4.『零れ落ちる』
 

 魔法力が少しでも回復して、自力で立って歩けるようになるまで、束の間の休憩。
 私が目が覚めたここは、船が入れるほどの巨大な洞窟の中でも、隠れるのに丁度良い横穴。クリスさんは幸いにも良い場所を見つけたようだった。クリスさんが、最後の魔法力を振り絞ってかけた破邪の呪文で魔物の目から逃れているようだ。荒波の音で会話も外までは漏れることはないだろう。魔物に気を遣わなくても済みそうだった。
「私にどのような会話をお望みでしょうか」
 私は彼が何を話したいのか、全く想像できなかった。私はそれだけ彼をよく分かっていなかった。勇者様と呼んで作ってきた他人事の壁。彼との関りと望んでいなかったのだ。
「そうですね。まずは僕の話を聞いてもらいたいかな。神官様」
 告解を望む徒のような語り口に、私は頷いた。
「……えぇ、どうぞ望むままに」
 クリスさんは一呼吸置いて話し出した。
「僕は世界平和とか、魔王討伐なんて、本当はどうでもいいんです」
 世界を救うべく神に選ばれた子の反抗心に、私は少しだけ驚いた。思わず口を挟もうとしたのを抑える。クリスさんは続けた。
「僕は憧れていた人が居て、尊敬する父、孝行するべき母がいました」
「…………」
「恩を返したい先生も何人もいたし……、木々や花で溢れた大好きな……場所があった……」
 どこか遠くを思い出しているようなクリスさんの声が少し震えた。
「それは全部なくなりました。魔王が僕を狙ったから。僕が勇者だなんて、決められたから」
「…………」
「僕が生まれなかったら……僕が勇者じゃなければ、神様に選ばれなんてしなければ、村は今も、きっと変わりなく幸せできれいなままだった……!」
「……」
 こんな時だからこそ、そんな本音だ。
 私はクリスさんの吐き出された弱音に頷くように、肩に無言で手を置いた。
「魔王を倒すのだって、本当はどうだっていい。仇を打ちたい気持ちのが大きい」
 クリスさんの肩は震えている。
「でも、またしても僕のミスで皆を失ってしまった。仇を打つ力が本当に僕にあるのか……」
「…………」
「クリフトさん。もし、僕がここで『もう疲れてしまった。どこか遠くで二人で生きませんか』と聞いたらどうしますか?」
 そうか、偉大な勇者もそのように思うものなのですね。
 彼の肩に添えた私の手に、クリスさんは大きく息を吐きだして動く左手を乗せた。
 …………。
 私はその手を両手で包んだ。
「勇者クリスレイド。神に振り回された運命の子。それでも貴方を頼ることしかできない非力な私をお許しください」
 私は彼に代わって言葉を続けた。
「貴方の質問に答える前に、私の話も聞いて頂けますか?貴方が心の底を曝け出したように、私も貴方に晒しましょう」
 クリスさんは前を見たまま頷いた。
「私は必死で生きて来ました。死の呪文を扱う異端の宗派の中で生まれてしまったばかりに、少し生きづらい思いをしました。そこで私は光を求め、サントハイムに行き、姫様という希望を得ました」
 私は自分の生い立ちをあまり人には話してこなかった。サントハイムの城仕えには不要な話だったからだ。そして、それは仲間たちにも同じこと。それを私は腹を割って全てを話そうと思う。
「必死で生き抜いて、神の与えた試練を耐え抜きました。私はこの旅に加わったことを少しだけ誇りに思っています。きっと、私のような者が誰か、そして…姫様の役に立って心に残ることができる。そんなことで神が報いてくれたと思いました」
「…………僕はそんなクリフトさんが羨ましい」
 私は包み込んだ彼の手を少し強く握った。
「それは私も同じです。誇りに思う一方、私は貴方に嫉妬した。私はずっと忠実な神の徒だった。そのために我慢したこともたくさんありました。それなのに、貴方は私が欲しいものも役目も全部持っている」
「…………」
「私は、私が剣を持って悪を払う勇者になりたかった。だが、そうはならなかった。せめて、腕を捨ててまで私を救った貴方を助けたい」
 クリスさんがようやく私を見た。
「僕たちは、今までお互いを知らずに、お互いに羨ましがっていたんですね」
 私はその目に、悲しさと優しさが混じったような色を見た。
「そろそろ僕は返事が欲しいです。だから、続けて言います。こんな時にと思われるかもしれませんし、こんな時だからこそかもしれませんが、僕はクリフトさんと共に生きたいです」
 同じように思い出したくない過去を背負い、全てを失って二人だけで残ってしまった今。
 彼の言葉は空虚になった私の心の隙間に入り込んだ。
 だから、自然と彼が私と唇を重ねようとしたのを、ただ受け入れた。

“貴方に力を貸すために、少しだけなら私を差し上げてもいい”
 言葉に出なかった彼への回答は心の中にしまい込んだ。


ただただ、……零れ落ちた……。




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