奈落の底まで、貴方の誤解を沈めて、黙る。
 私は、貴方の武骨な指先の動き一つからも、その誤解を利用する。
 ……利己的な私に、きっと気が付いているでしょうね。
 今日も話をしましょう、Curse Of the Beast~balancer~(安寧の日々を求める歩みのままに)



『誤解をしているのは誰か』


 その日、戦士と二人きりになったのは偶然だった。
 暗い洞窟の中、私は彼の背後を守るように連れ立って進んだ。
「…………」
 彼は無言だった。そして、私も無言だった。
 焦りもあったのではないかと思う。
 仲間達と進む探索の途中、足元が崩れ、私を救おうと腕を掴んだ戦士ごと滑落したのがつい先ほどのこと。洞窟から脱出する呪文を使えない私は、自らの不甲斐なさと彼を巻き込んだ申し訳なさの気持ちに苛まれている。
 幸いなことに私は癒しの呪文は得意だった。そして、彼は屈強だった。怪我によって歩みを止めることはなかったが、声を張り上げても仲間達の反応はなく、ただ魔物を呼び込んだだけであった。
 先導する彼が持つ、今にも消えそうな松明の光も頼りない。足元もゴロゴロと転がる拳のような岩が散乱しており、歩くだけでも気が抜けない。
 気をつけねば、と改めて思ったその瞬間、足を置いた先の岩が滑った。
「!」
 咄嗟に手を伸ばした先の戦士が、反射的に私の腕を取り、私は前方に倒れ込まずに済んだ。
「……ありがとうございます、ライアンさん」
 また、借りが増えてしまった。私は苦笑いした。
 松明にうっすらと照らされて鈍く反射して見える鎧の影に、険しく気難しそうな表情を浮かべているだろう彼が、進む先を横目に見ているのがわかった。
「いや、怪我をしなくて何よりだ。見ろ。水源があって足元が濡れている。この先はより地下へと降りていくようだ。引き返そう」
 私も照らされた進行方向が、より深くから迷わせようと暗い口を開いていることを悟り、頷いた。

 引き返して地上を目指す道中も、どれ程の時が経ったか、今が昼なのか夜なのかもわからなくなってきた。
 私の疲労で足が重くなっているのはもちろんのことだが、私をかばう様に先導して歩く彼も歩みが慎重になるかのようにペースが落ちていることに気が付いた。一度、休もう、そう提案しようとしたとき。
「クリフト殿、前から2体」
 松明の光に微かに反射する赤い鱗の爬虫類。テラノザースか。
 私は呪文の詠唱を始めようとしたが、制するように魔物に対峙する戦士は、まるで私に手を出すなと言わんばかりに魔物に先んじて斬りかかった。狭い洞窟の中では思う様に剣を取り廻せず、踏み込みも満足にいかないだろうことが、普段との彼の動きの違いでわかる。
「くっ」
 魔物の鋭い爪が、彼の太ももを掠め、散った生温い鉄の匂いが私の頬に飛んだ。
「ライアンさん!援護しますから、あまり無理をなさらず……」
「かまうな!クリフト殿は後で回復を頼む!」
「……っ」
 私に手を出させたくないだろうことは、どうやら間違いないようだった。
「しかし……!」
 私は歯噛みした。
 まさか、私は庇われているのか。
「ベホイミ!」
 私は叫ぶように回復呪文を唱えた。そして、続けて即死呪文の詠唱を始めた。
 私は庇われなければいけないような、回復呪文だけの頼りない存在だと思われていると考えると癪であった。
「その呪文は不要だ」
「!」
 私ははっきりとした拒絶の言葉に拳を強く握りしめて葛藤を隠すと、詠唱を中断した。
「……ライアンさん!」
 私の抗議の呼び声を無視するかのように、戦士は魔物の牙を腕に受けながら、その牙を強引に引き離すように、テラノザースの喉に剣を突き立てた。

 魔物が二匹とも息絶えたのを、しばらく眺めて確認すると戦士はようやく剣を納めた。魔物の牙が食い込んだ腕の傷は深く抉れている。平然を保っているように見えることは尊敬に値する。
「無事か?」
息が上がって、魔物からそれでも目を離さないまま、私に向かって掛けられた言葉はどこか妙に優しく感じた。
「……えぇ、お陰様で無傷です。ありがとうございます」
 若干の憤りが言葉の端に出てしまったが、前に立って傷を負ってくれたことには感謝をせねばならない。私は回復呪文を唱えながら、彼の腕の傷に手をかざした。
 戦士はようやく私に向かうように振り返った。
「すまんな」
 柔らかい調子の労いの言葉と共に、ポンと肩にそっと手を置かれた。
 私はその反応にようやく得心した。
 黙っていようかとも思ったが。私は苦笑したのを隠すように顔を背けながら訪ねた。
「…………私を誰かと重ねていますか?」
 横目に様子を見ると、戦士の表情は変わらなかったが、カイゼル髭だけが一瞬何かを言いかけてぴくりと動いた。
「……重ねているわけではないが……、知り合いには似ているな」
 思い出すかのように視線を彷徨わせた様子に、私は一呼吸置いてから釘を刺すべく口を開いた。
「私はきっとその方とは違いますので、無理に私を庇わなくてもよろしいかと思います。私は私で戦えますので」
「う……む……」
 歯切れの悪い様子で言葉を探る様子に私は畳みかけた。
「いくら私が癒しの呪文を唱えようとも、怪我をする様子を見たいと思っているわけではありません。お一人で前に出て、負わなくても良い怪我をせずとも良いのです」
 私は年上の戦士への敬意をこめて、言葉をよく選んだ。選んだが、それでもはっきりと伝えたつもりだ。
 その"知らない誰かへの思いに付き合わされて連携を乱されるのは迷惑である"と。
「すまなかった。クリフト殿の言う通りだった。そなたの剣の腕、呪文の才を信じていないように思ったらすまない」
 戦士はあっさりと非を認めた様子で、兜をとって頭を下げた。
「……え、その……」
 その大げさな反応に、私は言い過ぎただろうかと背が冷えた。
「だが、一つだけ言わせてくれ」
「……?」
 生真面目そうな変わらない表情と眼差しが、揺るぎなく自分を見据えている。私はその強さに圧倒された。
「そなたは俺の友人に似ているが、似ているだけだ」
「それは……どういう……」
「俺の友人は回復呪文が得意で、愛情深く、素直で正直だ。俺はその信頼に応えたはずだ」
 少しずつ理解してきた私は目を細めた。
「クリフト殿はどこか似ているが、俺はその友人と同様だとは思っていない」
「…………それは……。何も知らず、友人とのご関係を貶めるようなことを申し上げ失礼しました」
 今度は私が帽子を取って頭を下げた。恭しく丁寧に。
「……む……」
 戦士は戸惑った様子で兜をかぶると私に背を向けた。
「行こう。早く仲間たちと合流せねばな」
「……そうですね」
 私も気まずい空気から逃げるように頷くと彼の後について歩き出した。



next

ウィンドウを閉じて戻ってください。