『black』
私は他人から見ていると、非の打ち所のない人間に映るらしい。
そんな有り難くも迷惑な勘違いをされて、しばらくの間過ごしている。
いつからだろうか。サントハイムに仕えるようになったのが二年前の16歳の春のことだ。
つまりは二年間か。
ようやく掴んだ安息の日々と姫様に仕えることが出来たという夢のような現実に私はがむしゃらだったと思う。
多少の無理も通した。今思えば、少し頑張りすぎてしまったのかもしれない。
そういえば、ここ最近に劇的に変化したことがある。
それは旅の仲間が増えたことだ。
話にきくと伝説の勇者様とその一行らしい。
伝説の勇者様と言われていまいちピンと来ないのは、彼女があどけなく笑う少女であるからだろう。
しかし、彼女の統率力は成程確かなもので、私も戦闘の間に何度助けられたことだろうか。
彼女の連れいてた仲間も女性二人と太った中年一人、と到底頼りにできるものではない、と思ったものだが、
それは私の勘違いだったことには心底安堵している。
話を元に戻そう。
私は当然、新しく出来た仲間達からも“主君に忠実な、仕事のできる男”として認識されたようだ。
私は勇者様から作戦内容や、装備の分配などの相談を受けるようになった。
有り難い話だとは思うのだが、
私がそんなに立派な仕事人間ではないことを言い難いがために何となくずるずると、また無理に働いている気がする。
大体のところで、それは全く問題はない。むしろ、出来ないと侮られることの方が心外だ。
さて、私が何を悩んでいるのか。
それは隠して来たわけではないが、何となくここまで来てしまった私の弱点の話だ。
私は今にも止まってしまいそうなほどに暴れ狂う心臓を押さえ込むように胸の上から手を置いた。
情けないことだが、呼吸するたびに喉下が震えている。目を閉じることすら恐ろしく、瞬きすらも儘ならない。
あぁ、もしかしたら目も充血しているのかもしれない。痛い。
私は横目で恨みがましく、勇者様を覗いた。
「クリフトさん。どうかしましたか?」
「……いえ、何もありません」
言えなかった。私はつまらない意地を張った一言を言い終える前に、足を滑らせて肝を冷やした。
その瞬間に垣間見えてまった足元には何もない。太くも柔らかくしなる木の枝。まるで不安定にも宙を彷徨っているようだ。
恐らく世界で最も高い伝説の樹であり、確実にこの地上の何よりも高い景観だ。
……高所恐怖症の私が怖いと感じるのは、この際当然のこととしよう。
しかし、共に先を進む勇者様と占い師の女性がまったく平然としているのはどういうことだろうか。
まともな人間なら、これは恐ろしいと感じるものだと思うが、どうだろうか。
足を踏み外そうものなら、確実に死ぬ。
勇者、とは勇ましい者、と書く。これが勇ましい、ということだろうか。
有り得ない。もしかしたら、人では無いのではなかろうか。
占い師はどうだ。
彼女は万が一踏み外したとして、瞬間移動の魔法を心得ている訳ではない。
間違いなく、死ぬ。
私がおかしいのだろうか。何度も思案を巡らせるが、
彼女達が平然としていられる理由がわからない。
だって、足を踏み外したら死ぬに決まっているのに!防衛本能に欠けている。
人間として、どこかおかしいのではないだろうか!
「クリフトさん。顔色が悪いですよ?」
「すみません。ミネアさん、大丈夫です」
私は愚かにもまた一つ見栄を張った。いい加減に観念して『無理だ』と一言、言えればいいものを。
彼女達に情けないところをなるべくなら見せたくない、という意地だ。
ましてや、彼女達の口から姫様に失態を伝えられてしまうのが、一番恐ろしい。
いや、……落ちれば楽になるか。
普段から、私は早く主の下へ行きたいと思っていた。丁度いい。
ここからなら、何の苦痛を感じる前にショック死できる。
……何を馬鹿なことを考えているんだ、私は。よほど、混乱している。
姫様に仕え、使命を全うする前に死んで逃れるなど愚の骨頂。神より与えられた生を全うし、忠実であれ。
「クリフトさん。下の人たちが手を振っていますね」
「……そうですね」
勇者様、その話をどうか私に振らないでもらいたい。私は下を見た振りで適当に話を合わせて頷いた。
沈黙。
私は何事かと、勇者様を振り向いた。
「……クリフトさん。何を隠しているんですか?」
「え?」
「何か隠してますよね?具合が悪いとか、心配事があるとか。何かあったら言うようにしてください」
そうか。下を見てももう枝ばっかりか。なんと際どいカマをかけられたことか。
勇者様はもちろん、ミネアさんも悲しそうに私を見つめている。
「どうか、私達をもっと頼ってください」
「そうですよ。あたし達、いつもクリフトさんに頼ってばっかりだもの。
力になれることがあったら、何でも言って欲しいんです」
二人の熱弁に私は驚いて、見つめ返すばかり。
勇者様は私の腕を取った。
「だって、仲間じゃないですか!」
「……勇者様……」
なんと頼もしいことだろうか。そう感じる私が情けないのかもしれないが、少なくとも私はいたく感激した。
彼女達の好意に甘えることにしようと、思い切ることが出来た程に。
私はなんとも言い難いこの現状を表す言葉を必死に探した。
「実は体調が優れなくて…………」
怖い、という一言は、それでも自尊心が邪魔して言うことができなかったが、
こうして初めて打ち明ける弱音に彼女達は安心したように頷いた。
「良かった!ようやく言ってくれたんですね!」
ミネアさんと二人で手を取り合って無邪気に喜ぶ様子(揺らさないで欲しいとは切実に思う)に、今日、私は改めて仲間とはいいものかもしれない、と思った。
「それじゃぁ、一刻も早く帰って休みましょう!」
待ち望んだ一言に安堵する私の手を取った勇者様は、腕を引いて歩き出した。
向かった先は……。
……おかしい。その方向はどう見ても枝の最先端だ。
不思議そうに見ている私に彼女はさも当然のように笑った。
「ここから飛び降りたらあっという間に地上です!大丈夫!ぶつかる前にルーラとかリレミトで回避しますから!」
「そ、そういう問題じゃあ……」
ない。
結論を言い損ねた私ごと、容赦なく彼女は空中に躍り出た。
あぁ、空とは広いものだなぁ。空気も澄んでいる。
風を切って、落ちていく感覚は時間と共に大きくなっていく。
あっという間に視界が暗くなった。まるで月のない深夜のようだ。
おかしいな、今は昼間だった筈なのに……。
これが少しだけ意地を張った罰なのだろうか。
祈ります。祈れるうちに祈ります。祈らせて頂きますとも。
次に生を受けた際には、もっと、すなおな、おと、こに、な、りたい……。
……………。
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(一週間七題:飛び降りた金曜日)