『madder』
今日、何もかもに決着をつけた。
そう全てに、だ。
デスピサロを名乗った魔界の皇子を今日、我々の手で葬ったのだ。
激しい戦いだった。
私はもちろん、誰もが魔法力も体力も肉体も限界まで酷使した。
さぁ、あとは国に帰って、サントハイムの人々が無事に戻ってきているのかを確認するのみだ。
今は気球の中だ。もうキングレオ大陸で姉妹を送り届け、
つい先程、エンドールでトルネコさんを降ろして次はサントハイムだ。
私は高いところは得意ではないので、外を見ずに座り込んでいる。
だから、今がどこかはわからない。
私は深く深く帽子をかぶりなおした。
そして、程なくして何も問題なくサントハイムに到着した。
私は感激すべき事態だというのに、にわかに信じがたくその場で何度も瞬きを繰り返すはめになってしまった。
城門から我々に向かって手を振っている兵士。
城のバルコニーからサントハイムの国旗を手にもってはためかせている兵士や大臣、女中達。
私は姫様を見た。
「……全てが……夢だったみたいですね」
「うん」
「ブライ様、私は夢を見ているのではありませんよね」
「夢じゃったとしたら、ワシも相当幸せな夢を見ておる」
私は帽子を取った。髪についてしまった癖を手で梳いて直しながら、私は懸命に昂ぶる感情を抑えた。
「早く、お父様に会いに行こう!」
姫様は私とブライ様の手を両の手で掴み、跳ねるように駆け出した。
勇者様の姿を陛下にお見せして、祝いの宴が開かれて。
……全てが終わった。
全てが。
これからの生活は全て元通りだ。
宴の席で演奏されるオーケストラが長いようで短かった全ての旅の終わりを奏でている。
「クリフト、ブライ。今までご苦労であった」
陛下が主賓席に相当する場所に通されていた私とブライ様に顔を向けた。
陛下は私が見たことがない程に酒に酔った赤い顔をされている。
私は今頃になって、ようやく全てが終わったことに関して実感を持ち始めた。
そう。……全てが元通り。王族に対して、今までのように失礼に接することは適わない。
私は最敬礼をもって応じた。
「勿体無いお言葉でございます」
「そう畏まるでない。お前は英雄だ。そして、今は宴の席。素直に喜ぶがよい」
「感謝いたします」
私はそう答えたものの、素直にその言葉に従うことはできなかった。
従ってしまってはいけない気がした。
“私は身分の卑しい家臣の一人であることに何ら変化はない”。
そして、“サントハイム国のために戦うことは家臣として当然のことなのだから”。
今、この時が最大のチャンスなのだ。
全て元通りの家臣に戻るための。……姫様と私が旅の間のように接することない、
全て元通りの関係に戻るために。
その全て、姫様のために。
オーケストラが奏でられ、何十人前の立派すぎるフルコース。
絢爛豪華な装飾の会場。
遥か彼方に見える正装の姫様。桃色のドレスの姫様は誰よりも美しかった。
光を七色に反射するシャンデリアのガラス飾りよりも輝いていた。
私は居た堪れなくなって、会場を離れた。
さようなら、姫様。
次に会うときには、私は口をきくことすらも遠慮しなければならない、忠実でありふれた聖職者に戻っているでしょう。
……今までの失礼をお許しくださいませ。
次の日の朝。全て元通りの生活が還ってきた。
朝起きて、祈りを捧げ、悩める信者の話をきいて……。
こんなにもつまらないものだっただろうか。
私は礼拝堂内を掃除している中、ホウキを抱えて溜息をついた。
(……クリフト!)
……一日の殆ど全ての時間を姫様と共に過ごすことが出来ていた日々が異常だったというのに。
どうして、姫様が私の名を呼ぶ幻聴が聞こえるのだろう。
ひどい高望みを真面目に願ってしまうほどに、私は愚かになってしまったのだろうか。
(クリフト)
おかしいな。ブライ様の幻聴まで聞こえてくるとは。余程、今という時間を退屈に感じているのだろう。
(……だから、クリフトきいているの!?)
幻聴だと思って振り向いたら本人がいる。
そんな小説なんかにあるような定番の展開を少しだけ期待してしまった己に嫌気が差す。
しつこい幻影に苛立ちながら私は振り向いた。
「!」
振り向き様にブライ様の杖が私の顎に痛恨の一撃を見舞った。
衝撃が脳を伝わり、頭の中全てを白に塗り替えた。
両手で押さえ込んで呻く。
「……ぼうっとしておって、急にふりむくからじゃ」
間違いなく現実のブライ様の姿。私は目を見張った。
ブライ様の背後に確かにいらっしゃる姫様のお姿に。
「ほら、昨日は急にいなくなっちゃうんだから。今日はね、クリスのところに皆で行って8人でお祝いをする約束なの!」
「……きいてませんよ」
「そう?昨日話そうと思ったのにいなくなっちゃうからよ」
私は突然のことに驚く時間も抗議する暇もなく、ブライ様のルーラで空間を飛び越えた。
勇者様の住んでいたという村は荒れ果てていた。
濁った毒沼が広がり、崩れた瓦礫が平地を占領している。
瓦礫の中を見つめていると、人間のものらしい腕の骨が見えたような気がした。
しかし、季節がめぐり、その時間が短い草を生え揃わせ、それらを覆い隠そうとしている。
この地は自然の息吹と生命力によって生まれ変わるために足掻いているのだ。
私は言葉も発することなく、辺りを見回していた。
「クリスには見つかってないわね?」
「しっかりと確認して着地しましたからな」
……姫様とブライ様が声を潜めて、辺りを確認している。
何のことやらさっぱり分からない。
「クリスさんを驚かせるのですか?」
「……それも一つあるわね」
姫様にはぐらかされるなど、私も若くしてもうろくしてしまったか。
立て続けに起こる出来事に相当に混乱しているらしい。
そして、すぐに現われたのは姉妹とライアンさんの三人。
「お、ちゃんと来ているわね!」
マーニャさんの視線は私に向けられいている。
「……私が何か?」
「何でも?さぁて、びっくりさせてやりましょうかね」
「もう少しでトルネコさんの方も準備ができますで、私達はクリスさんを迎えにいきますね」
マーニャさんはミネアさんと顔を見合わせながら含み笑いを浮かべている。
勇者様を驚かせるという趣旨は良く分かったが、なんだか気持ちが悪い。
しばらく待っていると、やってきたのはトルネコさんだった。
何やら笑顔で手招きしている。
姫様が私の手を引いた。
「さ、いきましょ!」
トルネコさんの案内で向かった先には簡素な木製の机と椅子が並べられ、
彼の息子さん(彼の名前は何だっただろうか)と奥さんが料理を並べて、色とりどりの紙を切った飾りを作っている。
「なんだか楽しそうですね」
私はトルネコさんの息子さんの近くに膝をついて、彼の作業を眺めた。
「ほら、こんなにありましたよ」
トルネコさんはサンタクロースのように大きな布の袋をどさりと置いて見せた。
中身は…手紙だ。可愛らしいイラストの描かれたもの。鮮やかな色彩で飾られたもの。
シンプルな封筒に年季の入った筆跡で宛名のかかれたもの。
幅広い層からの応援であることかが、すぐに見て取れた。
「旅の間に我々に届いた応援の手紙や、昨日一日で集まった感謝の手紙ですよ」
「…これは…たしかに。勇者様も喜びますね」
「じゃろうな」
そこにマーニャさんとミネアさんに引っ張られるように勇者様が現われた。
可愛らしく飾り付けられた家庭的な宴の席にきょろきょろと周囲を見回す。
戸惑いながらも笑顔だ。
「もう、みんな手伝いに呼んでくれないなんてひどいじゃないですか」
「だって、今まで一番がんばったじゃないの。今日くらい楽をしなさい」
マーニャさんが勇者様のクセ毛をぽんぽんとからかうように撫でている。
こうして眺めているとまるで勇者様も三人目の姉妹になったかのようだ。
「……あたしだって、皆と楽しく準備したかったです」
「驚いた?」
「……正直、嬉しいです!」
勇者様は私の見ていた手紙を見つけて、目を輝かせた。
「やっぱり、あたし、がんばってよかったです!」
一枚一枚に目を通しながら、勇者様は目を擦った。
そんな姿にこれまで沈黙を守ってきたライアンさんが隣に座った。
「……それはバトランド語だ。読んで差し上げましょうか?」
「お願いします!」
「さぁ、打ち上げ開始としましょうかね。さて、我々皆が今まで命を懸けて戦ってきた成果がようやく実り……」
トルネコさんが何やら長くてありがたい挨拶をしている間にマーニャさんと姫様が率先して、
料理をつまみだした。正直、私もトルネコさんの話はしっかりと聴いていなかったが、失礼極まりないので姫様を窘めるべく
彼女に向かって静かに座っていてください。と身振りで伝えた。
と、そのとき。
「……というわけで、クリフトさん。お誕生日おめでとうございます!」
「おめでとう!」
「おめでとうございます!」
私は突然の祝いの言葉と盛大な拍手に頭が真っ白になって、時間を忘れた。
「……え……?」
ようやく出た声は呆けた一文字だった。
姫様とクリスそれぞれに私の手をとって、強引に握手を交わしたかと思うと強引に振り回す。
「クリフトさん。前に言っていたじゃないですか!
誕生日がわからないって!」
「だから、デスピサロをやっつけて魔物との戦いが終焉した記念日をクリフトの誕生日にしちゃおうよ!
って皆で話をしたの。そうしたらクリスがね、皆でお祝いをやりましょうって考えてくれたの」
ブライ様が咳払いを一つした。
「そうそう、ブライがね、私が今日一日公務を抜け出せるように上手く手配してくれたの」
「明日からのスケジュールはパンパンに詰まってしまいましたがな」
姫様が私に小さい包みを差し出した。
「はい、プレゼント!」
「……はぁ」
私は戸惑いつつもありがたく受け取った。皆の反応を確認する。
からかわれているのではないだろうか、と表情を伺うが一様に笑顔で拍手を送っている。
……本当に私に向けられたものなのだろうか。
「早く開けてみてよ」
「はい……」
言われるがままに、遠慮しながら包みを開いた。包装紙を破らないように。
もし、私が謀られていたときには問題なく返却できるように。
入っていたものはペンだ。
「クリフトって、日記を毎日つけてたじゃない?だから、トルネコさんに調べてもらったの。
世界で一番いいペンを!って。
そうしたらね、バトランドの白樺を使った職人手作りのペン軸が一番なんだって。
それでライアンさんに手配をお願いして……。ペン先はキングレオの鉄がいいって話で……」
姫様が私のために考えてくれた品……。ブライ様が戦後のサントハイムの激務の中、都合をつけてくれて。
トルネコさんが調べてくれて、ライアンさんやマーニャさん、ミネアさんが手配をしてくれて……、
勇者様が企画をしてくれた……。
私のために考えてくれた。
「……私の誕生日なんですか……?」
呟くような私の独り言に、姫様が頷いた。
「世界中の人々がこれから、平和を喜んでお祝いをするの!
でも、その日が実はクリフトの誕生日!これって、すごくステキじゃない!?」
…………。
………………………。
「はっ。はは。あははははは!」
笑いが止まらない。なんておかしいんだろう。
私は自分が聖職者であることも忘れて、お腹を押さえて笑い続けた。
面白いというのに、なぜか涙が止まらない。
皆が驚いたように見ている。それでも止まらなかった。
「クリフト?」
姫様の声に私は思わず、彼女を抱きしめた。
姫様が驚いたように身を固めたことで、私も自分がしたことに気が付いた。
……ブライ様。今日だけは許してください。
「喜んでくれた?」
姫様が私の肩を優しく撫でた。
「……ありがとうございます」
「良かった。クリフト。いつもありがとう。これからも私を助けてね」
“これからも”。
私はようやく気が付いた。
元に戻るのではない。旅の間の経験や記憶がなくなるわけでもない。
そうだ。何事もなかったかのようにリセットすることなんて最初から不可能な話なのだ。
旅に出るまでの私。
旅をしていた私。
そして、今までの私という皮を剥いて生まれたこれからの私。より大きくなるために。
「確かに、地獄での戦いを終わらせた平和記念の日。
これ程に私に相応しい誕生日はありません」
マーニャさんが突然、発泡酒を振り出すと私にぶちまけた。
姫様も巻き添えをくって泡だらけになる。
「私達のところだと、おめでたいときにはこうやって祝うのよ」
私は酒が滴り落ちる程にずぶ濡れの髪を後ろに押さえ込めるように流すと、遠慮なく報復を開始した。
いつの間にか姫様も加わっている。
ブライ様は渋い顔ををして見ていたが、諦めたかのように笑うとトルネコさんの家族やミネアさん、
ライアンさんと共にテーブルに着いて、食事を始めた。
勇者様はテーブルに被害が及ばないように天空の盾でもって飛び交う発泡酒を防いでいる。
宴は空が茜色に染まるまで続いた。
全てに決着のついた日は、私にとって最も大切な日になった。
<fin>
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今回の~rapture~(狂喜)は、
一本目の救われなかった~despair~(絶望)と、幸せになればなるほどに不安になってしまう~paranoia~(偏執病)と、
何かしら病んでいたのに比べると、ハッピーエンドです。
旅の日常の間に人間らしい感情と表情を取り戻していく三人目君のお話でした。
(一週間七題:全てが終わる日曜日)