『友愛を歌う日-聖戦-』



 森の小川の一角。穏やかな日差しに包まれて白馬パトリシアは久しぶりの解放に嬉しそうに声を上げた。 戦士ライアンは占い師ミネアと共に小川で水を汲むべく桶を持って歩き出し、ブライはのんびりと伸びをすると腰を叩いた。
 柔らかな日差しとゆっくりと流れる時間。
 旅の間の束の間の休息の時間に勇者クリスティナも、草の上に寝転がりながら、ついつい眠気に誘われ頬杖をついた。

「あぁ…っ…や、だめですっ…!!」
「力を入れちゃだめよ」
「で、でも…っ…!もう、限界です……っ」

「なっ…!」
 森の中から聞こえてきた声にクリスは跳ね起きた。
 馬車の中で寝ていたマーニャも何事かと這い出して来たようで、目が合う。

「ひ、姫様っ、も、う…許してください…あぁぁ!」
「じっとしてて」

 尚も続く声にマーニャはにたりと笑った。
「なんか、すっごい楽しいことになってそうじゃない?」
「…た、楽しいかどうかはわからないですけど、すごく興味はあります」
「ちょっとだけ、様子を見てみよっか?」
「そうですよね、何があったのか心配ですものね。け、決して覗きではありませんからね」
「そうそう、それよもちろん。二人が心配だからよ」
 二人は足音を忍ばせて声のする方へと身を屈めて近寄った。

 茂みに隠れて覗き込んだ先には、絡み合う二人の姿。目の端に涙を溜めて、赤い顔で必死に地を叩いて、
「はぅ。姫様!…もう、助けてください!」
「暴れると、加減を間違えて本当に腕折れちゃうわよ」
極められた関節の激痛に命乞いをする神官の姿だった。

「何やってんのよ、あんた達」
 マーニャが引きつった笑みを浮かべた。
「あ、マーニャにクリス!見て、新しい必殺技を考えたの!」
 ようやく解放されたクリフトは四つんばいになったまま、荒い息で腕を押さえた。
「クリフトさん、生きてますか?」
「はぁ、はぁ。スカラが効いていたのでなんとか骨だけは…」
「た、大変でしたね」
 同情の言葉をかけながらも、クリスの顔には明らかに『関わらなければ良かった』と書かれている。

 いつの間にかやってきたブライが微笑ましそうに笑って頷いた。
「今回もハデにやっておりますな、姫様」
「ブライ!見てたの?どうだった?」
「クリフトめの悶絶が、今回が一番激しかったので一番の出来ではないかと」
「ほんと!?やったぁ!」
 アリーナは飛び跳ねて喜んだ。
「……お爺ちゃん。アリーナのお転婆に手を焼いてたんじゃなかったの?」
「おぉ、焼いておりますとも。しかし、クリフトとよい仲になってしまうのも問題じゃろうが」
「あ、そういうことね」
 マーニャはブライの建前に納得すると、優しいことにクリフトにベホイミをかけてやるクリスの肩を叩いて励ます。

「で、何でこんなことしてるのよ?」
 アリーナはにっこりと笑うと答えた。
「バレンタインだから」
「…は?」
「だから。バレンタインだから」
「……」
 マーニャはこそこそとクリフトに歩み寄ると声を潜めた。
「…ちょっと、通訳して!」
「えぇ…」
 クリフトは苦々しく笑った。
「実は姫様への贈り物なんです」
「贈り物?ちょっと、通訳を頼んでるのよ。もっと分かりやすく訳して」
「すみません。実は私、昔は非常に貧しくて、姫様に何かお祝いや祝日の贈り物をすることができなかったんです。 それで、昔、姫様に何か望みはありませんか?、とお聞きしたら…」
 クリフトの言葉をアリーナが引き継いだ。
「どこかお外に連れて行って欲しいってお願いしたり、考えた必殺技や特訓の相手になってほしいってお願いしたの」
「…ということです。変わらずの恒例行事になってしまいました」
 マーニャとクリスは顔を見合わせた。
「…あんたも災難ねー。普通バレンタインって言ったら、お菓子とか花を贈るものでしょ?」
「えぇ、まぁ」

 クリスが困り果てた様子で言った。
「すみません。バレンタインって何ですか?」
「クリス、知らないの?」
「う、うん。あたしの住んでた村、そういうイベントってなくて…」
 何度か瞬きを繰り返してマーニャが耐え切れないように噴出した。
「ほんっとあんたはかわいいわね!バレンタインっていうのはね、大切な男に贈り物をして、両思いになれる日なのよ」
「マーニャさん、その慣習は…。本来は偉大な聖人を敬う祝日ですよ…」
 クリフトの神官らしい言葉を遮ってマーニャが続けた。
「つまり、告白するのに、もってこいな日ってこと! あとはね、別に好きじゃなくても感謝の気持ちで贈ったりもするし、相手の面子を保ってあげるために贈る義理チョコっていう習慣もあるわ」
「へぇー」
 クリスの生返事にアリーナも同調した。
「私もよく知らなかったわ。じゃぁ、クリフトにお菓子をあげるね。チョコがいいかしら?」
 クリフトは赤くなって言葉に詰まった。
「か、カカオは高いのに…」
 抗議したいのに出来ないクリスがジレンマに陥って狼狽した。

「それで、一ヵ月後には男から三倍の価値あるお返しがもらえるのよ」
「……」
 アリーナとクリフトが固まった。
「……」
 クリスが頭の中で何かを計算した。
「……」
 ブライが愉快そうに静観している。
「と、いうことなの」
 マーニャは得意げに胸を張った。
「私もモンバーバラでスターだったときには…」
「やりましょう」
 クリスが毅然として言い放った。
「あたしたちも“ばれんたいん”やりましょう。まずはお菓子の買出しにエンドールに行きましょう! ミネアさんを呼んですぐにルーラしますよ!」
 クリスはぐっと、目の前で拳を固めた。
「さぁ、行きますよ!レッツゴー・エンドール!ルーラ!」

 クリフトの目の前で彼らはきれいに消えうせた。
「………なんというカリスマ性…」
「そうじゃのぅ」
 呆然と呟くクリフトにブライが尚も愉快そうに笑った。
「三倍のお返しを用意せんといかんな」
「ま、まさか、三倍の必殺技…?」
「それに加えて、姉妹やクリスの分もじゃな」
 青い顔でクリフトは頭を抱えた。
「め、召されてしまうかもしれません…」
「…お前さんはアホじゃの」

 ひとまず馬車に戻ろうと静かな森の中を連れ立って歩き出した。
「のう、クリフト」
 突然、真剣な声色に変わったブライにクリフトは姿勢を正して答えた。
「何でしょうか?」
「…お前さんは、これからどうありたいんじゃ?」
「………ブライ様、それは…」
 クリフトは問い返そうとした言葉を飲み込むと、視線を落とした。 ブライが求める答えは、アリーナへの気持ちか。それとも。
「…いえ。…私は、これからもただ純粋にサントハイムの為にありたいと思います。 たとえそれが私の身にどのような境遇をもたらそうとも」
 ブライは大きく溜息をついた。
「それがお前さんの決断か?」
 ……。
 クリフトは深呼吸した。
「そうです」
「本当にお前はアホじゃな」
「そうかもしれません」
「がっかりする者もおるぞ」
「そうかもしれません」
 ブライは再び、溜息をついた。
 目に入ったブライの苦しそうな表情が胸を痛ませた。
「お前さんは真面目がすぎるわ。よく考えることじゃな」
「………ブライ様、それは…」
 訊くべきことではない。クリフトはそれっきりにして押し黙った。

 馬車に辿り着いて、しばらくたった頃、
「クリフトさん、危ないです!」
「え?」
空から降ってきたクリスの声に上を見上げると、そこに皮靴の底が見えた。
「どわっ!」
 クリスの着地にまともに下敷きになったクリフトは、背中から倒れこみ、頭が真っ白になるほどに盛大に頭を打った。 そして、回る視界の中で空を見た。
「あ、危ないって言ったじゃないですか…」
「ま、間に合うはずがありません…」
 今にも気を失いそうなほどに強打した頭を押さえて、呻きながら呪文を唱えた。
(な、なんて不幸な日だ…)
「クリフト、大丈夫か?」
 左右から駆け寄ってきたライアンとトルネコに腕をとってもらい、立ち上がらせてもらう。

 頭を押さえる彼の前にアリーナが進み出た。
「はい。クリフト。いつもありがとう!」
 リボンのついた小さな箱。包装にはエンドールで最も有名な菓子屋の名が書かれていた。
「ありがとうございます」
 まさか、アリーナからバレンタインに贈り物をもらうことが出来る日が来るとは。
 クリフトは感動に高鳴る胸を押さえた。そんな彼の背をマーニャが力いっぱい叩いた。
「ほら、私からも。いつもホイミありがとね」
「私からも。これからも一緒に皆を助けていきましょう」
 姉妹からもかわいい包みを受けとる。
「ありがとうございます」

 そして最後にクリスがクリフトとブライに祈りの指輪を。 同じように包みを抱えるライアンとトルネコに力の指輪を配った。
「あたしからの気持ちです」
 クリフトは戸惑う気持ちをどうしても抑えきれずに、ライアンとトルネコを横目で盗み見た。
 …やはり、不思議そうな顔をしている。
 クリスは満足そうにガッツポーズを見せた。

「これで、三倍がんばって戦ってくださいね!」

 トルネコが乾いた笑い声を上げた。
 ライアンが観念して指輪を装備すると頷いた。
「男たるもの、頼られたなら全力で戦うのみだ」
「は、はは…」
 空笑いしか出ないクリフトの袖をアリーナが引っ張った。
「クリスね。エンドールで言ってたのよ」
「?」

「こうして、皆でプレゼントし合ったり、お祝いできたり、お礼が言えるってどんなに嬉しいことなんだろうって」

「…クリスさんがそんなことを…」
 突然に全てを奪われたクリスの気持ちを思って、絶句したクリフトにアリーナは首を傾げて続けた。
「ホワイトデーにも、こうやって盛り上げてあげようね!」
「はい!」

 …真面目がすぎる、か。

「…クリフト?」
 アリーナの呼び声に我に帰った。
「実はね」
「はい」

「まだ、試してみたい技が残ってるんだけど?」

 ……。思わず、心でむせび泣いた。
(やはり私はここで召されるようです…!)

 再び森の中に若い神官の悲鳴が響いた。