『友愛を歌う日-Hello,Mr.Seek!-』



 何年も、何年も過去の思い出。
 忘れていたい思い出も、雪を見れば思い出してしまう。
 暖炉の炎が暖かく燃える、冬の日。窓の外は冷たく包み込む雪が吹雪いて。
 少年は炎に温められた絨毯の上に寝転がる少女のために懸命に笑った。
“姫様。今回はクッキーを焼いてみました”

“わぁ!ありがとう、クリフト!クリフトの作ってくれるお菓子は何でも美味しいから嬉しいわ!”

 アリーナは籠いっぱいに詰め込まれた焼き菓子に手を伸ばすと、一枚齧った。
“……っ”
 齧りかけのクッキーを見つめながら、彼女は歯を食いしばって、声を殺して涙を浮かべた。

“……姫様…”
 クリフトはクッキーの籠に元通り、布をかけて、そっとその場を離れた。

“…私では、務まらないのですね…”




 久しぶりに見たサントハイムは白い白い雪に包まれていた。 あたりを白く染め上げても、未だに冷たいものが飽き足らずに降り続く。 馬車幕の外の景色を、毛布にくるまったマーニャは眺めて感嘆の声を上げた。
「すごいじゃない、これ!」
「マーニャは雪が珍しいの?」
 あまりの驚きようと、毛布を頭からかぶって離さない様子にアリーナが尋ねた。
「珍しいわよ!」
「キングレオ大陸はあまり雪は降らないんです」
 ミネアも同じようにしっかりと暖をとりながら話に加わった。
「だから、こんなに寒いのも初めてです」
 確かに姉妹の寒がり方は尋常ではない。アリーナは自分の毛布も渡してやることにした。
「ありがとうございます…」
 ミネアが珍しく遠慮せずに受け取ると、マーニャと半分ずつ分け合いながら膝にかけた。
「仲がいいのね」
「二人だけの姉妹だからね」
「ふふ…」
 恥ずかしそうに笑いあう二人にアリーナは目を細めると少し控えめに笑った。
「うらやましいわ。私は姉妹がいないから」
 マーニャとミネアは顔を見合わせた。
 アリーナの母はすでに亡く、父も神隠しにあっていることを思えば、余計なことを言ってしまっだろうか。 そう二人は苦々しく目配せした。
「…でもね。私にはずっとクリフトがいてくれたから、お兄さんみたいなものかしら」
「…クリフトってそんなに昔からの付き合いなんだ?」
 マーニャがどこかほっとしたかのように話を繋いだ。
「うん。クリフトはね、私が小さい頃に城に来た大神官の孫で、昔からすごい頼れるお兄さんだったの」
「クリフトさんは昔からしっかりした方だったんですね」
 楽しそうに話すアリーナに、ミネアもつられて微笑んだ。
 アリーナは懐かしそうに遠い目でどこかを見た。
「それでね、よくクッキーとかケーキとか。いろんなお菓子を作ってくれたの。すっごい美味しかったなぁ」
 マーニャが不思議そうに目を丸くした。
「クリフトがお菓子?なんか意外ね!」
「そう?すっごい上手よ。ね、ブライ?」
 アリーナが奥で、静かに話をきいていた老人に、同意を求めて振り返った。
「そうじゃの。確かに美味かったわ」
 ブライが頷くのを見て、マーニャは真実であることを悟ると、それでも意外そうに首をかしげた。
 アリーナは苦笑した。
「最近はもう作ってくれないけど」

「くしゅん」
 ミネアが小さくくしゃみをした。
「寒いですね…」
 恥ずかしそうにそう呟いたミネアを励ますように、ブライが馬車幕を開けて外の様子を見た。
「何せこの時期は一年で最も寒い季節じゃからな」
 マーニャがその言葉に恐ろしそうに身震いさせた。
「そうなんだ。じゃぁ、毎年この頃になるとこんなに降るの?」
「今日は特別に多いですね」
 馬車の外から雪を踏みしめる音と共に、フードを外しながらクリフトが声をかけた。
 馬車のしんがりを警戒して歩く彼は毛皮のコートに積もった雪を払い落とした。 その吐息すらも白く凍っている。
「もしかしたら、今晩は更に荒れるかもしれません」
 見上げる一面の灰色の空は重々しく、世界を圧迫している。
 アリーナが毛皮のコートを着込むと馬車から飛び降りた。
「じゃぁ、クリフト。交代ね」
「えぇ。足元が悪いのでお気をつけください」

 クリフトはブーツの雪を丁寧に払い落とすと、馬車に乗り込んで冷えた体に毛布を巻きつけた。
「お疲れ様でした。外はどんな様子でした?」
 ミネアの問いに、クリフトは苦々しく笑った。
「吹雪いてしまって、少し先もなかなか見えずに苦心しました」
「お、おそろしいわね」
 マーニャが青い顔で左右に首を振った。

「ところで」
 マーニャが興味深そうに、クリフトを眺めた。
「なんでしょうか?」
「アリーナが言ってたんだけど『クリフトはお菓子を作るのがうまい』って。どうなの?」
「あぁ」
クリフトはかじかんだ手を擦りながら頷いた。
「昔はよく作りましたね」
「ホントだったんだ!今度、皆に作ってよ」
「…構いませんけど、もう何年も作っていないので、うまくできるか…」
 マーニャが遠慮なく尋ねた。
「今はもう止めちゃったんだ?」
「えぇ」
 クリフトは馬車の外のアリーナの気配を確認すると、少し言いにくそうに答えた。
「……作るのが、辛くなってしまったので」
「…?」
 マーニャとミネアは全く理解ができなかったが、それ以上の追求が出来ずにクリフトの顔を見つめた。
 クリフトはそれには答えずに、馬車幕の隙間からぼんやりと外を眺めた。

 懐かしくも苦しい思い出だった。
“クリフト!今年のバレンタインも雪だね!”
“そうですね”
 外で遊べないことを残念に思って、恨めしそうに窓の外を眺める二人の子供に 彼女の母親が声をかけた。
“アリーナ。クリフトも。クッキーが焼けましたよ”
 二人は目を輝かせて、彼女の母親の足元へと急いて駆け寄った。
“わぁ、お母様のクッキー大好き!”
“僕もです!今度、作り方を教えてください!”
“じゃぁ、一緒に作りましょうね”
“わぁ、楽しみです!”


 クリフトは息が詰まるような気がして、ぎゅっと拳を握った。
 回想から現実に戻れば、外はサントハイム平原の雪景色。

 そうだ。彼は現実を思い出した。
 サントハイムに巣食う魔物を倒すために、帰ってきたのだ。
「きっと、今晩はより吹雪きます。…天候の助けを借りて潜入するのが、良策かと存じます」
 真剣そのもののクリフトの言葉に、姉妹もブライも無言で頷いた。







 吹雪の中、魔物すらも姿を見せない空間を突っ切って、一度の戦闘もなく、 仲間達は裏城門にたどり着いた。パトリシアと馬車をトルネコとブライに任せて、 クリフトは仲間達と共に場内へと潜入した。 凍りつきそうな手足は少し動かせば融けるだろう。少なくとも、彼はそんなことは気にしていなかった。
 …懐かしくも、荒れ果てた城内に嫌気が差していた。
「…行きましょう。クリスさん」
「えぇ。マーニャさん。ミネアさんも準備はいいですか?」
「もちろん」
「だいじょうぶです」
 クリスはその言葉に頷くと、アリーナの案内で駆け出した。
 中にいる魔物を避けて、必要であれば、アリーナが、クリスが切り捨てて、城を占有する主の下へと急いだ。
 城の中は荒れ果てていて。カーテンは引きちぎられ、絨毯は裂けて。
 アリーナが顔を怒りに染めているように、彼も俯きながらも上目でこの城にいるであろう宿敵を睨み付けて走った。

 戦いの最中であるというのに、それでも懐かしい雪と過ごした城が、郷愁を誘う。
 彼の脳裏に映った回想の中で、幼いアリーナが泣いていた。
“お母様。どうして死んでしまったの…!?”
“姫様。どうか泣かないでください…。僕が、いえ、私が必ず力になりますから”
“クリフト。ありがとう…!”

(だから、私は姫様のために必死に勉強して、懸命に仕えた。菓子を作ったのだって、喜んでいただきたかったから)
 お后が亡くなってから、何年目かのバレンタイン。 それまでと同じように、クリフトはアリーナのために菓子を作った。 その年の祝日に彼が犯した過ち。 幼いが故にひたむきな彼は知らずうちに、“アリーナの母親に習った”クッキーを出した。

 同じ味。同じ雪。同じ部屋の暖かさ。
 愚かにも無自覚に出された母の味に、アリーナは寂しさを募らせて、泣いた。

 アリーナの心細さを少しでも解消したいと願っていた。 それなのに。彼女を泣かせたのも自分自身。
 自分は彼女の母にはなれない。もう、あんな顔は見たくない。
 うかつな自分を責めて、それ以降はもう二度と祝日を祝わなくなった。



 サントハイムに巣食う魔物、姉妹の仇バルザックは、クリスの会心の一撃に床に伏せった。
「これで最後よ!」
「うぉおお!」
 クリフトとミネアに治癒の術により、体力を取り戻したライアンとアリーナが止めを刺すべく跳躍した。
 そのとき、バルザックの背の筋肉が膨れ上がるのを見つけたマーニャが叫んだ。
「!二人とも!危ない!」
「何っ?!」
 弾かれたように立ち上がり、豪腕を振り回したバルザックの一撃にライアンが壁へと叩きつけられた。
「姫様!」
 温存していたのであろう体力を振り絞ったバルザックは宙から捕らえようとしていたアリーナの蹴撃を受け止めると、 その小さな体を羽交い絞めにした。
「アリーナさん!」
 クリスの悲鳴にも似た叫びに、バルザックが長い舌でアリーナの頬を舐め上げながら言った。
「動くな。大切な姫君の首が折れるぞ」
「…卑怯な!」
 ライアンが肩を押さえて呻いた。
「バルザック!アリーナを離しなさい!」
「黙れ、小娘!」
 締め付けの力が増して、アリーナは顔を歪めて悲鳴を上げた。

 クリフトは帽子の鍔の下から、バルザックをにらみ上げると、 癒しに専念していた役目を放棄して剣を抜いた。
「好きにするといいでしょう」
 一歩、踏み出すと、ミネアが恐れて叫んだ。
「クリフトさん。ダメです!」
「黙っていてください」
 有無を言わせぬように、言い放たれた言葉にバルザックが気圧されて半歩下がった。
「大事なお姫様が死んでもいいのか?!」
「…お好きになさい」
「……クリフトっ」
 苦痛に顔を歪めながら、アリーナはその名を呟いた。
「一人だけの王族の生き残りなんだろ!?」
 クリフトはそれでも表情一つ変えなかった。
「…サントハイムに仇名す者。親切な貴方に教えて差し上げると、サランの領主はサントハイム王家の遠縁。 王家に跡継ぎが途絶えたときには彼らから次の王が選ばれるのです。…それに、」
 また一歩踏み出すと、バルザックもまた一歩下がる。
「この戦いで命を失うとはつまり、“勇敢な魂として、天で永劫のときを祝福と共に過ごす偉大な殉死”なのですから!」
「……っ」
 バルザック自身も知らぬうちに、力の抜けた腕をこじ開けてアリーナが床へと逃れた。
「…なっ!待て!」
 バルザックが人質を失ったことに動揺して見せた隙に、クリフトはとどめの一撃を放った。




(私は願っていた。“私こそが唯一の姫様の癒しになりたい”、と)

 力尽きたバルザックになど目もくれず、クリフトはアリーナに駆け寄って抱き起こすと癒しの呪文を唱えた。
「姫様…!申し訳ございません…!!私は、私にはああするしか…!!」
 薄目を開いたアリーナの体力が回復したことを確認すると、彼は俯いて声を震わせて、泣き叫ぶように謝罪した。 そんな彼の肩をぽんぽんと優しく叩く。
「ありがとう、クリフト。きっと貴方ならなんとか助けてくれるって信じてたわ」
 そんな彼女の顔はあまりにも清らかで。
「…いえ、私は、なんということをしたのでしょう!もしかしたら、本当に姫様を失ってしまったかもしれないのに」
「そんな顔しないで」
「?」
 アリーナはくすくすと笑った。
「クリフトが最後にクッキーを焼いてくれた日。あの日も貴方はそんな悲しい顔をしてたわね」
「それは…」
 腕の中でアリーナは迷いない瞳でクリフトを捕らえて離さない。
「また、お菓子を焼いてくれたら許してあげる。私、“貴方が焼いてくれる”クッキーが嬉しいの」

 クリフトは目を見開いて、しばらく表情を固めた後に頷いた。
 あの日、彼女が見せた涙は、寂しかったからではなく…。
「今年のバレンタインはお菓子の家だって作ってみせましょう」

 アリーナも子供のように歯を見せて笑った。
「うん。私、クリフトのクッキー大好き!」



 二人の会話を聞いて、マーニャとミネアは嬉しそうに笑い合うと、不思議そうな顔で見つめるクリスとライアンに邪魔しないように、と 手を振って示した。



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