『わけもなく他人に暴力をふるいたい衝動に駆られる→yes』



「今日は月が明るくて歩きやすそうだったんで、出て来てみたんですよ」
 彼の言葉に私は素直に頷いた。
「えぇ、そうですね」
 私は彼が外に出ていたことを知っていた。
 今回の宿の部屋割り。私と彼は同室だった。 彼が落ち着きなく何度も寝返りを繰り返した後に、ドアを開いて外へと静かに抜け出したのに気が付いて、 私は後を追うように宿を抜け出したのだ。
 理由などない。
 ただ、私は彼が気になって仕方がないのだ。
 勇者様が街路樹のレンガの枠に腰を下ろしたのを見て、私もそれに倣った。 少しだけ、話をすることになるのだろう。
「クリフトさんは今、ここで何か考え事でもしてたんですか?」
 …確かに、こんな真夜中に直立不動でぼんやりとしている姿は誰の目にも異様に映るのだろう。 私は納得すると、正直に答えた。
「こんな夜には昔を思い出してしまいます」
「…昔ですか?」
「そうです。……昔です。私には何もありませんでした。 サントハイムに仕える時間があまりにも幸せすぎて、心の奥底にしまい込まれていた昔話です」
 勇者様はわかったようなわからないような不思議な顔で相槌を打った。
「クリフトさんは昔、どんな人だったんですか?」
「…それは…」
 私は苦笑して返事を濁した。この話の流れでそれを訊ねるか。 なんと世間知らずなのだろう。私と同じ年で私以上に物を知らない。 澄んだ青い瞳で私を覗き込む彼の興味深そうな様子に、私は手持ち無沙汰に髪を梳くと月を見上げた。
 そして、私は言った。恐らく彼に伝わらないだろうことを理解していながら。
「例えるのならば『シンデレラ』のようでした」
「『シンデレラ』?御伽話のですか?」
「そうです。それ以上に相応しい例えは他には思いつきませんね」
 やはり、真意を量り損ねている彼に、私は突き放すようにそう吐き捨てた。 勇者様は顎に手を当てて少し考えて、冗談めいた顔で笑った。
「『シンデレラ』って王子様と結婚してハッピーエンドで終わるんですよね。 じゃぁ、クリフトさんも今は幸せなんですね!」
「…勇者様は素晴らしい前向きな思考をお持ちなのですね。大変結構なことです」
 目を丸くする私に、勇者様はさらに付け加えた。
「誰だって、幸せになる権利があるんです。誰にもです」
「…しかし、勇者様は…」
 強く言い切る勇者様に私は不謹慎にも尋ねようとした一言を飲み込んだ。
「いえ、貴方はとても強い方なのですね」
 魔物に両親や愛しい幼馴染を奪われたというのに。 なぜか私の方が悲しくなってきたような気がして瞳を伏せた。

「…クリフトさんの髪ってすごい綺麗なんですね」
 突然の思いもよらない勇者様の一言に私は驚いて彼を見つめた。
「え、あ。すみません、なんか変なこと言って。月灯かりに当たっていると、なんだか光っているように見えたんで…」
「はぁ」
 勇者様は慌てた様子で立ち上がった。
「じゃぁ…、僕はもう戻ります」
「そうですか。私はもう少ししたら戻ります」
「お邪魔しちゃったみたいですみません」
「いいえ」
 彼が居辛そうに早足で歩みを進めていくのを確認すると、私は後ろに手をついて月を仰いだ。
「そうだ、クリフトさん!」
「?」
 思い出したかのように勇者様が私を振り向いていた。
「僕のことは勇者様だなんて呼ばなくていいです」
「…承知しました」
 私は苦笑して頷いた。
「おやすみなさいませ。…クリスさん」


 完全に静かになった独り月夜。白い月の光と青い街。
 気が付けば私は力を込めて握っていたらしい手を、やっとの思いでこじ開けた。
「…どうして、彼なんだ」
 何故、彼が選ばれた?
 何故、彼に当然のように与えられたものを神は私に与えなかった。
 どうして、私が望むものを彼が全て得ているのか。

 私は彼が座っていた部分に手を乗せた。
「……クリスレイド…」

 その名は私の心に深く突き刺さる。



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(狂った七題:白い狂気)