『病魔』



 何度目かの砂漠の太陽。
 昼は肌を刺し貫く日差しが照りつけ、黄金色の砂は陽光を反射させ瞳を痛めつける。 夜には正反対に真冬のような冷たさの風が駆け抜ける。
 全く過酷な環境だ。
 強い風に巻き上げられた砂が目に入ったのか、アリーナはごしごしと目を擦る。
 馬車の中からずっと、暑さに耐えていた。
 体力を奪われる昼間に休み、移動は夜のうちに行う。 それは、この砂漠について知識と経験の深いブランカの銀獅子騎士団の提案だ。 それをはじめとした優秀な提言の数々にアリーナ達は随分と救われている。
 エンドールの町でもブランカの町でも何も手がかりを得ることができなかった彼らは、 騎士団の手助けで現在、三台の馬車でキャラバンを作り、東ブランカ砂漠を横断している途中だ。 彼らの馬車がなければ、この砂漠を越えるどころか一日をもたなかったかもしれない。 馬車の外では四人の騎士が魔物や盗賊を警戒して付いていてくれている。

 アリーナ、クリフト、ブライは馬車の中からその砂ばかりの風景を眺めていた。 それは殺風景なようでいて、風が気まぐれに作り出す砂の波模様が風光明媚だ。 想像以上に彼らの時間潰しになっていることには救われる。
「この砂漠を抜けたら、どんなところに出るの?」
 ヒマを持て余したアリーナの問いにクリフトは荷物の中から地図を探した。地図で見ても 冗談にしか思えないほどの広大さの砂漠を指でなぞる。
「…アネイル…という町に出ます」
「どんな町かしら?」
 アリーナは水を飲みながら、緑の風景に思いを馳せた。それはクリフトもブライも同じだった。
「温泉が有名な町ですよ、お姫様!」
 馬の手綱を握る騎士が振り向いて教えてくれるその言葉にアリーナは小首をかしげた。
「…温泉?」
 サントハイムに温泉町はない。
「大地から水が湧き出るように、お湯が湧き出ておるのです。 それらには薬効がありましてな。ワシも腰痛に効く温泉に浸かりたいものですな」
 ブライのわかりやすい説明にアリーナはポンと手を打った。
「体にいいのね!リラックスしたりできるのかしら?」
「そりゃぁ、もう」
 砂漠に飽きたブライのうっとりとした表情にアリーナは目を爛々を輝かせた。
「私も入りたいわ」
「そうですなぁ。早く砂漠を抜けて温泉に入りたいですな」
「ねぇ、クリフト!楽しみね!」
 アリーナはずっと黙りこくったまま風景を眺めるクリフトへと目を向けた。
「…………」
「…クリフト?」
 返事も返さず、うつろな目で風景を眺め続けるクリフトにアリーナとブライは顔を見合わせた。 ブライがいそいそと両手を突きながら這うように横までやって来ると、思い切って杖で肩を小突く。
「…あ、ブライ様。何かしましたか?」
 我に返ったクリフトは慌てて意識を集中させた。ブライが怪訝な表情で見ている。その後ろでは アリーナが心配そうな表情でいるのも見えた。
「具合が悪いの?」
「大丈夫です。同じような風景をずっと見ていたら…ついぼうっとしてしまいました」
 ばつが悪そうに笑うクリフトにブライはため息をついた。
「…心配させるでない。無理をしてはいかんぞ」
「そうよ。無理しちゃダメだからね」
「はい」
 きっと、疲れているんだ。アリーナもブライも本人のクリフトもそう思った。 何しろ、砂漠に生息する魔物は強力で毒をもつ種族もいる。聖堂騎士団には 回復魔法の心得を持つものも多いが、その過酷な戦闘にクリフトも癒し手として 駆り出され、昼夜を問わずに治癒や解毒の呪文を唱え続けていた。
 もちろん、薬草を使ってアリーナもブライも手伝ったが魔法を扱うクリフトの消耗は 激しかった。規則正しく毎朝起きるクリフトが昼まで起きられないこともあったほどだ。

「そうだ!ブライ、ヒャドしてヒャド!」
 アリーナの突然の提案。少し考えてブライもその趣旨に気が付く。冷房代わりだ。
「そうですな。やりますか」
 騎士団のおかげで戦力は豊富だ。ヒャド一回分くらいの消耗も問題ないと判断し、 張り切った様子で腕を捲くり杖を構える。
(そういえば、砂漠のバザーでもそうしている店があったな)
 クリフトはぼんやりと思い出しながら彼らを眺めていた。
「涼しいー。生き返るー」
 今にも氷の塊に飛びついて食べてしまいそうなアリーナを見てクリフトは力なく微笑んだ。

 むしろ、寒いのはどういうことだろうか。

 熱でもあるのだろうか。クリフトは自分の額を触る。熱いかもしれないし、そうでもないかもしれない。
 頭が重い気がして、額に手を当てたままその重さを支え項垂れた。
(…この状況で…)
 具合が悪いなんていってる場合ではない。砂漠越えは死と背中合わせなのだから。
 情けない。
 自分の体力のなさが疎まれる。
「クリフト、やっぱり疲れてるんじゃないの?横になった方が…」
 顔色の悪いクリフトの前に膝を付き合わせるようにアリーナが座り込んで顔を覗きこんだ。
「…大丈夫ですよ」
「本当に?」
「本当です」
 繰り返される質問。
「じゃぁ、本当に無理しちゃダメだよ」
「はい」
 声が擦れないように必死に声を出す。
「じゃぁ、アネイルに着いたら一緒に温泉に入ろうね」
「……?!」
 言葉を文節ごとに分解して、もう一度意味を考える。意味をとり違えていないか。 しかし、何度考えても同じ意味だった。
「…え、姫様、一緒に…?」
「うん。一緒に」
 ブライの顔がみるみる真っ赤になっていく。逆にクリフトは青く冷えていく。
「それは、ちょっと…」
「え、なんで?」
 心底不思議そうなアリーナの横でブライが咳払いをした。
「姫様、温泉というのはお風呂のことですぞ」
「……」
「……」
 アリーナの顔もすぐに真っ赤になっていく。恥ずかしさのあまり視線を泳がせながら なんと言い訳しようか考えているようだ。そんな様子にいたたまれなくなったクリフトは 重い腰を上げた。
「…そろそろ交代の時間だと思いますので、行ってきますね」
 剣を手に馬車の外に出て行くのをアリーナは真っ赤な顔でおろおろと見守るしかなかった。


 癒しの呪文を扱う騎士と交代して、馬車の周りを警戒するために持ち場につく。
(……暑くない…)
 体調が悪いのは間違いない。だが、これは逆に過ごしやすくなって良いのかもしれない。
「うわ」
 クリフトは砂に足を取られバランスを崩し、思わず膝を突く。
「……っ」
 立てない。
 ぐらりとまわる視界が頭を中まで揺さぶる。
 膝をついたまま眼窩を揉み、目を思い切って見開いて立ち上がる。
「本格的にマズイな」
 思わず声に出る。
 情けない。ここで役に立てないなんて不祥事だけは避けたい。

 何とか立ち上がったクリフトはぼんやりとして、気が付かなかった。
 さそりの形をした巨大な魔物がすぐ側に迫っていたことに。
「!」
 それは、毒をもった尾を振り上げ-……













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