『過去』




(どこに隠れようかな…)
 クリフトは考えた。きっと、アリーナのことだから自分が見つからなければ泣いてしまうだろうし、 まさか、忘れられて隠れっぱなしなんてことにもなりかねない気がした。
 あたりを見回すと、アリーナから少し離れたところに城の台所へと続く渡り廊下がある。 そこの大きな壷の陰にクリフトは身を隠すようにかがみこんだ。 近い場所だったらアリーナはすぐに見つけられるだろうし、何か起きるようならすぐに駆けつけることができる。安心だ。
「にじゅー…いち?…えーっと、さんじゅ!」
飛ばした。随分と飛ばした。
 つい先週、いっしょに30まで数えられるようにお勉強したばかりなのに。力が抜けて、から笑いしてしまう。
 一方、アリーナはそんなこともお構いなしにクリフトを探そうと張り切っている。  普通のかくれんぼならまず無いことだが、アリーナは突然木に登りだした。
(アリーナ様、危ない、僕はそんなところには隠れない!)
 その高さは一階の窓枠より少し高く、2回には届かないくらいの決して高い木ではなかったが、クリフトはハラハラして見守っていた。
 アリーナが右足を滑らせる。しかし、なんとか持ち直したその様子に、クリフトの背筋に冷たいものが流れた。
「アリーナ様」
 クリフトはそっと声をかけた。アリーナは声に気が付くと木の枝につかまったまま周囲を見回す。 わざと壷の陰から足を見えるように出した。
「クリフトみーーーっつけた!」
 アリーナはうれしそうに大きな声を響かせた。
「見つかっちゃったね」
 クリフトは立ち上がり、アリーナの元へ走った。降りられなくなっている彼女を木から降りられるように手伝う。
「次の鬼はクリフトだね」
「そうだね」
 アリーナが言うが早いか隠れる場所を探して駆け回り始めると、クリフトは柱に手をかけて数え始めた。
「よーん、ごー、ろーく、…」
「ねぇ、さっきの見た?危ないわねー」
 クリフトの耳に女性の声が届いた。台所からだろうか。
 声色にはとても好意的な様子は伺えなかった。
「姫様に怪我でもさせたらどうするのかしら」
「だから、あんな下賤な子供はダメだって私言ったじゃない」
 …下賤…。
 クリフトはつい数を数えるのも忘れてしまっていた。
「あの汚い身なり。靴なんてボロボロじゃない」
「あんな得体の知れない子が姫様と付き合っていたら、姫様まで下世話になってしまうわ」
「それでも頭がいいって話じゃない?でも、何か子供離れしているっていうのかしら。不気味よね」
「捨て子だっていうし、まさか、魔物の子じゃないでしょうね?」
 心ない、女中の噂話。
“俺みたいなのじゃなくて、あっちにいるようなお金持ちの子供じゃないと”
 ニックの言葉が彼の脳裏に映し出される。

「姫様もお優しいからあんな子と付き合ってあげているのよ」

 クリフトは奥歯を強くかみ締めた。動悸が激しくなる。苦しい。息が詰まるようだった。
「クリフトー」
 はっとして顔を上げる。アリーナが待ちくたびれて来ていた。
「あ、ご、ごめんね」
 アリーナは首をかしげる。
 クリフトは曇った顔のままだった。
「ごめん…今日は…もう帰るね…」
「え、なんで?なんで?」
「どうしても、帰らなきゃいけなくなったんだ」
 遊び足りない様子のアリーナは無視してクリフトは逃げるように背を向けた。


「……ふむ」
 その様子を執務室の窓から見ていた人物が二人。
 この城に長年仕える宮廷魔術師と大臣だった。
「どうかしたのかのぉ」
「ケンカしたようには見えませんでしたね」
 台所の窓から、仕事よりも話に花を咲かせる女中達が見えた。老魔法使いはそういうことか、と悟る。 城の中でも生まれが少し違うからと、アリーナの望んだ友達の存在を訝しがる人間はいるのである。
 そして、帰ったクリフトの走り方に違和感があったのもブライは気になっていた。




 随分と早い時間に宿舎に帰ってきたクリフトは悔しさのあまり、誰とすれ違っても挨拶することはなかった。
 部屋の鍵を開けようとドアの前でポケットを探る。
「あれ、クリフト。今日はお城へ行ってたんじゃないの?」
 隣の部屋からちょうど出てきたニックが不思議そうに声をかけた。
「うん。今日はちょっと…」
「そっか、じゃぁ、一緒に剣の練習でもしようよ」
 見ると、ニックはその辺で見つけたのであろう、程よく真直ぐで太い木の棒を持っていた。
 気分は乗らないが、断る理由も見つからないクリフトは部屋に入るのをやめて、ニックといつもの中庭へと向かった。

 宿舎の入り口の管理人室の前でニックは指差した。
「荷物来たかちゃんと見てる?」
「そういえば…」
 宿舎に暮らす生徒への送り物や郵便は全て一度集められる。管理人が仕分けて休日になると管理人が部屋に届けてくれるが、 休日、出かけてしまうと直接受け取りに来なければならない。
 貴族の子供へは両親から頻繁に手紙やら仕送りが届けられていたようだったが、彼らにはほとんど届かないためクリフトは確認するのをすっかり忘れていた。
 管理人室を覗き込む。大男がいるのがすぐにわかると、クリフトは遠慮がちに声をかけた。
「クリフトです。クリフト宛のものはありますか?」
 傭兵上がりの熊男である管理人はクリフトの問いかけに首をかしげた。
「あまりにも取りに来ないから部屋の前に置いておいたよ」
「…え?」
 管理人は新入の顔をまだ覚えてくれていないのか。クリフトは状況が飲み込めなかった。
「どんな包みだったんですか?」
ニックには心当たりがあるようだった。
「大聖堂のシスターからちょっとした包みが届いていたよ。多分、服とかが入っていたような…」
 袋の外観と重さからそう推測すると管理人は不思議そうに顎に手を当てて首をかしげた。
「そうですか…」
 理由は何であれ、荷物がなくなってしまったかもしれない、という事実。 大聖堂の皆からの気持ちが無くなってしまったことにクリフトは肩を落とした。

「行こう、クリフト」
 突然、ニックが強引にクリフトの手を引っ張って走り出した。彼の足はどうやら宿舎へと向かっている。
「痛いよ、ニック!」
 クリフトはしばらくあわせて走っていたが、あまりの手の痛さに彼を振り払った。
「あいつらだ…」
「え?」
「あいつら、さっきお前の部屋の前に来てたんだ!」
 ニックの怒りの形相にクリフトは恐怖すら感じた。
「…どういうこと…?あいつらって…誰?」
「ポールたちだよ!あの金持ちの息子の嫌なやつら!あいつら、生まれが悪いってバカにしてるから、 城に行けるようになったお前に嫌がらせに来たんだ!」
「まさか、そんな…」
 クリフトは信じられなかった。しかし、今日城で聞こえた話。 否定しようにもできず、言葉を失った。
「……あいつらぶっ飛ばして、お前の荷物を取り返してくる!」
「いいよ」
 クリフトは目を伏せて首を横に振った。
 神様はまず、赦しなさい。そう言っていたから。
「ケンカしたら、ニックも怒られるし…僕は大丈夫だから」
「クリフトのバカヤロウ!」
 ニックは自分のことを馬鹿にされたように感じたのだろう。彼の方が泣きながら去ってしまった。
「……」
 追いかけることもせず、クリフトは唇を噛んだ。
 彼の目には映っていた。ポール達の部屋のある棟の階段の下。破り捨てられた手紙が落ちていること。 恐らくはクリフトのことを想って綴られたものだろう。 大聖堂の皆へ、情けないやら申し訳ないやら。クリフトはその手紙を拾い集めた。 細かすぎて読むこともできない。
 その日、初めてクリフトは自分達のような境遇の者と彼らの部屋がグループを作るように分けられていたことに気が付いた。






 その翌週のことであった。いつものように城門を守る兵士に丁寧に挨拶をして中へ招かれたクリフトの前に老魔法使いが現れたのは。 老人は宮廷に長年仕える魔法使いであった。
「はじめまして、クリフトと申します」
 礼儀正しく頭を下げるクリフトを目を細めて観察すると、ほっほっ、と笑う。
「噂どおり見所があるのぅ。わしは宮廷魔法使いのブライじゃ。」
 そう名乗ると、彼についてくる様に合図した。
「あ、あの僕に何か御用でしょうか…?」
 歩きながら、彼はいつもと違う出来事に戸惑い始めていた。何か怒られるようなことをしたのか、一生懸命に考えをめぐらせる。
(それとも、先週は勝手に帰ってしまったし、僕にはもう用はないのかな…)
クリフトの戸惑いを他所にブライは来賓用の応接間に彼を通した。 金銀で飾られた机に柔らかそうなソファー。壁にはサントハイム王家の紋章の入った赤いタペストリーが飾られている。 ここでは各国の使者が交渉など国家間の会談のために通されるのだろう。 少しずつ城に慣れてきたといっても、応接間自体がかもし出す威圧感に圧倒された。
「ここでならゆっくり話もできるじゃろうて」
 ブライはソファーにゆっくりと腰をかけると、クリフトにも座るように手で示す。 恐る恐る座ると、体がふわりと沈みこんだ。体が包み込まれているようで心地いい。
(こんなにすごいソファーも世の中にはあるんだ)
 クリフトは自分の部屋の堅いベッドを思い出すと、なんともいえない気分になる。
「元気がないのう、何か辛いことでもあったのかな?」
 ブライは真剣な面持ちでクリフトに向き合った。先週の女中の件をフォローするためだ。
「いえ、大丈夫です」
(心を許してはくれんか、いや、他人に心配をかけたくないのか)
 ブライは彼に贈り物の箱を手渡した。
「姫様のお友達になってくれてから、サランからの往復で靴も傷んだじゃろ。これをお使いなさい」
 箱の中に入っていたのは真新しい高級な皮の靴だった。成長期の彼の靴はすでに足のサイズに合ってはおらず、 ここしばらく歩くだけで足が痛いのをずっと無理していたのは、歩き方から見ても明らかであった。
「あ、ありがとうございます!」
 ブライは早速、その靴を履いてみるように促した。ブライの見立てたその靴はちょうど足が収まるサイズだった。
「ぴったりです」
 その様子を見て、ブライはホっとうなずく。
「これからも姫様の友達でいてやっておくれ。姫様も最近はずっと楽しそうなんじゃ」
 ドアを開けてやりクリフトを導く。
「はい」


 クリフトはアリーナの部屋に向かう途中に何人かのメイドとすれ違った。 彼女らは珍しそうに、彼の足元を見る。クリフトの身なりにその靴は上等すぎて少し浮いていた。
 ブライの言葉を思い出す。
(僕のことを評価してくれる人だっているじゃないか)


 待ちくたびれたアリーナはクリフトの姿を見るなり飛びついてきた。
「はやくあそぼ!」
「うん」
 アリーナのために用意された遊び部屋にはいろいろなおもちゃがある。アリーナが早速積み木を 重ね始めたのを横で見守る。
「…ねぇ、アリーナ様は僕とお友達で楽しい?」
「うん!たのしいよ!お母様もほめてくれたよ」
 クリフトはただ、自分と友達になったことを喜んでくれているのか聞きたかった。 彼女の返事は彼を安心させたが、ただ、少しひっかかる言葉。
(きいてはいけない…)
 そう彼の防衛本能が告げている。それでも彼は聞かずにはいられなかった。
「…お母様が?」
「うん!おともだちとなかよくできてアリーナはえらいって」

“姫様もお優しいからあんな子と付き合ってあげているのよ”

(違う、アリーナ様はきっとそんなつもりで言っているんじゃない)
 頭から離れない、あの女中達の言葉。
 クリフトの心臓は早鐘のように彼に警告を促す。もう、これ以上は聞くな、と。
「えらい、って言われるから僕と遊んでいるの?」
 アリーナはクリフトの問いかけの真意がわからなかった。 お妃には他意はなく、友達を泣かせて逃げ帰らせていたアリーナが友達と遊べるようになったことを喜んでかけた言葉だった。 そんな言葉をアリーナが文字通り受け取って喜んだのも一つの事実だ。 それを素直に受け止めることが出来ないほど、疲弊していた。
「うん。えらいっていわれるとアリーナもうれしいもん」
 クリフトは拳を強く、強く握りしめた。
「……お母様に褒められるから僕と友達になったの?」
 少なくても、クリフトはずっと楽しかった。かわいい妹ができたようだった。身分なんて関係なく。 そう思っていたのは自分だけなのか、信じていた友情ははじめからなかったというのか。
 アリーナは悪気なく、更に続けた。
「お母様はともだちとなかよくしなさいって言ってたもの。クリフトのお母様はそういってないの?」
 クリフトは呻くようにつぶやいた。
「…………いないよ」
「なんで?みんなお母様がいるのに、クリフトにはいないの?」
「知らないよ!!」
 気が付いたら彼は怒鳴っていた。 アリーナの驚いている様子が見えて罪悪感が生まれるが、それでも爆発した感情は止まることを知らなかった。
「僕だって……好きで捨てられたわけじゃない!!」
 アリーナが泣き出して、外に控えていた侍女が部屋へと飛び込んできて彼女を抱き上げてなだめた。
 クリフトはそんなアリーナに何も言わずに飛び出した。
 誰かが驚いて声をかけてくれたのだけはわかった。それでも構う気はしなかった。
 サランへと向かう街道の途中で、息が続かず立ち止まる。体力など元々ない。 気道が狭くなっているかのようにひゅうひゅうと呼吸をするたびに息がつまる。 酸素も足りないのか頭がくらくらした。
 無意識に見つめた視線の先に新しい靴が見える。
(もっとキレイな格好をしろってこと?!)
 悪い方へ悪い方へと考えはめぐる。その靴を投げて捨ててやりたい衝動に駆られるが、 古い靴は置いてきてしまったので、代えがない。
 嫌気が差しているというのに捨てる度胸もない。彼は生まれて以来こんなに惨めな思いはしたことがなかった。


(もう、誰も信じたくない。信じなかったら、辛くない。強くなりたい)



 アリーナの友達になって初めて、翌週の休日に城へと向かわなかった。
冷静になって、アリーナの言葉を思い出せば悪気はなかったのではないかとも思う。しかし、感情はそれを許さない。
 身分。
 生まれ。
 ニックの言葉の意味が今ならわかる気がした。
 ゴミ箱が目に入った。手紙が捨てられている。城からの事務的な謝罪と来週また来て欲しいという依頼の手紙だ。
 クリフトは目が覚めてからずっと何も口にせず不貞寝を続けていた。ニックが心配そうにドアの外から声をかけたが、 大丈夫だから、と部屋に入れずに彼すらも追い返した。昼はとっくに過ぎただろう。お腹が空いているのに、食欲はない。
 クリフトの部屋のドアを強引に叩く音が耳障りに響く。
「クリフト。開けて顔をお見せなさい」
 シスターの声だ。クリフトはこれまでの来客のようにベッドから出ずにドアの外に向かって拒否の言葉を投げ捨てる。
「…体調が悪いのです」
「それでも顔をお見せなさい」
 クリフトはしぶしぶ立ち上がり鍵を開ける。
 そこにいたのはシスターだけではなかった。目に入ったのは兵士を一人だけ護衛につけた王妃の姿。床鳴りも激しい古めかしい生徒用宿舎に一国の王妃。 なんと不釣合いなことか。クリフトは悪い夢じゃないかと思った。
「こんにちは」
 王妃は優しい笑顔にクリフトは慌てて頭を下げる。兵士に合図されるとシスターは階段を下りていくのが見えた。 階段の下には王妃を一目見ようとたくさんの生徒が集まっていたが、シスターが帰るように睨みあげながら手を動かすと蜘蛛の子のように散った。
「あら、お勉強中にお邪魔してしまったかしら?」
 どう見ても彼の姿は寝巻きだ。寝癖だって直っていない。 王妃は少なくとも悪びれた様子は全く無いいたずらな微笑みだ。
「い、いえ…だいじょうぶです。あの、アリーナ様は…?」
「あの子ね、クリフトに元気になってもらいたいってずっとお外で待ってたんだけど、疲れてしまったのね。寝てしまったわ」
 クリフトは少し気の毒なことをしたような気がしてきた。
(アリーナ様が僕のために…)
「侍女から話は聞いたわ。本当はアリーナが謝らなきゃいけないんだけど、どうしても起きなかったから…。 あの子があなたを傷つけるようなことを言ってしまって本当にごめんなさい。そんなつもりはなかったと思うの。 私もアリーナもね、本当にあなたのことが大好きなのよ」
 視界が歪んだ。
「僕こそ、怒鳴ったりして、アリーナ様を驚かせちゃって、本当にごめんなさい…」
 涙が止まらない。
 王妃は優しく彼を抱きしめて上げると落ち着くように頭を撫でた。
「今日はもう休んで来週また来てあげてね」
 お妃さまがそう望むのなら。と、クリフトは思う。 まさか、王妃という身分でありながら自分と対等の立場に立ち、ここまで来てくれるなんて。 お妃様の為にも姫様のお友達で居続けようと。

 他の人間は信じられてなくても、ニックと王妃にだけは心尽くそうと。



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