『神官と笑顔-花と弁当-』


 早春の風雨。
 人心を試す彩を、揺らす木漏れ日、永劫に。
 そう、永劫に。

 世界を凪ぐ風が暖かくなってきた季節だと思う。
 クリフトは息吹く緑の風を深く吸った。深く吸って、ゆっくりと息を吐いた。
そして。
「そろそろ、機嫌を直して頂けませんか……?」
 諦めきった疲れた呟きのような声で、目の前で睨む合う姫君と緑の髪の少女に懇願した。
 ふと隣を見る。同じく諦めきった老いた魔法使いが、本来鋭い眼光を濁らせながらどこか遠くを見ている。
 睨み合う二人は、クリフトの声に鋭い反応を見せて彼を睨むと、全く同じタイミングで叫んだ。
「アリーナさんが!」「クリスが!」
 まったく同じ動きで双方を指さす。
「謝ったらね!!!」
「……そうですか……」
 クリフトは疲れたように微かな苦笑いを浮かべた。


 喧嘩の原因は、昨日の晩の些細な出来事が発端だった。
 旅の途中の息抜きとしてエンドールに立ち寄った。それぞれにハメを外し過ぎないように余暇を過ごせるよう各人に注意して、自由行動とした。
 一番の注意人物であったマーニャは妹のミネアに引きずられるようにしてカジノから出ると酒場に連れて行かれ、ライアンも付いていったようだった。
 ここまでは良かった。
 問題はカジノのモンスター闘技場で遊びたくなったアリーナとクリスだった。
 クリフトとブライは二人に付き添って様子を見守っていたが、調子の良かったのは最初だけだった。
「あたしは途中でやめようって言ったじゃないですか!」
「だって次の対戦内容見たら、次は絶対リリパットが勝つって思ったんだもの!」
「全然おいしくない倍率で勝負して負けるくらいなら終わりにした方がよかった!」
 二人の怒声の声量はかなりのものであったが、幸いなことにカジノの騒音にかき消され周囲にしか聞こえていないようだった。
 クリフトは不毛な言い争いを始めた二人が宿代に手を付ける前に、いつの間にかブライがスロットでこっそり勝っていたコインを気づかれないように景品に交換して、なだめて帰ろうと声を掛けようとした時だった。
「クリスってぜんっぜん夢がないのね!」
 アリーナの何気ない不満の一言がクリスの表情を変えた。
「……夢……?」
 俯くように床を一瞬見たクリスにクリフトは不味い、と思った。
「夢なんて!あるわけないじゃないですか!!!」
「!?」
 叫ぶように言い返したクリスの態度にアリーナが驚いて口を閉ざした。
「あたしに何の夢が持てるって言うんですか!今日だって景品に戦力になりそうな装備を見つけたから遊びたいって話に乗っただけです!」
 カジノの喧騒の中、近くを通りかかる男女数人が振り返っては通り過ぎた。
「アリーナさんみたいに、城の皆を助けられるかもなんて希望もないんですからね!」
 その言葉に今度はアリーナが眉を吊り上げる番だった。
「助けられる“かも”?!皆もお父様もきっと生きているわ!クリスのことは可哀そうって思ってたけど、それで私の希望に水をささないでちょうだい!」
「可哀そう!?同情なんか要らないです!!」
 じっと傍観していたブライが深いため息をついた。
「そこまでにせい!!」
 杖で二人の間の床を強く突くブライの言葉に、アリーナはギリっと歯噛みした後に背を向けた。
「お二人とも。今日は宿に戻ってお休みください」
 クリフトの神妙な顔と、ひそひそと小声で遠巻きに見ている喧騒に気が付いたクリスが無言でカジノを後にすると、4人それぞれが居心地の悪い空気の中、宿に向かった。


 そして、今日。
 この大喧嘩を関与しなかった他の仲間に気を遣って何も知らせないまま、クリフトとブライは二人を連れだした。
 エンドールの城から少し離れた丘陵。
「何でクリスと一緒になの?早く帰りましょうよ」
「えぇ!あたしも他にやりたいことありますから」
 相も変わらず目を合わさなず、放っておけばまた言い争いを始めそうな二人を見て、クリフトはブライを見た。
「怒っている者に“怒るのをやめてください”と言って通じるわけなかろ。馬鹿もん」
 小声のブライにクリフトは苦笑した。
「そのようですね」
 ブライがその場に座って、持ってきた飲み物に手を伸ばした様子を見て頷いた。
「では、私の気持ちを伝えてまいります」
「適当でいいわい。どっちも悪いんじゃ」
 言葉は悪いが、ここまで着いて来た優しい翁にクリフトは笑んだ表情のみで答えた。
「姫様、クリスさん」
 クリフトは荷物を広げた。それは彼自身が用意した慣れないサンドイッチやフルーツを詰めた弁当であった。
「お花見、しましょう。ここは菜の花をはじめ、春の花がきれいです」
「「は?」」
 クリフトは二人の疑問の声を無視して、二人に困ったような笑顔で頼んだ。
「昨日は私がお付き合いしたのです。本日は私にお時間をください。まだ皆さんが起きていない中、早起きして朝市に向かい準備したのです。……あ、美味しいかは自信がないですが……でもサンドイッチならきっと不味いことはあまりないでしょう」
「……」「……」
 アリーナとクリスは一瞬互いを見ると渋々とクリフトとブライを挟んで遠くに座って不機嫌そうに膝を抱えた。横一列に並んで座るとクリフトはそれぞれに弁当を手渡した。
「こちらが姫様の分、こちらがブライ様の分、こちらがクリスさんの分です」
 アリーナとクリスはそれぞれ受け取ると無言で口にした。
 クリフトはそれでは、と深呼吸した。
「では、お召し上がりながら、私の話をお聞きください」
 クリフトは静かな口調でゆっくりと話し始めた。
「私はお二人はとても強いと思っています。そして、お二人とも優しい方です」
 ブライが頷く。
「そんなお二人を私はよく見ています。いいですか、姫様のサンドイッチは姫様のお好きな木苺とサクランボのフルーツサンドです。クリスさんの方は以前、ハバリアの宿で召し上がって気にられていただろうチーズを使っています。エンドールで手に入ったのは幸運でした。ブライ様は……栄養とって頂きたいのでタマゴにしました」
 クリフトはクリスを見た。
「……お好き、で合っていましたか?」
 クリスは一口、口に入れた。
「……合ってます」
「やっぱり。貴女は凄く気に入った様子でしたが、船の積み荷の常備食では予算を気にして我慢して、その分を皆さんの為の装備やお好きな物を優先したのを、私は知っています」
 アリーナが意外そうに顔を上げた。今度はそんなアリーナに向けてクリフトは話を続けた。
「姫様はいつも戦闘中クリスの声が聞こえる位置にいることを心掛けていますね。私はその姿をとても嬉しく思っているのです。旅に出た頃の姫様は失礼ながら、前へ前へと出て行かれ……、とても大変でしたから」
「それは……ごめんって」
 アリーナが口籠るのを横目に、クリフトはおもむろに立ち上がった。
「ですから、私はそんなお二人が昨夜のように互いへの思いやりを忘れてしまったことを悲しく思っています」
 クリフトはアリーナとクリスの手を引っ張って立たせるとそのまま手をとったまま、数歩下がるように誘った。
 首を傾げて、すこし申し訳なさそうな顔を見せると、二人の手を取ったまま静かに強く言い放った。
「だから……、喧嘩両成敗です」
 二人を道連れに菜の花の中に倒れ込んだ。
「えっ??」「きゃっ」
 二人は戸惑いの小さな声上げながら黄色の世界に包まれると、慌てて起き上がった。
「?」
 コツンとアリーナの肩に何かが当たった。
「わ」
 次にクリスも。
「さぁ、私の我儘にお付き合いください」
 当たった何かはクリフトが持っていた杖だった。
「なにこれ?」
 アリーナとクリスはお互いに顔を見合わせた。その顔は何故か互いににこやかな笑顔で。
「私はお二人の笑顔が見たいです。ですので、昨日、こっそりカジノで交換していたほほえみの杖を持ってまいりました」
 クリフトは菜の花に埋もれながら続けた。
「幸いなことに私にはこの世界の美しい色を見ることができます。そして、花が揺れる音を聞くことが出来ます。この刹那の瞬間に移り変わる感情を持っています」
 今、視界に入るこの世界は黄色、白、緑と春の色の彩られ、空の青さに包まれている。ようやく周囲を見回したアリーナは目の前のクリスの緑の髪は春の大地のようだと思った。
「更に私はこんな人間の些細な儚さと幸せを守ることができる力と使命の一部があります。私は守りたい。この世界に生きる人々を、そして姫様やクリスさんのひと時の心の平穏を」
 クリフトは真剣な表情になった自分に気が付いて、自分の肩に杖を当てた。頬の筋肉が勝手に動いて笑顔になるのは不思議な感覚だ。
「だから、今は私の思いを汲んで、腹に据えていただけないでしょうか」
 アリーナとクリスは少しの間互いをほほえみながら見つめ合っていたが、やがてアリーナの方がクリスの頭の上に乗った黄色の花びらを取った。
「クリス、……ごめんね。私、酷いこと言ったわね」
「…………うん」
クリスは近くの菜の花を少し引っ張るとアリーナの頬の横に添えた。
「……あたしも。あたしは救える命は全部救いたいです。もちろんサントハイムの皆もです。……だから。力を貸してください。お花の似合うお姫様」
 二人は強く手を取った。

 その様子を見てクリフトはほっと一息つくと、ブライの横に戻った。
「ご苦労じゃった」
「……昨日の夜から生きた気がしませんでしたけど、本当によかったです」
 ブライは弁当の箱を閉じた。
「馳走になったわ。ところでお前さん、自分の弁当はどうしたんじゃ」
 クリフトは力なく笑った。
「気が回らず、……忘れました」
「なんじゃそりゃ」
 ブライの呆れたような笑い声が風に乗って響いた。




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