なんて情けないんだろう。
 なんて非力なんだろう。

 どうして、こんなに何もできない人間なんだろう。




 目を開けると、それは見慣れない簡素な作りの天井。
「……」
 横を見ると、布張りの壁。
 思い出した。
 そうだ。不覚にも魔物の接近に気が付かなかったんだ。
「痛っ」
 思わず顔を歪めた。体を起こそうとすると、そこら中が痛い。癒し手が不足している中、 薬草で簡易的な手当がされていた。 最も痛む、左わき腹に手を当て呪文を唱える。
「…ベホイミ…」
 引いていく痛み。
 倒れていた間に少し体調は回復したんだろうか。気持ち、頭が冴えている。
 周りを見ると誰もいない。外を覗いてみる。夜だ。火が起こされ野営の為の炊事が行われていた。 砂漠の夜の冷たい空気に寒気が走る。思わず肩を抱いた。
「あ、クリフト!もう起きて大丈夫なの?」
 アリーナがすぐにクリフトを見つけ、馬車へと駆け寄った。
「あ、姫様…」
 申し訳なくてつい視線を落としてしまう。
「…すみません、ご迷惑をおかけしてしまいましたね…」
 アリーナは困ったように笑うと、温かいスープをクリフトに渡した。
「みんな、疲れているのに気が付かなくて悪いことをしたな、って言ってたわ」
「……すみません」
 疲れている、疲れていないの話ではない。“すぐに体調を崩す不甲斐ない自分”が憎い。 スープの温かさに背筋が震えた。
「だいじょうぶ。早く傷を治してね」
 アリーナは馬車に入って隣に座る。指先がクリフトの腿に触れて慌てて手を膝の上に乗せた。

「…しばらくは、馬車で休んでなきゃだめだよ」
 アリーナは熱いスープに口をつけると、ほぅっと湯気を吐いた。 クリフトもその横でスープをのゆっくりと飲む。いつの間にか再び頭が熱くなってきた気がする。
「砂漠の夜って星がキレイよね」
「…雲が少ないですからね」
「砂漠ってそういうものなの?」
 アリーナは感心したようにクリフトの方を向く。
 近い。
 いつもよりも近いクリフトの顔は艶っぽく見えた。
「えぇ、それで昼間は日差しが照りつけ、夜は空がよく見えるのです」
 クリフトは食の進まないスープを無理やり飲み込むとカップを隣に置いた。
「空気中にも地表にも水分が少ないので昼夜の温度差も激しくなるのです」
 サントハイムの砂漠ときっと同じなんだろう。ぼんやりと思い出しながら クリフトはその知識を語っていく。 アリーナはよく分からなかったが、相槌を打つようにわかったような顔で 頷いた。
「そうなんだ」
 耳鳴りが止まらず、アリーナの返事がよくわからない。
 それにしても、夜の砂漠は恐ろしく寒い。 寝かされていたときに掛けられていた毛布に手を伸ばす。アリーナも 風邪をひかないように、と二人の膝にかけた。コートの首元のボタンを閉める。
「あの星はなんていうのかな?」
 アリーナは再び夜空を見上げると、一際輝く星を見つけ指差した。
 クリフトも見上げる。
 あの星の名前はなんだったか。知っているはずなのに思い出せない。
「何だったかな…?」
「クリフトもうっかり忘れちゃうことあるんだね」
 先生だとばかり思っていたクリフトも忘れてしまうこともある。なんと親近感の 沸くことか。アリーナは嬉しいような気がした。
「そういえば、あの星…薔薇窓からよく見えていたな…」
 思い出す大聖堂の薔薇窓のすき間から見える光。同じ年頃の友達のいなかった あの頃はよく一人で星を見ていた。

 どうして、自分は孤独なのだろうか。

 どうして、神様は僕に孤独を与えたのだろうか。


 それにしても寒い。

 左肩が暖かい。暖かいものがある。
 思わず、そっとその暖かさにすがる。

「…!?」
 アリーナは思いもよらない事態に顔を赤くして固まった。あのクリフトが今、 自分をすっぽりと抱きしめている。
 声にならない声が出て口がパクパクと開いては閉じる。
「ク、クリフト…?」
 やっとのことでギクシャクと顔を動かし声を出す。
「…暖かい…」
「?!?!」
 おかしい。何もかもおかしい。これはクリフトじゃない。
 ドキドキする。胸が痛いくらいに。
 でも、クリフトはこんなことをする人ではない。少し怖い気もした。
「クリフト、ほら、ちょっとしっかりして…」
「…あ、アリーナ様……」
 クリフトはようやく顔を起こした。熱っぽい声が耳元で響く。また胸が痛いくらいに高鳴る。
「……ごめんなさい…」
 
 何もできなくて。

 アリーナの耳に届いたその言葉は幻聴だったのか。
「…え?」
 アリーナが聞き返そうと思ったとき、静かな寝息が聞こえてきた。寝ぼけていたのか。
「……なによ、これ」
 アリーナは行き場のないもどかしさに思わず呟いてしまう。
 ゆっくりとクリフトを再び横にしてやって、馬車の外に出た。
 火を囲みながらブライが騎士達と今後の進路や方針について話あっている。クリフトの件があったために、 状態の見直しを図るためだ。
 アリーナもその話に加わるべく一歩を踏み出したそのとき。








(さっき…敬語じゃなかった。
 それに、クリフトはもう10年近く私を“アリーナ様”と呼んでない)



 得体の知れない不安。
 アリーナは思わず馬車を振り返った。

(クリフトまでいなくなるなんてこと…ないよね…?)




 不吉なまでに透き通った空の下。
 早く城のみんなが帰ってきますように、とアリーナは願った。






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これ、ただの風邪みたくなってしまった…。か、風邪は万病の元って言いますしね…