『私が伝えたことは何か』

 ぴしゃりと何かが水面を跳ねた。魚だろうか。平穏の象徴のようなその音に、私は時間の経過を実感させられた。焦ったとも言うだろうか。
 焦る?何に焦っているというのか。
 私はサントハイムに仕える神官であり、世を救う使者としての旅の途中だ。対するは同じ使命を持った戦士だ。そうしなければならない。
 私は耳にかかる髪を無意識に手ですきながら、音の出所の方向を見やった。何も見えるわけもなく、そして、私も探してはいない。
「……どうした?」
 急に口数が少なくなった私にライアンさんが訊ねた。
「いえ……、いざ最後と思うと、何を話そうか迷うものですね」
 誤魔化したが、本当は何も思いつかなかっただけだった。
 ライアンさんが顎に手を当てて何か思案したようだった。
「それなら俺の願いを聞き届けてくれるか?」
「?えぇ、どうぞ」
 私は何を言われるのか想像もつかないまま頷いた。
 彼は周囲を見回し、近くの木陰から長短2本の枝を拾って、横に伸びた小枝折って適度に真っすぐに整えると、私に長い枝の方を渡した。
「稽古に付き合って欲しい」
 生真面目で真っすぐな視線に、私は快諾した。
「いいでしょう。他ならぬ貴方の願いならば。胸を借りましょう。ただ……、加減はしてくださいね」
 互いの視線の交わる中、互いに承諾した。

 彼は私が打ち込むのを待っていた。圧倒的な筋力差、経験差、気迫の差。私が敵うわけもない。
「よろしくお願いします」
 私は感謝した。これは彼の気遣いなのだ。私が本心では別れを惜しんで、言葉を選べないことを悟って、言葉にせずとも済む過ごし方を提案してくれたのだろう。
 私は頼りない棒きれを両手で構え、上段に構えから下ろすように踏み込んだ。
「っ」
 何のことはない。彼はより頼りない細く短い棒きれで簡単に受け流しながら、私の横に回り込んだ。そのまま、その棒きれを私の首元に向かわせる。その動きは棒きれではなく反射して煌めくショートソードのようで。
 美しい。
 私はそう思った。
「……くっ」
 だが、私もこんなに容易く獲られるわけにはいかない。
 必死に身を逸らして距離をとった。追撃に移らない戦士の好意を受けて、悔しいが再度構え直す。
「さぁ、続けましょう」
「あぁ。今のは惜しかったが、見事だった」
「皮肉ですか?」
 私は苦笑すると今度は慎重に歩を進め、彼の視線を追いながら打ち込んだ。
「うむ」
 彼は私の様子を見ながら、それを全て受け流すだけだった。木と木が軽い音をリズミカルに奏でる。
「普段のご様子とは違いますね。加減されすぎでは?」
 手にした得物は子供でも力を入れれば曲げることも、もしかしたら折ることもできるかもしれない。そんなか弱い木枝が未だ健在であるのが何よりの証拠だ。
「普段は魔物を相手にしている。本能で襲ってくる魔物や猛獣を相手にするときはこちらも理屈では済まないこともある。だが、今は違う」
「なるほど。仰っている意味はわかります」
「俺は今、剣術でそなたと話をしているのだ」
 言いながら今度は彼の方から鋭く突くように打ち込まれ、私は咄嗟に打ち返した。
 なんて、鋭角で美しく真っすぐなのだろう。
 私は彼の一挙一動に見惚れた。
「……っ、それで、私の剣術は何と言っていると思いますか?」
 私は内心を見抜かれないか、少し心配しながらも訊ねた。
「俺の導(しるべ)である神官様は相手からの解釈が必要か?」
(……あぁ、この人は……)
 背筋がぞくりと震えた。この戦士は得体が知れない。私を受け入れたようで、同時に挑発をする。試してくる。
「私は貴方程に剣術が得意ではなく、読心の境地まで辿り付けておりませんゆえ」
「ふ……」
 戦士は珍しく少し笑ったようだった。
「!」
 明らかに先程までよりも早い薙ぎで私の棒は空を舞い、川に浮かんだ。
「クリフトは、俺を待っているだろう?」
「……っ」
 何を?、とは聞けなかった。



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