『いみ』
私にとって城での生活はまったく別の世界であった。
城の重役は不吉な私の生まれは監視によって制御すると、正式に取り決められたようだ。
私がcurse of the beast(特別監視の子)と呼ばれることは、その重役達以外には知られていないようだった。
私は城の神父様の助手として働くと同時に、何人かの大人の善意によって助けられていた。
神父様からは人との接し方を。ブライ様からは城仕えに相応しい振舞い方を。
そして、城の兵を率いる兵長からは体力を作る意味合いから剣の扱い方を。
私は周囲の人間が驚く程にそれらを吸収していった。
私は幸せ者だ、と思った。いや、それまでが災いに満ちすぎていたのだ。
あるとき、神父様は私に言った。
「クリフト。いつでも、人の命を愛して大切にするのだよ」
「はい。私は全てを愛します」
「どんなことがあっても、人を恨んだり、死を望んではいけないよ」
私はそれは当然、と頷いた。
「私はここに来るまで、ずっと世界を逆恨みしておりました。しかし、今は違います。誰もが平和であること、それを祈り続けております」
それを聴くと、神父様は嬉しそうに微笑んだ。
「それでいいのだよ、クリフト」
しかし、事件は起こった。
姫様の見合いの相手がはるばる海を越えてキングレオからやって来ることになった。
キングレオ大陸はサントハイム大陸の南に位置する大陸だ。
しかし、国交はあまり良好とは言えず、今回の見合いとは即ち、姫様の人生を使って国を繋ぐという儀式に他ならない。
サントハイムの未来のための人身御供。
姫様は前日に私を訪ねて、教会へといらっしゃった。
「クリフト。私、結婚なんかしたくない。まだ、私わからない」
そう言って私の目の前で泣きじゃくる姫様を、私自身混乱しながら見守ることしかできなかった。
そして、当日。私は姫様のたっての願いで、例外的に見合いの席を見守ることを許された。身辺警護の兵と共に立つと、静かに様子を見守った。
何を話しているのかはわからない。大臣同士の会話は弾んでいるようだった。
そして、その中心で立ち振る舞う、端正な顔の青年はキングレオの第二の王位継承権を持つ者。
しかし、笑顔の人間が集まる中、姫様だけが笑顔ではなかった。
私は晴れない姫様の顔を見て、苦しい胸を押さえるように服を掴んだ。
息苦しい。荒い息で、私は頭痛に呻いた。
具合の悪そうな私を王子が不思議そうに見たことで目があった。その勝ち誇った表情が癇に障って、ぎらりと睨み付けた。
私は憎いと思った。姫様にあのように辛そうな顔をさせるあの男が憎いと思った。
消えてしまえばいいのに、と願った。
そのとき、背中が燃えるように熱くなって、あまりの熱さに私は思わず固く目を閉じて耐えた。
「王子!」
人が倒れる音と同時に、大臣達が慌てる声が聞こえて、私は何事かと目を開けた。
そこには目を見開いたまま仰向けに倒れている王子の姿と騒然としている大臣達。
大臣達が喚いて、使用人が走り、医学者や薬草学者が呼ばれ、適切な処置により停止していた王子の心臓は動き出した。
なんとか一命を取りとめた王子は恐怖に慄いて私を指差した。
「お前……お前……!」
「……え……」
絶句する私の前で、王子は強引に腕を引かれて、医務室へと運ばれていった。
騒ぎが収まり、居合わせた者は皆、呆然としていた。
そして、サントハイムの大臣の一人であるシュバイツァー様が、突然思いついたように私を青い顔で見た
「まさか、お前か。curse of the beast(死を招くと言われる宗派の修道士)……!」
キングレオの大臣が叫んだ。
「なんだと、どういうことだ!これはサントハイムの裏切りということか!」
「我々に宣戦布告するつもりか!」
「違う、そうではない。これは事故だ!」
不毛な言い争いが始まった。先程までは笑顔で国の将来を語り合っていたもの同士が、今は罵り合っている。
間違いなく、この話は破談になるだろう。私への追求も、確証のないためにやがてなくなった。
キングレオの者が全て帰ったあと、私は祈った。あぁ、神は姫様をお助けになった、感謝致します!と。
キングレオの王子の事件に関して、それ以降はきれいに私の記憶から消えていた。
私には何の関係もない。気が付けば倒れていたのだ。
もし、私が関わっているのというのならば、それは私と姫様の祈りが天に届いていたのだろう。
思い返すこともなく、また何か気にかけるようなこともなかった。
数ヶ月経った今日、この日。再び、同じことが起こるまで。
私は頭が真っ白になっていた。何も思い出せない。血の気が引けて冷たくなる額を押さえて、私は懸命に考えた。
まるで夜のように青暗い暗雲を裂いて、稲光が走った。窓から差し込む光に照らされて浮かび上がるのは床に寝転がる男の背中。
なぜ、私の目の前で男が倒れているのだろうか。
この男は誰だ。
しかし、この服には見覚えがある。
…………。
そうだ。この男はサントハイムの大臣の一人だ。
なぜ、倒れているんだ。
順を追って思い出そう。私は朝、いつものように礼拝堂で祈りを捧げていた。
『クリフト。いつでも人を愛するのですよ』
『はい。神父様。私はいつでも全てを愛します』
と、神父様といつものように会話をした。次に祈りを捧げにやってきた城の使用人達と挨拶を交わして……。
そして……。そして、大臣がやって来た。
珍しい来客だったが、私は祈りを捧げに来たに違いない、と考えた。
それから、どうした?わからない。
私は混乱した思考を抱えたまま、恐る恐る大臣の肩を叩いた。
「……シュバイツァー様……?」
…何の、反応もなかった。
「……っ」
まさか、死んでいるのだろうか。私は息を飲んだ。
そうだ。私は大臣シュバイツァー様が重要な話がある、と仰ったので礼拝堂を出た。
向かったのは人気の少ない城の物置。不思議に思う私にシュバイツァー様は言った。
『城を出て行ってもらえないか?私は元々、お前が好きではない。
さらに、姫様はお前を随分と気に入っているようだ。四六時中、一緒にいてもらっては婚約にも差し支える』
『……それが姫様、もしくはブライ様の命令以外であるならば、私は従うことはできません』
私のはっきりとした拒絶の言葉に、眼を剥いて歯軋りすると、忌々しそうに私を睨みつけた。
『……元々、反対だったのだ。異端の宗派の人間の保護など』
『…………』
『城のためを思うのならば、出て行け。もしくはここで自害しろ』
『……』
私は無表情にシュバイツァー様を見ていた。
『この期に及んで自分の立場もわからんとは!お前のような不吉な存在があるだけで、サントハイムの汚点だ!』
シュバイツァー様が私の襟元を掴んで怒鳴りかかった。……今にも首を絞められそうな程の勢いで。
『止めてください!』
『黙れ!キングレオの王子を殺そうとしたのもお前だろう、curse of the beast(災いの種)!』
そう言われてから、また記憶が途切れている。
目の前で倒れている大臣。
まさか。……本当に、私が殺したのだろうか。
「シュバイツァー様!」
私は必死に肩を、体を揺り動かした。
何度も繰り返していると、大臣の指がぴくりと動いた。
突然に呼吸が戻り、苦しそうに何度も咳き込んでいる様を見て、私は安堵した。
「良かった……」
「……!」
弾かれたように立ち上がると、突然に気が狂ったかのように大声を上げて、
大臣は走り出した。私から逃げ出すように。
後に残された私は、混乱したままにしばらく指一本動かすことは出来なかった。
大臣の突然の仮死については、過労とストレスが原因だろう、と秘密裏に処理された。
そして、まるで夢遊病患者であるかのようにぼんやりと礼拝堂に戻った私は、
青い顔をした神父に、何度も言い聞かされた。
「誰のことも、憎んではいけないよ」
「はい……。私は誰も憎みません……」
何かの呪文のような、儀式のような問答に、私は心を落ち着かせた。
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