『yellow』
姫様は時に穏やかで、時には烈しく、時には非常にたおやかであられる。
私はそんな姫様を尊敬して止まないが、時折見せる彼女の向こう見ずな勇敢さには危機感を募らせている。
今日もそうだった。
姫様は早朝の稽古、と我々に伝えておきながら郊外まで一人で出向き、魔物を相手に技を磨いて帰ってきた。
過去にも何度か同じことがあった。
その都度、私やブライ様の二人がかりで、それが如何に危険な行為であるかをたっぷりと時間をかけて説明してきていた。
しかし、潤んだ瞳で睫を伏せて“可憐なお姫様”はこう言われる。「ごめんなさい。もうしないわ」と。
尊き王女の武器とはかくも強力なものだ。
何度も騙されてきた私だが、今日こそは騙されてなるものかと姫様の擦り傷を癒しながら自分に言い聞かせている。これも毎度のことだ。
「クリフト、ごめんなさい」
上目遣いに見上げて、唇を震わせて私に懇願するいつものパターンだ。
毎回同じの色仕掛け。私には効果覿面と知ってのことか。
何度繰り返そうと、何度危険な目に遭っても、そうすれば私がころりと騙されて懐柔できると考えているのだろうか。
もう一人の私が囁いている。姫様は反省している、もう許してやれ、と。
騙されたっていいではないか。
彼女がいるから、今のお前はこんなに満たされているのだろう?と。
しかし、私は同時に空しくなってしまった。
…私は姫様の道具ではない。その御身を思えばこその進言であるというのに。
私の思いなど伝わらない。伝わることなど、これから先にも有り得ない。
姫様にとって私は小うるさい家臣という名の道具の一人なのだろう。
「…姫様、私は何度もこうして申し上げてきましたね?」
「…うん」
勢いをすっかり失った私の声色に、姫様は手応えを感じたのだろう。
言いくるめるべく、身を乗り出して私の話をきこうと演技をしている。
呆れて溜息が漏れ出た。
「…………残念です」
それ以外に言葉が見つからなかった。
「え?」
姫様の表情がみるみる凍りついて、私の様子を伺っている。
彼女は今、不思議に思い、驚きに心を染めているのだろう。
道具の反撃はさぞかし心に沁みるでしょう。
「クリフ…」
「残念です。と申し上げました」
私は彼女の擦り傷から滲み出ていた血を拭き取ったままに手に持っていた布を机に叩き付けた。
激しい音と共に彼女の肩が上下する。
「…姫様は、なぜ我々が姫様のことをこんなに心配しているのかわかっていらっしゃらない。
私の気持ちもブライ様の気持ちも理解するよう努めるご様子でもない。これが残念と言わず何だとおっしゃりますか!」
「!」
私は苛立ちをなるべく隠すように努めていたつもりではあった。
その努力が何の効果もないことは分かっているものの、彼女が立ち尽くしているのを見ると大声を上げたい感情は止められなかった。
「姫、だからなんでしょ!」
「?」
姫様は先程までの大人しいお嬢様の仮面を脱ぎ捨てるやいなや、私に掴みかかる勢いで怒鳴りかかった。
「クリフトこそ、私の何を分かってるっていうのよ!あぁもう、姫になんて生まれた私の気持ちもわからないくせに
自分の勝手ばかり押し付けないでよ!」
……。私は姫様のおっしゃりたい内容について少し整理した。
つまり、“姫様、姫様、とちやほやされているけど、私個人の人格は誰も尊重してくれないのか?”とおっしゃりたいのだろう。
……ほら、何も分かっていらっしゃらないではないか。私は鼻で笑った。
「そこまで姫様が言われるのならば、もうお好きになされば良いでしょう。
せいぜい、魔物と楽しく格闘して、みっともなく怪我をされるでしょう。
そして、そのときに私の言っている意味がわかったとしても、私の力を求めてももう遅いということを存分に実感してくださいませ」
「それは、私の家臣を辞める、ということ?」
「どう受け取ってくださっても結構です」
私の返答を聞くと、姫様は顔を赤くして憤慨すると私に椅子を投げつけた。
微動だにしない私の頬を掠めるように背後に椅子は大きな音を立てて崩れ落ちた。
私はこれを“早く出て行きなさい”という命令だと判断した。
ここまで暴言を吐いた以上、ここにいられるわけでもないだろう。
私はさっさと背を向けた。
と、思うところがあって足を止める。
“もう一言くらい言って差し上げないと気がすまない”。
「姫様。…私は望まれて生まれたわけでもなく、望まれて育った人間ではありませんでした。
幼い頃の記憶といえば、痛かったこと、悲鳴をあげたこと。空腹だったこと。そんなことばかりです。
それでも、ここ数年間。サントハイムに仕え、姫様に喜んでもらおうと頭を使えて嬉しかったです。
それが私の独り善がりであったこと、とても残念です。…さようなら、姫様」
全て本音だ。
今、私の背後で姫様はどんな顔をしているのだろうか。
私の思いを知って少しは同情し、反省してくれているのだろうか。
それとも、恩着せがましい戯言を、と苛立っているのだろうか。
そんなことも最早どうでもいい。
私はこの旅を抜けることを勇者様に報告するのだ。今日を決意を固めた記念日にするために。
私は強めにドアを閉めて歩みを進めた。
「そんなに落ち込むくらいなら、何でも言うこと聴いていればいいのに」
「……そんなことできませんよ」
そんなことが出来るなら、今ここで荒くれてはいない。
勇者様が私の目の前のアルコールのボトルを気付かないようにカウンターの脇に下げようと手を伸ばしたのを見て、
すかさず阻止した。鮮やかなエメラルド色に塗られた爪が戸惑う様に宙を踊る。
「…そんなにお酒強くないじゃないですか」
「たまには壊れるほどに飲んでみたいと思ってました」
勇者様はオレンジジュースのグラスを目の前で弄んでいたが、
会話に困るたびに無理やりに口に流し込んでいる。
…それぐらい分からないと思っているのでしょうか。
居辛いのならば、一人にさせてくれればいいのに。
「あれ、クリフトさんって成人しているんですか?」
「“推定”で18です。誰も私の本当の歳も誕生日も分かりませんよ」
「…大体その推定で合っているんじゃないですか?
例え周りの人達が興味なくても年数くらいははっきりしているものだと思いますよ」
…普段は私もそう思っている。
「あんまり拗ねないでくださいよ」
「誰が拗ねているものですか」
「クリフトさんですよ」
私は空になったボトルをカウンター越しに返して、次のものを要求した。
「じゃぁ、今日から私は“クリフト”を止めます」
「何ですか、それ」
勇者様もオレンジジュースをおかわりしている。
薄暗いバーカウンターにオレンジジュースの黄色が鮮やかに映える。
居辛いなら去ってもらって構わないというのに。
「もう4杯目ですよ。もうおやすみになったらいかがです?」
「残念、7杯目です。…クリフトさんこそ、何本目か分かってますか?」
「2本目です」
「…3本目ですよ」
彼女はそんな嘘をついて何が言いたいのだろう。
最初の一本目はすぐに空けて、次のボトルは先程、マスターに返した。
あぁ、これで3本目か。
「だから、なんだっていうんですか」
「ラ、もう、リ、寝たほうが、ホー、いいですよ、マ」
何だ?彼女の話し方が不自然………。
次の日の朝、私はベッドの中に安らかに横たわっていた。
私の目をこじ開けたのは激しい頭痛と胸焼けだ。
「…飲み過ぎた…」
そういえば、どうやって部屋まで戻ったんだろうか。
勇者様と話をしていたところまでは覚えているのだが…。そこで私は考えることをあきらめた。
私はふらふらと水を探そうと、ベッドを出た。
白い朝日の中に揺れるカーテンが実に爽やかだ。
それを楽しむ余裕など在りはしないが。
「…!」
そのカーテンの向こうに見えた黄色の服と紫のマント。
向かう先は街の郊外。
「…昨日、あれほど申し上げたのに…」
私は追いかけるべきか、放っておくべきかしばらく考えた挙句、仕方ない追いかけることにした。
この忠義心には自分でも驚きだ。
私は急いで追いかけた。なんと体の重いことだろうか。
自分が走る振動で頭が割れそうな上に、胃が上下するたびに戻しそうになる。
どうせ生まれつくのなら、酒に強く生まれればよかったのに。
私はなんとか姫様の姿が見えるところまで追いついた。
彼女の向かった先は町の外ではなく……小さな町の道具屋だ。
「…あれ、クリフト、大丈夫なの?」
「…はい?」
さっぱり意味が分からない。
「クリスに言われて二日酔いのお薬買いに来たの。…“絶対にクリフトさんに必要だから”って」
「…また街の外に抜け出そうとしたんじゃ…?」
「なんで?」
姫様は不思議そうに首を傾げている。
何だ、私の勘違いか。…そう思うと力が抜けて膝が砕けた。
「…う…」
胃からよくないものがこみ上げて、私は口元を押さえて不快感を必死に耐えた。
「ほら、無理するから」
私は青い顔に冷や汗を浮かべて、屈みこんだ。
背中を擦られている私はなんと情けないことだろう。
「ほら、帰るわよ。…今日は一日寝てなさいね」
目の前を包み込む柔らかい黄色。
軽々と私を抱き上た姫様はなるべく揺らさないように静かに歩き出した。
こ、この格好は…。
「姫様、あの、後ろに背負っていただけませんか?」
これではお姫様抱っこだ。
「この方が揺れないかな、と思って」
お姫様抱っこの恥と、姫様の前で胃の中の物を戻す恥を天秤にかける。
「このままでいいです…」
「でしょ。昨日の夜もこうして運んだんだから」
昨日…?まさか…。
まだ人の少ない早朝で助かった。この逆王子体験の目撃者も最小で済む。
私は知ってしまった恐ろしい現実を忘れるべく、無理やりにでもそう思い込むことにした。
二日酔いの所為なのか、羞恥の所為なのか。頭痛は激しくなる一方だ。
「--」
姫様が私にささやいてくださった“らしい”。
耳鳴りでよく聞こえなかったが、朝日の逆光の中、私を見つめているのだからきっとそうだろう。
「…-------」
よく分からなかった上に唇も逆光の暗がりで読めなかったが、
私は青い顔のままに必死に微笑んで見せた。
「…次も私に“ぶりっこ”なんてしてみせたら、また怒りますからね」
姫様も微笑んだ。よく聞こえるように大きめの声で。
「“ぶりっこ”じゃなくて本気だったとしたら?」
「…悪魔です」
next
back
ウィンドウを閉じて戻ってください。
飲んだくれるクリフトが書きたくて、気が付いたら長くなった。
聖戦君、栄光君は旅の最中に成人したことになってますが、三人目君は若いイメージで書いてます。
聖戦君は楽しいお酒が飲めるし、栄光君は楽しいお酒にならないのを自覚して飲もうとしない。
というか、聖職者が酩酊するのはどうかと思うけど、三人目は割と破壊僧みたいなことしがちなので解釈違いだったらすみません。
未成年の飲酒はダメ、絶対。……だけど、20歳にならなきゃ飲んではいけない世界なのかはわからない……。
(一週間七題:それでも廻る土曜日)