆、お気持ちだけで十分幸せですよ」
「そうならいいんだけど…、みんなに迷惑かけちゃって…。 クリフトにもこんな怪我させちゃって、本当にごめんね」
 アリーナは今にも泣き出しそうに胸の前で手を組んだ。
「…あら?」
「?」
 アリーナは不思議そうにエプロンのポケットを探った。
 中から一枚だけ出てきた焦げたクッキー。
「一枚だけ夢中で掴んでたのね…!」
 アリーナは驚いた様子でその一枚だけのクッキーを見つめた。
「焦げたのが一枚だけあっても仕方ないのにね…」
「……」
 赤い顔で自嘲的に笑うアリーナをクリフトはじっと見守った。
「去年も今年も。いっつも不器用な私だけど、これがうまくできたら、勇気が出せると思ったのに」
「……」
「去年も今年も、ダメね。こんなんじゃ。一生、伝えられないわね」
「………」
「皆にも迷惑かけちゃったし、私、本当にお転婆でドジで」
 最後に付け加えられた落胆の言葉に、クリフトは眉をしかめて苦笑した。
「その一枚。…私にくださいますか?」
「え?」
 唖然とするアリーナを氷色の視線で捕らえて、彼は続けた。
「私が頂きたいのです」
「で、でも焦げちゃっているし、包んでもいないし…。どうせなら、もっといいものを食べてもらいたいし…」
 慌てふためく彼女の様子に動じず、彼は続けた。
「姫様のお気持ちがその方に伝わるように、私がお祈りしますから」
「…………お祈り?」
「えぇ。心の底から祈らせていただきます」
 クリフトは催促するために手を伸ばそうと体勢を変えた。思わず体が痛み、呻きながらも懸命に微笑んだ。
「…じゃぁ、お願いするわ」
 アリーナは伸ばされた手に焦げたクッキーを握らせると、早々に部屋を出て行こうとドアに手をかけた。
「ばかクリフト。……でも、助けてくれてありがとう」
「……当然のことです」
 クリフトの返した言葉が彼女の耳に伝わるよりも早く、ドアは閉められた。



「うぉ!?どうしたんだ、お前は!大丈夫か!?一体何の冗談だ!」
 リゲルタはクリフトの姿を目にするなり、大げさに驚いて叫んだ。
 クリフトは包帯にまかれた腕を持ち上げると違う、と左右に手を振ってみせる。
「…名誉の負傷です」
「なんだそりゃ。戦争でも行ってきたのか?」
「その表現はかなり近いものがあります」
「…ホイミしてやろうか?」
「お願いできますか…」
「情けないやつだな。先輩の術を見てしっかり学べよ」
 リゲルタはベホイミをかけてやろうと、歩み寄った。
「…ん?なんだそれ?」
 クリフトはリゲルタの視線の先の、手中の物に気が付いた。
「すみません、リゲルタ先輩。このクッキーはそこのテーブルの上に置いておいていただけますか?」
「それは別にいいんだが、…それ真っ黒だぞ」
「構わないんです。…美味い不味い以前に、私には食べられません」
 理解ができない、と言いたそうな様子のリゲルタにクリフトは不敵に笑って見せた。

「そのクッキーは神に捧げますから」
 籠められた想いも願いも、全て神に捧げて、ただ忠実に主君に仕えてみせよう。
 いつでも、一番に重用されること、それだけがただ一つの願いなのだから。
 受け取るつもりのなかった、たった一枚の焼き菓子は  誰よりも敬愛する気高く美しい姫君のために、この手に握った。決して、愛ではない、 自分でも分からない“何か”と同時に。それが整理できない、自分が嫌になった。
 
 リゲルタはようやく理解したように呆れた顔で頷いた。
「お前はばかだな」
「…私は賢いですよ。…姫様よりもずっと」

 言い返しながら、笑ったクリフトは、誰よりもずっと、寂しそうだった。
 






リゲルタ←姫様の手作りお菓子に去年、苦戦したので、正直今回の火事で助かったと思っている。
サーフィス=神聖魔法研究の第一人者。甘いものが好き過ぎるナイス中年。
薬草学担当=ルオン←薬草学に一番詳しい子。胃薬だって彼に任せれば一番さ。