『虚無から生まれ、虚無に還り、虚無を愛する』



 気が合うか、と聞かれれば恐らく合わない。趣味が合うかと言われても正反対。 きっかけもよく分からない。動機もない。
 なぜいっしょにいるか、というのは私自身も謎だと未だに思っている。 ただ、不思議なことは“それでも彼女に執着している”ということだ。
 だから、今隣で寝ているというのに会話もなく、 いや、声をかけられないように私を威圧し続けていられるのは迷惑以外の何者でもない。 面倒な話だが、仕方なしに語りかけることに決めた。
「いい加減、何が気に入らなかったのか教えてくださいませんかね?」
 マーニャは横目で私の様子を伺うと、
「今日は何か疲れてるの」
とだけ吐き捨てると私に背を向けた。
 何だと言うのだ。いつものように愛し合って、目が覚めてみたらこれだ。 まったく。こういう関係になってから一ヶ月経つというのに未だにこのケモノ感覚は掴めない。
「それならご自分の客室で一人でゆっくりとお休みになったらいかがです?」
「……」
 返事のないことは想定の範囲内ではある。私はベッドから抜け出すと彼女の服やもって来たメイクポーチを探る。 彼女が聞き耳を立てて様子を伺っているのも想定内だ。
 そしてすぐに見つけた。彼女に割り当てられた部屋の鍵だ。 自分の客室が奪われてしまった以上、私が彼女の部屋に行けばこの面倒ごとはとりあえず後回しに出来る。 あとは少し時間を置くしかないだろう。
「あんたさぁ。未だにお姫様のこと夢に見てるの?」
「何を唐突に……。あぁ。そういうことですか」
 つい先ほどまで見ていた夢。夢の中で抱いていたのはあの方だった。
「後悔してんの?私を選んだこと」
「後悔?なぜ?」
 マーニャは苛立ちを隠さず前髪をかきあげながら、体を起こした。
「じゃぁさ、聞くけど」
「どうぞ」
「今からお姫様に“クリフト、私、貴方が必要なの!付き合って”って言われたらどうすんの?」
 言葉の持つ意味と彼女の真意。そんなものはすぐにわかった。だからこそ、嘲笑がもれる。
「…“大人の嫉妬はカッコ悪い”のでは?」
「…最初にこうも言ったわ。“無理強いはしない”って。後悔してるんならここでやめたほうがお互いのためよ」
 彼女は思った以上に真剣な顔だ。
「では結論から教えて差し上げます。貴女とあの方を比べるなど論外です。あの方は私の神にも等しい存在。 特別なのです」
「……」
 マーニャが息を呑むのがわかった。そんな彼女に私は畳み掛けた。
「貴女とあの方ならば、あの方を優先します」
「そう」
「逆に私も貴女にずっと持っていた感情があります」
「なに?」
 マーニャは気丈にも私を見つめたまま視線を外さない。
「貴女は私のことを愛しているんですか?」
「……どういうこと?」
 マーニャの目に戸惑いや怒りといった感情が浮かんだ。
「きっかけは貴女が酔った勢い。そして貴女は私に何も言わずに時折いなくなってしまう」
「そんだけ?私だって一人で遊びに行きたいときあるわよ。カジノとか。それとも一日中監視していないと気が済まないの?」
「そうですよ。…貴女が恋人だからと、信じていますけど。…本当は貴女が私以外の男と喋っているのを見ると、 即死呪文をかけてやりたい衝動に駆られるほどです」
 我ながら滑稽な話だが、彼女が一人で出かけてしまった夜は気が狂ってしまっているのではないかと思うほどに、 嫉妬に狂っている。想像の中別の男と手を取り合う様を想像しては爪を噛んでいる。
 その上、未だに私の気持ちを疑っているなど屈辱だ。
「あんたも嫉妬に狂ってるって言いたいわけね。でも、結局お姫様の方がいいんでしょ?」
「何度も言わせないでください。…あの方は神であり、天使であり、聖母にも等しい存在です」
 私もマーニャもお互いこんなにも詮索しあったことはなかった。 聞きたくない、というのもあるが、私は彼女の過去の男については尋ねなかったし、 彼女も私のことは詮索しない。背中の刻印だけは驚いていたようだが、それだけだ。
 そんな珍しい会話が、いつもの言い争いとは違った焦燥感をもたらす。
「じゃぁ、ここで終わりにした方がいいのかもね」
「……お別れ、ということですか?」
「そうよ。私とした後に別の女のこと寝言で言う男なんて一緒にいられないわね」
「……」
 やはりこうなったか。以前に話したときに一抹の不安を感じてはいた。
 私は裏切られるのか。こんなことの繰り返しも、もう疲れた。

「なら、死んでください」
「はぁ?!」
 私は彼女に近づくと優しく首に手を当てた。そのままベッドに倒れこむ。
「…あんた、一体…!?」
「貴女は嘘つきだ」
 彼女の首に食い込む指にもう少し力を入れれば、死ぬ。
「貴女は私を裏切るのでしょう?私は貴女の言われるままに愛してしまったのに」
 まだ、力は込めずに私は続けた。
「愛してるって言ってください。何度も何度も言ってください」
 彼女が戸惑う、その一瞬が永遠のように感じられて、私はそんな一瞬が耐え切れずに力を込めた。
「死んでください。永遠に私のものでいてください」
「……っ」
 彼女は何かを言おうと口をぱくぱくと動かした。

「私は貴女を愛してしまったのに。私は貴女の性欲処理に利用されていただけだったんですね」
 体ばかりの関係で恋人らしい語らいも気遣いもなかった。

 彼女の顔から血の気が引けていく。生気の抜けた紫色に。もう少し。 これでもう何も不安はない。自由気侭なマーニャに振り回されて、苦しい思いを裏切られる恐怖もない。 もう、これでずっと一緒だ。
「それでもいいかと思っていた。…私は貴女に言おうと思っていたことがありました。…この戦いが終わったら、結婚してください、と。一生、傍にいて欲しいと。…聖職者としての地位なんかいらない。貴女がいてくれたらいいのだと」
 マーニャが目を見開いた。
「っ!!」
 彼女が私の手にその指を重ねたかと思った瞬間、焼けるような熱さと痛みを感じて思わず手を離した。 肉の焼けた悪臭が漂う。
「っ!」
 何事か理解出来なかった私は苦しそうに咳き込む彼女と火傷した手の甲を交互に見比べた。
「好きな男に殺されるならそれでもいいかと思ったけど、あんたがあまりにも馬鹿だから一言言いたくて思いとどまっちゃったわよ」
「…え?」
 私は意味がわからず、呆けた声を上げた。
「誰があんたなんか好き好んで性欲処理に使うか!それだけだったら、もっと若くて活きのいいのいっぱい知ってるわよ」
「…はぁ」
「あんたの被害妄想にはいつも恐れ入るわ!私の気持ちが伝わってなかったなんてホンットにショック!」
 私はただただ呆然としていた。
「は?」
「殺されかけてんのに、あんたのことかわいいって思っちゃうなんて私もどうかしてるわ!」
「それは…?」
 マーニャは紫色に手形のついた首を片手で押さえながら、私に詰め寄った。
「何度も言わせないでよ。…好きよ。愛してるわよ!ホント、あんたの言うように阿呆だわ」
 喉が鳴った。呻いた。
「何泣いてんのよ。やめてよ」
「マーニャ。私は…!」
 あぁ、情けない。
 こんなに狼狽して声も出ないなんて。
「最後にもう1回チャンスをあげるわ。…後悔してないの?」
「…」
 最後のチャンスというのが、あまりにも“らしくない”。
「理解力の乏しい貴女のために、分かりやすく解説して差し上げます」
「何よ」
「最も崇拝する方は“姫様”。最も愛する女は“マーニャ”、貴女です」
「よくわかんないわよ」

 私は笑った。やはり、難しい言葉や表現は必要ない。
「そんなことよりも、今度私もカジノに連れて行ってくださいよ。私の知らない貴女などいらない」
「…独占欲の強い男。いいわよ。案外、ハマるかもね」
「いつでも一言多い」
 マーニャは自分の首を指差すと、私に回復の呪文を唱えるように促した。

「そういえば、デートしたことなかったわね」
「……そういえば確かに」
「じゃぁ、次に行くときは誘うわ。…私をエスコート出来る様な完璧なオシャレをして頂戴。 成金のマダムや、私を狙うジェントルに自慢出来るほどにね」
 鏡を見ながら完全に痕が消えたことを確認したマーニャは乱れた髪に櫛を通した。
「私を侮らないでください。…何でも完璧にこなしてみせますよ」
「…そういうとこ、好きよ」

 そう言って振り向いた彼女は珍しく素直に笑っていた。
 私は今、初めて彼女をかわいいと思った。
 神様、今度の小鳥は私に逆らって自由奔放に飛び回ります。
 それを私は手懐ける。

 翻弄されるのも、悪くない。







<fin>
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口を開けばケンカ。閉じてもケンカ。そして、ようやく始まるお付き合い。
考えてみれば、こんなカップリングらしい話書いたの初めてかもしれない。

despair(最初に上げたの)があまりにも救いが無かったから。こんなのもありだよね。
(漢+カナ七題:幸福ジェネレーション)