『どうしようもなく寂しいと感じるときがある→yes』
15年目の生を受けることになった年の春のことだった。
私は突然に修道院の外に連れ出されることになった。
話にきくところでは、城やサランの町に寄付金を募るために出かけるらしい。
城に向かうにはある程度、綺麗な顔立ちで大人しく賢い修道士を連れていくのが一番効果的なのだそうだ。
生憎、連れて行く予定であった修道士が突然の体調不良という不幸に見舞われたらしい。
彼が腹を壊したのも、私が代理に選ばれたのも全ては偶然であった。
上等な生地の黒い修道服を渡された。しかし、髪を切ろうとする修道士を私は拒否した。
誰にも触らせたくなかった。
そして、初めて乗る馬車で私は城へと連れて行かれた。
初めて見る外の世界。
知識だけには知っていた城。人々の生活。
私は院長と共に応接室へと通された。しばらく待つように、と。
しかし、私はそれまでに持っていた現実とはかけ離れた華やかな世界に圧倒され、
ソファーに座ることもできなかった。
私のようなものが近づいてはいけないような気がしたのだ。
落ち着きなく立ち尽くす私の目に入ったのは窓の外の中庭で走り回る少女の姿。
手入れの行き届いた庭園の中を駆ける亜麻色の髪。
蝶々を追いかけるその姿はまるで、草原のうさぎやリスのように愛くるしい。
私は思わず窓の近くまで寄ってその姿に見とれた。
しばらくそうしていると、彼女の方が私に気が付いたらしい。
一気に走り寄ると、窓を勢いよく叩きつけるように開け放った。
「わぁ、きれいな髪!宝石みたい!」
彼女が私の顔や髪を眺め回しながら、目を輝かせてそう叫んだ。
私はあまりに一瞬の出来事に何の言葉も発することは出来なかった。
「…あなた、お名前は?」
まるで夢の中の幻のような彼女に、私はただただ立ち尽くしていた。
「喋られないの?」
「……」
怪訝に首を傾げる彼女は頷いた。
「じゃぁ、サファイヤ君!そんなキレイな髪と瞳をしているんだもの!」
初めて自分を肯定してくれた一言だった。
…嬉しかった。しかし、なんという悲劇だろう。
私はあまり人と話をした経験がなく、この感情と感謝の気持ちを伝える言葉が咄嗟に浮かばなかったのだ。
「…キレイ…?」
私はおどおどと鸚鵡返しにそう呟いた。
それをきいた彼女は、私が喋られることを悟って何度か瞬きした。
「僕は…クリフト…」
「クリフト!よろしくね、クリフト!私はアリーナ!」
大きな声で自己紹介した彼女の名前に、それまで見守っていた院長が慌てた様子で私を背後へと引っ張った。
「姫様とは知らずにとんだご無礼を!お許しくださいませ!」
仰天するのは私の番だった。これが“身分高き者”。
私は深く頭を下げる院長に倣うことも忘れて、自分の中の知識と目の前の少女の姿を照らし合わせていた。
「そんなことよりも遊びましょうよ、クリフト!」
院長の謝罪も意に介せず、姫は窓枠から身を乗り出して私に向かって手招きした。
「そんな畏れ多いことは出来ません。どうかご勘弁を」
私が口を開く、というたった一つの行動よりも早く、院長がそう拒否したために私は口を噤んで院長の丸まった背を見つめるばかりになってしまった。
「…遊んでくれると思ったのに。残念だわ」
唇を尖らせて、中庭に戻ろうとする姫の背中に、私は思わず声をかけた。
「お姫様!僕は、私は必ずここにもう一度現われて、あなたのために尽くします。約束します」
すると、姫は嬉しそうに微笑むと、手を振ってくれた。
その姿を見守り続けようとする私の腹を失言を咎めるように院長が殴りつけた。
思わず膝をついた私が次に窓の外にお姫様の姿を探したとき、すでにどこにもその影はなかった。
その日の夜、院に戻った私はハサミを借りると自らの手で髪をざっくりと切りそろえた。
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(狂った七題:狂花)