『神官と笑顔-捨てた幸せ-』

 
 港町ハバリアの潮の香りの中、うみねこが鳴いた。
 神官の法衣の裾を海風になびかせ、聖職者は教会へと歩みを進めていた。
 新しい町に着いた時、可能な限り教会に向かい祈っている。
 日々の懺悔を、そして、旅の無事を祈るために。
 祈ること、それが聖職にある自分の役目。
 例えそれが、縋るような願いであったとしても。
「クリフト!」
 聖職者の名を背後から呼んだ声に反応して、クリフトは振り向いた。
「マーニャさん」
 振り向いた先にいた踊り子の女性は軽く手を振った。
「何か御用でしょうか?」
「特に用ってわけじゃないけど、いるのが見えたから。どこか行くの?」
 クリフトとマーニャは同じ旅を共にするようになってから日が浅い。彼女の方から気を遣われたことを察すると、クリフトは頷いた。
「教会に向かおうと思っています」
「神官だものね。教会の場所ならわかるわ」
 マーニャはこの町は初めてではなかった。
「助かります。場所をお教えいただけますか?」
 マーニャはうーん、と唸ると歩き出した。
「案内した方が楽よ。ついてきて」

 かたや神官、そして踊り子。対照的な二人。道すがら話す内容は噛み合わないようで、話し上手なマーニャのおかげで途切れることはなかった。
「クリフトは趣味とかあるの?」
「趣味ですか……。読書ですね」
「どんな本を読むの?小説とか?」
「いいえ、聖書や……医学書、神聖魔法の研究書が多いですね」
「趣味を聞いてるのに、どうして仕事の関係の本が出て来るのよ。あんた全然笑わなくてつまんないと思ってたけど、どこまでも真面目ね」
 マーニャが少し呆れたような顔を見せたが、それも一瞬のことだった。
「でも、自分のためになることに夢中になるのは分かるわ」
 クリフトは少し意外そうに顔を見た。
「私も踊り子として、舞台の上で輝き続けたいっていうちょっとした願望はあるのよ。だから、自分磨きしたりするし。少しは分かるわね」
 マーニャは少し先を指で示した。
「あの角に見えるのが教会よ」
 海辺の強い光を反射する白い建物の立ち並ぶ通りの先に、良く見慣れた教会の紋が見えた。クリフトはマーニャに向き直った。ここから先は案内は必要ない。
「ありがとうございました。では、また宿で」
「あ、ちょっと待って」
 マーニャに呼び止められてクリフトは不思議そうに顔を上げた。
「せっかくだし、中までいいかしら?仕事に真面目なあんたの祈るところってちょっと興味あるわ」
 彼女からすれば単純な仲間への興味なのだろう。クリフトは了承した。


 ステンドグラスの輝きの中、聖職者は祈った。
 厳かな空気に吞まれているマーニャに、祈りを終えたクリフトは説明を加えた。
「あちらに見えるステンドグラスは聖書の教えを表しています」
 マーニャは静謐に輝く信仰の世界をじっと見て、ただ一言漏らした。
「きれいね」
「えぇ」
 クリフトは薔薇窓や他の窓のステンドグラスも順番に示した。
「あちらは天上の世界を、そちらは天の御使いが描かれています」
「そうなのね。あんまりじっと眺めたことがないから、よく分かってなかったわ」
「描かれた教えをご覧になってキレイと感じるのも立派な信仰の一つです。私で良ければ、気になることはお伝えしましょう」
 マーニャはクリフトの顔とステンドグラスに描かれた人物や天の御使いの顔を交互に見た。
「どうして、あんたもこの人達もそんなに静かなの?特にクリフトの楽しそうな顔、あんまり見たことないわね。神に仕えるってそういうものなの?」
 クリフトはその質問に対して言葉に詰まったようだった。
 マーニャは一瞬の間に、気まずそうな様子で腰に手を当てた。
「あ、なんていうか皆といてあまり楽しくないのかなって思って気になったのよ。ごめん、無神経だったわね」
 クリフトは首を横に振った。
「私達は日々罪を償い、そして善行を重ね、神に祈って生きています。その深い信仰と労働の精神が絵に表れているのでしょう」
 マーニャはその答えに納得できないように眉をひそめた。
「そんなに償う罪ってあるものなの?あんたの罪って何?」
「私の……罪は……」
 クリフトは言い淀んだ様子だった。
「……、私は人々を導くべき聖職者でありながら、力が及ばず無力に震えています。また、平等であるべきところ、特定の人物の幸福を常に優先して考えてしまいます。ですので、未熟者の私には何かを楽しむことはあまり許されないと思っているのです。魔族や魔物という神の敵と戦うことで、私は許されようとしているのかもしれません」
 マーニャはあからさまに渋い顔をした。
「私はあんたを仕事に真面目で立派だと思ってたけど、ちょっと過ぎる気がするわ。もう少し楽に生きられたりしないの?今まで会った聖職者もあんたほど固くなかったわよ。それは教えじゃなくて自分で自分を苛めてるってところない?」
「えぇ」
 マーニャが更に言葉を足そうとするのを、クリフトが言葉で遮った。
「仰る通りです。私はきっと自分の行いに深刻になりすぎなのでしょう」
 クリフトは初めてマーニャに微笑んで見せた。
「さぁ、私はもう少しここで祈ってから戻ります。集中しますので、先に宿にお戻りください。案内ありがとうございました」
 その笑みと瞳が氷のような青に見えて、マーニャはまたため息をついた。
「ごゆっくりどうぞ」


 一人、クリフトは祈りを捧げた。
「少し感情的になりました。お赦しください。また、私の深い罪をお赦しください」
 虹色のステンドグラスの光が膝をつく全身を照らす中、更に祈った。
「私の罪をお許しいただき、もし姫様の思いが報われ悲願が達成されるのならば、その道を私にお示しください」

─姫様の願いを叶えたい、そんな思いが許されるのであれば、私の個の一切を捨て、神の徒として戦いましょう─

「こういうところが、“可哀そう”って目でマーニャさんに見られるのでしょうね」
 クリフトは七色の光の中で、寂しそうに笑んだ。









『栄光』を読んで頂いた方は印象が変わるかもしれませんが、単発作です。
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