『purple』
さて、サントハイムの城を出立してから多少の時間経過があった。
今日この日、滞在する街はボンモール。遥か異国の地だ。
しかし、この異国の情緒を楽しんでいる程の時間の余裕は私には今ない。
なぜか。失礼な事とは承知の上だが、珍しいことに我らの姫君がお風邪を召されて病の床に臥せっている。
本来、女中達が甲斐甲斐しく看病をするべきであるが、残念ながら御忍びの旅中だ。
“祖父”である老子様と、今回は“兄”である私が宿の者と相談しながら、姫様の看病をするより他はない。
これも失礼であることは十分に承知しているが、我らが姫君は“風邪を召されているときの方が手がかかる”。
今日はそんな珍しくも不幸な日だ。
「姫様。失礼致します」
私は姫様の部屋がやたらと静かなのが気になり、返事を待たずにドアを開けようとした。
が、しかし、鍵がかけられている。
「姫様。ご用意ができましたら鍵を開けていただけますか?」
私は昼の食事の乗ったお盆を抱えたまま、ドアの向こう、部屋の中の物音に神経を集中させた。
「……」
物音は全くない。
私は“いざというときのために借りておいた”合鍵をポケットから取り出した。
そうだ。姫様が寝ているはずがない。
ご病気とはいえ、風邪くらいで姫様が大人しく休まれるはずがない。だから手がかかるのだ。
「失礼します」
私は確信を持って、遠慮なく開錠すると部屋に入り込んだ。
確信は現実に変わる。私の推論も大したものだ。
「姫様。カーテンはこの宿屋の大切な資産でございますよ」
カーテンを端から剥ぎ取って結び、
窓からぶら下げている姫様は今まさにこの部屋から抜け出そうと窓枠に足をかけたところであった。
私に見つかったと知るとすぐに、無駄だというのに小さな背にカーテンを隠そうと慌てて私に向き直って、引きつった笑みを浮かべた。
「カーテンは今、洗濯中よ」
「ご病気で臥せっているお客様のお部屋のカーテンを剥ぎ取るとは、どのような宿屋のサービスですか?」
追い詰められると人間とは、なんと面白い冗談めいた言い訳をするものだろう。
私はそんなことは気に介せずにベッドサイドのテーブルにパン粥のお盆を置いた。
姫様は食事の内容を見ると、げんなりと肩を落として抗議した。
「それは美味しくない」
「……消化に良いお食事でございます。昨日の夜はあまり調子が良さそうでありませんでしたので」
昨日の夜は姫様のご希望に沿って、普段どおりの食事をお出ししたところ、
その場で見事に戻されてしまったからだ。
「あの後、宿の方々にたくさん訊ねられましたよ。“妹さんは大丈夫でしたか?”と」
「う……。いいわよ。わかったわよ“お兄様”」
姫様は観念したかのようにベッドに戻ると、私の目にも見るからに美味しくなさそうな粥を口に運び出した。
その間に私は結われ、すっかり皺がよってしまったカーテンの結び目を解いていく。
「ねぇ?ブライは何か言ってた?」
「ブライ様でしたら、昨日の夜に姫様の御戯れにお付き合いなさいましたので、今はぐっすりお休みです。
そうですね。会話したことと言えば、“目を離すな。油断するな”。こういった内容でございます」
全て事実だ。
姫様は藪を突いて蛇を呼び起こしたことを悟ると、どうしたものか思案するように視線を巡らせた。
「ねぇ、私もう平気だからお外に行きたいの」
考えた結果は直球勝負、らしい。
「いけません。先程も私が見つけていなかったら、今頃、手元を狂わせて地面に叩きつけられていたかも知れませんよ。
私のことを命の恩人だと思って、大人しく言うことをお聞きくださいませ」
「そんなことないもん」
体調が良くなっていることを主張するためなのだろう。姫様は心を決めたのか、粥を一気に口の中に押し込んだ。
「…顔色がよくなさそうですが?」
「美味しくないからよ」
「ご無理をなさるからです」
私はこの健気な姫が、どうしたら納得して大人しく寝てくれるか、そればかりを考えていた。
説得したところで聞いてくださる方でもない。
かといって、このまま大人しく寝込んでいてくれなければ、私もブライ様も心労で倒れてしまいそうだ。
「姫様。賭けをしませんか?」
「賭け?」
「そう。ゲームでございます」
私はカーテンを元通り戻し終えると、看病の為にベッドの側に置かれている椅子に腰掛けた。
「これから私は嘘しか言いません。その中に一つだけ本当のことを申し上げます。
その一つだけの本当を見抜くことができましたら、
きっと熱も下がって頭の回転も普段どおりに戻っていると判断して、私が同伴ですが外出しましょう」
姫様の顔はどう見ても、平熱ではないような赤い顔だ。
……私が命の恩人というのも、随分と真実味を持っていると思うのだが、どうにも本人には伝わらない。
だから勝負に出ることにした。
「今の話は本当のこと?」
「ゲームはこれからですよ。嘘か本当かは即答してくださいね。乗りますか?」
「もちろん」
私は開始の意味をこめて手を一回叩いた。
「姫様。今日は天気が良くないですよ。外出するには足元が良くありません」
「嘘ね」
姫様は真剣に私の一挙手一動、表情に至るまで睨みつけるように監視している。思う壺だ。
「姫様。“お爺様”は先程から姫様のお風邪が移って寝込んでいらっしゃいますよ」
「……多分、嘘ね。意地悪。……だとしたら、先に私に言っていた筈だわ」
不機嫌そうに顔を歪める姫様に私は優しく微笑むと、姫様の顔を近づけた。
私の目の前にある彼女に耳に吐息が当たるほどに近く。
「じゃぁ、“僕”が大切でかわいい“妹”のために、“甘いお菓子をあげようと思っている”のは?
わかる、アリーナ?」
「……えっ。ちょっと急に何?」
私は姫様の髪を、子供を愛しむように撫でた。
「さぁ、答えて、アリーナ」
「……う、嘘よ。だめよ、騙されないんだから」
純情なことに赤い顔をさらに赤くさせて狼狽する姫様の手に私は小さな包みを乗せた。
「残念でしたね」
姫様は呆然と手の中に現われた小さな薄紫色の包みを眺めている。
「不味いお粥をがんばって食べたご褒美の飴とクッキーです。
食べられると思ったときにお口直しにどうぞ。と思いまして」
私は姫様の布団をかけ直すと、席を立ちカーテンを閉めた。
「さぁ、約束ですよ。私の勝ちです。お外に出ようとなど考えずゆっくりお休みください」
薄暗くなった部屋を後にするべく歩き出した私に姫様がぽつりと呼びかけた。
「……ありがとう。クリフトってすっごくズルイけど、もしかしたら私が思っていた以上に優しいかも」
まったく、姫様はご冗談がお好きだ。
「聖職者とは慈悲深いものです。……しかし、私は修行が足りない、ひどい快楽主義者なのです」
「……そうなの?」
姫様の声色からはまったく私の言葉を信じている様子はない。
「えぇ。また楽しくゲームしましょう。お休みなさい。“アリーナ”」
「……お休みさない。“お兄様”」
ドアを閉めたところで私は再び思った。
今日は本当に珍しくも不幸な日だ。
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聖戦君よりも栄光君よりもずっと姫様大好きなのに、両神官にできない余裕な態度は三人目君だからこそ。
(一週間七題:甘すぎる木曜日)