『そうぞう』



 暗い瘴気のガスの中、私達は地底へと向かって進んでいた。
 私の横でマーニャさんが何度もむせている。 せめて、と私はハンカチを差し出した。
 戦闘を歩く勇者様とライアンさんが話をするのが聞こえた。
「伝説の魔王を倒したら、ライアンさんはどう考えると思いますか?」
「……そうだな……。倒した暁には、“やはり間違いはなかった”とかつての自分を褒めてやりたい」
「……そうですね。あたしもきっとそう思います。“村の皆の願いの分も戦ったよ”って。 伝説の魔王を倒せはデスピサロの思惑も破れるわけですし、後はデスピサロを一発殴ってやります」
 二人の会話を聞いて、マーニャさんが金切り声を上げた。
「ああ!もう、あんた達の会話はどっか辛気臭いのよ!もっと明るい会話は出来ないの!?明日死ぬわけじゃないんだし!」
 ……死ぬかもしれないから、こういった話をしていると思うのですが。それに、まだデスピサロやサントハイムの人達のことは解決していません。だが、私は空気を読んで、その言葉を飲み込んだ。
 私の無言の分も姫様が明るい声で答えた。
「じゃぁ、私はエンドールでマーニャさんと一緒にカジノ行ってみたい! 美味しいものも食べたいし、皆で楽しく遊びたい!」
 トルネコさんも頷いている。きっと、彼が家に残してきた家族のことを思っているのだろう。 ミネアさんも嬉しそうに微笑むのが見えた。
 ……彼らは生きていたいのだろう。
「……姫様、カジノはいけません」
「えぇー!クリフトの意地悪!」
 私はいつも通りに姫様に注意しながら、それでも理解していなかった。生きたいという願望について。
 たとえば、私はこれから戦って死んだとしよう。……伝説の魔王と戦って死ぬ。そして、私の命を使って魔王という神の敵を勇者様が倒す。これ以上に幸せな最期があるだろうか。私の生きてきた意味、死ぬ意味とするには最高級だ。
 更に私は姫様が生きていたいと望むのであれば、全力で盾になることもできるのだ。



*****************
 伝説の魔王エスタークは巨大で凶悪であった。
 眠っていながらも、魔力で我々を威嚇し続けている。 私は直感的に、“死を招く言葉”は通じないことを悟ると、素直に勇者様の命令に従って仲間達の癒しを行ってに引き受けて立ち回った。

 マーニャさんとミネアさん、ブライ様の攻撃の呪文が荒れて、姫様とライアンさん勇者様、トルネコさんの攻撃が辛抱強く続けられると、気が遠くなるような時間の後に、ようやくエスタークが膝をついた。
 伝説の魔王の耐久力にも底が見えた。
 勝利を確信した仲間達は更に勢いを付けて、攻撃を続けた。

 朽ち果てる寸前の魔王が最期の足掻きに剣を振り上げた。
「みんな、避けてください!」
 勇者様の焦った声が聞こえたが、とても間に合わなかった。
「クリフトさん!」
 避けることなど到底不可能なエスタークの剣が眼前いっぱいに広がった。 私は抵抗をやめて、両腕を開いた。ようやくこのときが来たのだ。
 さぁ、私を殺してください。

「クリフト!」
 私は何かが横から飛び掛ってきた何かと、共にエスタークの剣に弾き飛ばされた。
 思い切り大地に体を打ち付けられ、激痛に喘ぐ。 呼吸と共に肺に詰まった血液を吐き出して咳き込んだ。……追撃はない。勇者様達が抑えているのだろうか。
 私は、上に伸し掛かる重たいものを退けようとして、愕然となった。
「……ひ、め…さま…………!?」
「……っ。ク……リ……」
 震える腕を大地について、姫様が私を優しく見つめた。 喋ろうとした姫様の口の端から流れ出た血が、私の頬に落ちる。
「だいじょうぶ……?良かった……」
「ひめ……さ……ま……、どう、して…………?」
 姫様は白い顔で微笑んだ。
「やくそく、したもの。……あなたを……まもるって……」
 約束……?そういえば、私が城に来たときに。
 私はようやく気が付いた。
 姫様はずっと、約束を守っていてくれたのだ。
 姫様もブライ様も、私の持つ力を恐れていたのではなかった。
 私が平穏に生きていくことができるように、 私が死を呼ぶ力を使わずに生きていけるように。
 私にずっと“生きていく”ことを望んでくれていたのか。

「……っ」
「いきて…」
 姫様の体から力が抜けて、私の上に覆いかぶさった。
「ひ、めさま……!」
 私は正常に機能していない肺を、無理やり動かして呪文を唱えた。  白い光が姫様を包んだ。……呪文はなんとか成功したのに、
「……どうして……?」
動かないのですか……?
 私はもう一度、呪文を唱えた。
 夢中で呪文を唱える口は時折、詰まる血液に言葉にならなかったが、それでも何度も呪文を唱えた。
「……ひめさま……」
 私は重たく、冷えていく。自分の胸の上の姫様の頬に恐る恐る触れた。
 死んでいく。姫様が死んでいく。私のために姫様が死んでしまう。
 私はあまりにも自分が無力であることを悟ると、涙が溢れた。
 ごほり、とまた血がこみ上げた。私も死ぬのだろうか。
 ブライ様が、神父様が、そして、今まで姫様が、今まで守ってくれたのに。
 私のことを想っていてくれた、と、ようやく知ることができたのに。

 死にたくない。このまま死にたくない。
 私は血液を失いすぎて、視界が霞み出したことに気が付いた。
 霞む視界に、見覚えのある風景が浮かんだ。……ここは、サントハイム城の待合室……。 確か、私が城に来て姫様に仕えることを許された日。 何人もの大人がいて、その中にいる幼い頃の姫様が私に向かって笑った。
『大丈夫だからね。必ず、私が守ってあげるから』
『……生きたいです……』

 そうだった。私はずっと、“生きたかった”のだ!
 すでに遅いかもしれないが、私は生きていたかった。そう願って、姫様の元にきたのだ。

 私はタナトスの申し子であったが、エロスの申し子でもあった。 私は生と死、愛と破壊、その両方の本能を持っているのだ。 いつぞに死霊と交わした問答の意味も今ならわかる。人間とは相反する、両方の本能を持っているのだ。

 そうか。私は、ようやく人間としての感情を完全に取り戻すことが出来たのだ。 私は姫様のおかげで人間として生きられるという、確かな真実。
 私は体の上で冷たくなっていく姫様を抱きしめた。
 私、一人では意味がない。姫様もいなければ意味がない。 姫様がいるから私は人間らしくあることが出来るのに。 生きたい。いつまでも、姫様の側に在りたい。

『クリフト。いつでも人の命を愛して大切にするんだよ』
 誰かの声が聞こえた。暖かい声に私は心が落ち着いていくのを感じた。そして、その誰かの声に向けて答えた。
「わた……しは……いのちを……あいしま……す」
『では、唱えなさい。エロスの言葉(ザオリク)を』






*****************
 数日後。
「クリフト!早く!置いて行くわよ!」
「姫様、まだ無理をなさってはいけません!買出しなら私一人でも大丈夫ですから」
 私は急かして声を上げる姫様に慌ててそう答えると、神官服のボタンを留めて、ドアを開けた。
 その向こうには、いつも通りに笑う姫様が。
「クリフトこそ大丈夫なの?」
「私はいつでも大丈夫です。姫様の安静になさってくださることが一番です」
 実はまだ眩暈がするときがあるのだが、私はそれを押し隠して強がった。
「大丈夫よ。クリフトの呪文のおかげで、もうなんともないから!」
 ね?と姫様は頷くと私の腕を引っ張った。
「姫様。そんなに慌てては転んでしまいますよ」
 私の抗議の声に姫様は足を止めた。
「もう。クリフトはいつも煩いんだから。本当に一人で行く?荷物いつも持ちきれないくせに」
「いえ……」
 私は愉快に思って笑った。 こんなありふれた日常から、ずっと姫様は約束を守ってくださっているのだ。
「いつでも、お側にありたいです」
 今度は私が、姫様の腕を取って駆け出した。






<fin>
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七題のお題を借りて進めてきた、七本目のcurse of the beastです。
お題と言いながら、お題が後付だったこともありましたし、 次は縛られることなく自分の力で書くかもしれません。

各話で語られている、過去の出来事に関しては共通でしたが、 一つ一つの展開や結末に繋がりはありませんでしたし、 どこかで幸せっぽい終わりを迎えても、また別では不幸に終わっていました。
しかし、全てが三人目のクリフトの側面を切り出していったものです。
~imprisonment(監禁)~では、勇者になりたかったクリフト。
~catharsis(浄化)~では、愛する者を頼る壮大な裏切りを。
~insomnia(不眠症)~では、アリーナから見たクリフトの儚さを。
~despair(絶望)~では、誰にも救いのない諦めと絶望を。
~rapture(狂喜)~では、人間らしさを旅を通じて得ていく日常を。
~paranoia(偏執病)~では、手に入れても駆り立てられる不安、永劫に繰り返される不審を。
今回のエスターク戦など、あえて聖戦・栄光で取り入れたものと同じシーンを選びました。

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(色彩七題:赤は僕に笑う)