2.『…………零れ落ちる』
黒い海原から流れ込む、夜の嵐の唸り声が響く。
海鳴りのほこら、とは良く表現された洞窟だ。
頑強な岩肌すらも削り取る海潮の巨大な歯牙が、船を揺らす。その巨大さからすれば、人間どころか、我らの足場たる船ですら矮小だ。
揺れる視界。甲板に流れ込む海の一部は船ごと人間を引き込もうと掴む。
「勇者様!このままでは……!」
占い師ミネアさんが悲鳴を上げた。
こんな悪条件で、私たちは魔物に囲まれていた。
占い師の悲鳴を聞き、援護しなければと私は向かおうとしたが、またしても荒波が乗り込んできて分断した。私はもどかしい思いで周囲を見回した。
薄暗い甲板の中で立っているのも懸命だろうに、愛用の水晶を魔力に輝かせ襲い来る魔物に真空の刃を送り、彼女は決して諦めず応戦した。
死霊だ。幾つもの死霊が寄り集まった、哀れに醜い悪意のモンスター。ミネアさんの放った真空の刃で空気の闇の中に散った。が、散った端からまた新たな死霊塊が沸いて出る。
「数が……多すぎます……!」
濡れきった衣服が纏わりついて動きにくそうにしているところに、死霊塊は空気を焼くような息を吐こうと口を開いた。
私は危機感を覚え、援護に何とか出られないかと握った剣に意識を向けた。
その直後、戦闘の最中の彼女を見据える視界の端に菫色の髪が流れた。続いて、耳を裂くような轟音と共に眩い光を放つ爆発が。闇に眼が慣れていた私は眩しさと爆風に思わず目を背けた。
「姉さん!」
妹をかばう様に、姉の踊り子マーニャさんは荒い息で立ちふさがった。
「何とか間に合ったけど、もう魔法力が限界よ……」
マーニャさんは険しい顔で、限りなく沸く死霊の群れを睨んだ。
その様子を見ていた私に、我が主君の姫君の声が降った。
「クリフト!トルネコの意識は戻った?!」
その言葉にハッとして目の前で倒れる仲間の一人トルネコさんに意識を戻した。私は歯噛みする。
「申し訳ございません!まだ…!」
私は傷付き倒れる神の子を導くこともできない未熟さに、何度も半蘇生の呪文を唱えながら焦った。
「クリフトさん!」
勇者様が近くの敵を切り伏せながら、神が与えた神聖な森色の髪を揺らして私の隣に駆け寄った。
「勇者様……!」
私は不甲斐なさから、渋い顔で勇者様を見た。流石の劣勢に勇者様も顔面蒼白だった。
「勇者様!私の不甲斐なさは謝罪の他ありません!ですが、貴方の役目は私の手伝いではないはずです!」
私は視線で戦況を指した。
荒れる船上で、まずライアンさんが未知の死霊の焼け付く息で自由を奪われ、大量に現れたドラゴンライダーを抑え、相打ちとなって力尽きた。
次には氷結呪文を合唱する昆虫の姿のモンスターを相手に、同じく氷結呪文で対抗したブライ様が多勢に無勢で押し負けた。半死の蝿型のモンスターの群にはトルネコさんが命がけで引導を渡してくれたが、傷付き倒れ、今、私の前に白い顔で横たわっている。
ミネアさんもマーニャさんも善戦してくださっているが、軋んで傾く船上では連携も取れない。援護もままならない。
激しい戦闘の中、操舵主も倒れた。トルネコさんを回復し、一刻も早い離脱が必要か。
「勇者様!統率を!」
勇者様が青い顔で頷き、立ち上がろうとしたところでまた大きく船が揺れた。
「!」
孤軍奮闘する我が主君が足元を取られた。
「姫様!!」
私は叫んだ。再び現れたドラゴンライダーの騎乗する竜が口の端から炎を輝かせる。
「姫様!!!!」
「アリーナ!!!」
私と勇者様の声が響いた。
我が主君は炎に飲まれ、そして、遂に船は中心から亀裂が入り、前後に割れた。
私達と反対側にいた姉妹達もまた、凶刃の餌食となり、回復が間に合わなかったライアンさんやブライ様が海に飲まれたのが見えた。
呆然とする私の手を勇者様が掴んだ、そこまでは覚えている。
あぁ、命が……零れ落ちる……。
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