『turquoise』



 気分が高揚するときもあれば、とことん落ちる日もある。 全てそれは私がヒトであるからだ。
 毎日が同じとよく言われるのは、幻想か、もしくは生き甲斐の見つけられない者のひがみなのだろう。 残酷な我らの竜の神は人間はそうであるように創造された。


 私は意味も無く、一人で街を彷徨っていた。 別に行きたい場所があったわけでもない。姫様やブライ様と争ったわけでもない。
 ただ、一人きりになりたかっただけのことだ。

 鼻に残る死臭はいつになったら消えるだろうか。
 何もかもがくだらない。
 いつになったら死ねるのか。

 手の甲に何かが落ちた。
 雨か。
「……」
 少しずつ、確実に雨脚は強くなってきている。
 濡れて帰ると二人に何か言われそうだ。 私は近くに教会を見つけると、これ幸いと屋根を借りることにした。

 制服に乗った水の滴を払い除ける。大して濡れてはいない。少し待てば服は乾くだろう。
 ただ問題は……。
「しばらくは止みそうにないな」
 いつの間にか街の通りに敷き詰められている石のタイルは濡れてその色彩を変えている。
 静かな騒音が耳に心地よかった。
 突然の雨に走る男。諦めてエプロンをかぶる女。 多少の雨などものともしない馬車。そんな喧騒を眺めていた。

 最初こそ面白かったが、大した変化もないその風景に私は飽きを感じて、教会の中へと入った。
 小さな教会には訪れた者達が集まって祈りを捧げられるように、長いすがいくつも並べられているが今は誰の気配もしない。 神父すらも奥へと引っ込んでいるようだった。
 と、誰かに見られているような気がして、そちらを見ると覗き込んでいるのは私だった。
 鏡だ。
 青い髪と蒼い瞳。見慣れた私の顔。自分の顔など見ていても何も面白くはない。
 最初から私一人だ。私は面倒な会話をしなくても澄むことに安心すると、手短な椅子に座り込んだ。

 小さな窓から僅かな光が差し込んでいる。
 もともと窓など少なく暗い空間なのであろうが、生憎の天気のためだろう。 周囲は薄暗く仮眠を取るには丁度良さそうだ。

 目の前の聖像に私は祈った。
 主よ。貴方は残酷な方です。
 貴方に私を僅かでも愛しむ御心がおありなら、 私をすぐに貴方の下へと呼んでください。
 もしくは私を少しでも哀れむ御心がおありなら、 姫の関心を僅かでも私に引き寄せてください。




 何か、小さな物音がして私は目を覚ました。 いつの間にか寝てしまっていたのか。
 私は傾いていた体を真直ぐに起すと、物音の正体を探した。 雨音は尚激しく教会を打ちつけている。雨の音だったのだろうか。
 暗さを増している教会の中を私はぼんやりと、見回した。
「君は……」
 二つ前の椅子に小さな少女が座っていた。 いつからいたのだろうか。 私の問い掛けに彼女は驚いたように振り向いた。
「だあれ?」
 そう私に向かって問いかけた彼女は、齢は十を数えてもいないのかもしれない。
 私は不自然なものを覚えた。
「お母さんかお父さんは?」
 いくら教会とはいえ、こんな幼子が一人で出歩くのは危険だ。
「パパとママがごめんね、って」



 捨て子。

 私は急いで教会のドアを押し開けて、周囲を探した。
 誰もいない。
 薄暗い街中には誰もいない。私は肩を落として、彼女の元へと戻った。
「ねぇ、パパとママ、いつむかえにきてくれるのかな?」
「……」
 私には答えられなかった。
 眩暈がした。
 もう少し早く目が覚めていれば。いや、眠ってなどしまわなければ。
「ねぇ」
「大丈夫。大丈夫だよ」
 私の制服の裾を掴んで彼女は返事をせがんだのを、曖昧な言葉で返した。 何が大丈夫なのか自分だってさっぱりわからない。
 狼狽している私の様子を敏感に察知したのか、彼女はにわかに落ち着きをなくして、あたりをきょろきょろと見回している。
(そうだ)
 私はようやく、この教会の神父のことを思い出した。

 神父を見つけ出した私は、彼を引き連れながら彼女のもとへと戻る途中に全てを伝えた。
「なんとかわいそうなことでしょう」
 神父は残念そうに深い溜息をつくと、私に全て任せて欲しい、と言ってくれたので安堵した。

 肌寒い教会の中、彼女はじっと聖像を見上げていた。
「お祈りをしているの?」
 神父は彼女に優しく語りかけた。
「うん。パパもママもみんなしあわせにしてくださいって」
 そう言って、私達大人を見上げた幼子の瞳はなんと濁りのない翠なのだろう。
 私はその瞳に何故か気圧されてしまって、立ちすくんだ。
「お名前は?」
 神父の問いに彼女ははっきりと答えた。
「アンジュ」

 言葉一つ発することの出来ない私は神父が彼女を暖かく明るい部屋へと連れて行くのを見送ることしか出来なかった。
 神父が私に安心しなさい、と頷いて見せた。彼にうつろに会釈して返す。

 扉を開けて去っていく間際にアンジュも私に手を振った。慌てて手を振り返す。
「お兄さん。さようなら!」


 また、私一人になった。力なく椅子に座り込む。
「………何なんだ…」
 私は顔を両の掌で覆った。
 自分の感情すらも整理がつかなくなった私は、何もかもを忘れて咽び泣いた。
「………っ」

 誰もいない教会に私の嗚咽が響いて、そんな惨めな自分を改めて受け止めて、更に泣けた。





 私はフレノールを訪れるたびに、今日この日を思い出すのだろう。



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(一週間七題:泣き出したい水曜日)