『この身に』



 ようやく手に入れた完全勝利。
 ずっとこの瞬間に焦がれていたというのに。 ずっと待っていたというのに。
 どうして私はあなた様に向かって剣を抜いて一歩進むことが敵わないのだろう。

 私は臆病者だった。
 多くの人間を巻き込んで、恩人を手にかけて。 それなのに、実際に目の前にしてみたら命を取ることができない。
 聖なる城の虎はなんと強い方なのだろう。 私はゲームには勝利したが、永久に彼女に勝つことなんて出来ない。
 私はただの愚か者だった。

 城のどこかが崩れた音がした。
 時間があまりないことは分かっていたが、私は陛下に提案した。
「…陛下。最後に。お茶を淹れましょうか?」
 少しだけ様子を見た私の部屋。 何も盗られていないようだった。それならば、今も変わらずに部屋にあるだろう。
「悠長ね。早く私を片付けてこの城から逃げ出さないと、ここも崩れるかもしれないわ」
 私は真剣そのものだったのに、陛下は意外そうに声を上げた。 それもそうだ。可笑しい。確かに可笑しい。
「その時はその時ですよ」
 私は姫様を案内して、自分の部屋へと向かった。




 私の部屋にあるティーセット。半年前と何も変わらない。 少しだけ埃を被った食器を磨きながら、私は引き出しを開けた。 陛下の好きな紅茶。…そして、下の段に入れられていた薬。使い方を替えれば命を奪う毒薬。
 これが最後のチャンスだ。私の手でお命を頂戴する最後の勝負のとき。
 私は紅茶の一方にそれを溶かした。

 そして、セットをトレイに乗せて振り向くと、美しい陛下の横顔。 その一瞬で勝負はあまりにも呆気なくついてしまった。
 私は毒の盛られた紅茶を自分の前に置いた。

「内乱が起きて、私のような反乱分子の部屋をどうしてそのままにしておいたのですか?」
 私はずっと気になっていたことを素直に尋ねた。 陛下は瞳を伏せたまま、すぐさまに笑った。
「…さぁね」
 陛下は私の淹れた毒のない紅茶を口に含んだ。 湯気の向こうに見える御顔はこんなに愛らしかっただろうか。
「美味しいわ。やっぱり、あなたが一番、お茶を淹れるのが上手ね」
 これから殺されることを覚悟しているとは思えない程に 落ち着いた様子で、私を手放しで褒め称えた。
「良かった。私も久しぶりに淹れたので自信がなかったんです」
 賞賛の言葉に送り返した私の言葉は、正直、口をついて出た適当なものだった。

「クリフトは戦いが終わってから不眠症に悩んでるって言ってたけど、最近は大丈夫なの?」
 あまりにも唐突な質問。
 驚いた私の背筋に冷たいものが走った。 …あなたはなんと強くも残酷な方だろう。 この期に及んでも私の心配をなさるとは。
「…正直に言うと。今でも眠れないことが多いです」
「そう。ずっと、それを心配してたの。原因は何なのかしらね?」
「…思い当たる節もあるんですけどね」

 ずっと私は不安だった。
 そして、それは回りも同じ。
 戦いが終わり英雄と呼ばれるようになった私を curse of the beast(特別扱いの子)と蔑すむ者も減った。
 その代わりに私はcurse of the beast(邪魔な男)になった。
 復興後のサントハイムの利権を求める者にとっても。 姫様を結婚させて国の未来を繋ごうと望む者にとっても。
 私は心の底から姫様を崇拝していた。 だからこそサントハイムのアリーナ姫のために 私が近くに在ってはならないことぐらい、十分すぎる程に理解していた。
 そんな心を圧迫するものが不眠を呼んでいたに違いない。
 だからこそ、私は、“私をサントハイムから無理やりにでも引き剥がすために” ロゼスティールについたのだ。

「思い当たる節?」
 深刻そうな顔で私に聞き返してくださったお言葉に我に返った。
「あ、何でもありません」
 さぁ、これで最後だ。と、私は手に取ったままのティーカップを見つめた。
 少量で致死に至る毒薬。胸を焼いて、じわりじわりと死に至らしめる。 私は覚悟を決めてそれを一口、飲み下した。
 喉が微かに熱くなる。そして、次に胸が。
「どうかしたの?」
「…いえ…、もう少しお湯の温度を高くしておかなければいけなかったかな、と」
 思わず顔色を変えてしまったのだろう。怪訝に私に問いかけた陛下に適当に誤魔化すように返した。
「私は別に気にならないわ」
 そういえば、陛下はいつも私が紅茶を淹れるのに多少失敗しても、 いつでもそう言ってくださっていたな。
「クリフト。私は今朝には今頃は敵兵に討ち取られているか、断頭台に送られていると思ってた。 だから最後にこうしてあなたとお茶できるだけで幸せよ」
 胸の焼ける痛みに耐えて、必死に平然を繕って私は今の気持ちを伝えた。
「そう言っていただけると、私も幸せです」
 私を救ってくださったのが、やさしいあなた様で、私は本当に果報者です。

 こうなると分かっていたら、私はあなた様を奪って逃げただろうか。
 いや。今となっては自覚することが出来る。
 私は分かっていた。分かっていながら、こうなることを選んだのだ。

 私は残っていた紅茶を全て飲み干した。


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(例えば七題:手を離さなければ)