『悲嘆』


 それから5年たった冬の終わり。クリフトは11歳。彼は十分な手ごたえを感じていた。
 身分や生まれ、妬みと嫉妬。 それらを巻き返す方法はすぐにわかった。
 勉強だ。勉強して成績がよければ、周りに認められる。褒められる。大司教様も喜んでくれる。 そして、あとは誰にでも従ういい子であれば攻撃されることもない。
 彼は5年間、必死に勉強した。その結果が飛び級だ。3年分の飛び級を果たし、 あと2年間の学校生活で卒業だった。
 サランの神学校は最初の4年間が初等教育であり、その間に基本的な読み書き、歴史、語学、神学を習う。 貴族の子供達はその過程が過ぎれば、ほとんどの生徒が家に帰ってしまうのである。
 おかげでクリフトはあまり関わりあいたくない彼らとは短い時間しか共に過ごさずに済み、去年には全員が 学校を去り気楽になった。残ったのはクリフトやニックのように真剣に神の道を志しているものだけであった。
 変わらず週末には城に向かうため、ニックとはあまり会うこともなくなってしまったが、 それでも会うと必ず夜遅くまで一緒に剣の練習をして負かされていた。
 今日もそうだった。

「すぐに覚えるし才能がないわけじゃないと思うけど、なんていうか力がないよなぁ」
 クリフトは弾き飛ばされた木の枝を少ない明かりの中探し出し拾うと、再び構えた。
「剣術の授業ちゃんと受けてた?」
「基本の型は理解しているんだけどね……」
 どうも実戦となると。クリフトは苦笑する。護身用のために1年間だけ、中等教育過程で剣術の授業がある。 そこでの成績は決して悪くはない、筋はいいのである。 しかし、やはり体力づくりを後回しにして勉強を続けたからなのか、 クリフトの斬撃は渾身の力をこめても簡単にニックに弾かれてしうのだった。
「力がない分、身軽だからそれを活かしたスタイルに変えていったほうがいいと思うよ」
 ニックは勉強は苦手だったが、剣術や体力に関しては誰にも負けなかった。 自分よりも背は高く伸び、体格にも恵まれている。クリフトへのアドバイスも教師のように正確で適格だ。
「そういえば、姫様来なくなったのか?」
 ニックは汗を拭う。
 成長したアリーナは8歳になっていた。黙って立っていれば、品行方正なお姫様に違いない。 しかし、彼女を年を追うごとにお転婆を増していた。神学校の授業が休みになると、必ず遊びに行ってあげていたクリフトであったが、 アリーナはそれでは満足できず、平日でもサランの学校に押しかけてくることが少なからずあった。
「うん。必ず、週末には行くから来ないでくださいってお願いしたよ」
 そうクリフトが告げたとき、アリーナはとても不服そうだった。少し厳しくしずぎたか、とクリフトは 気になっていたが、ここで成績を落とすとアリーナの名誉にも恩を返すべき大司教の名誉にも関わる。
 何しろ、自分の誇りの後押しをしているのは成績と勉強だったのだから。
「もしかしたら、騎士になるよりも神官目指した方がいいかもな」
 ニックが思いもよらないことをいう。
「お前、勉強だけはやたらとできるだろ。神官って言ったらエリートだろ。その方がお前向いてるんじゃないのかな」
「どうして。一緒に今まで騎士団目指してがんばってきたのに」
 神官は城に遊びに行っていて何回か見かけたことがある。緑の制服の人たちだ。見かけただけで話したことはなかったが、 遠くから見てもすぐにエリート集団だということは理解できた。
「私なんかじゃ見向きもされないよ」
「何言ってんだよ。先生達も“100年に一人の天才”だって感心してたぜ」
 ニックはクリフトに人差し指でジェスチャーしながらを片目をつぶって大人たちの真似をしておどけて見せた。
「じゃぁ、ニックも」
 今度はクリフトが手にして棒を振ってみせる。ニックは目を丸くすると、恥ずかしそうに顔を背けた。
「それだったら俺なんて“5年に一人”くらいなもんだ」
 クリフトは噴出した。
「思ったよりも自信があるんだね」
 ニックは尚顔を赤くしたかと思うと笑い出した。 二人で大声で笑い疲れるまで笑うと、クリフトは話を戻す。
「でも、今まで騎士団に入るって思ってきたから」
「クリフトはなんで勉強してきたの?」
 それは、以前にニックと約束したからだ。それ以外には何も無い。 漠然と目指してきただけだ。理由をクリフトは考えた。 少しの間考えて、わからなかった。 たいまつに照らしだされる表情は少し不機嫌そうに見える。
「なんでって…いわれても…」
「クリフトはさ、いい成績を取りたいだけなんじゃないの」
「それは…」
 図星だった。言われてみて返す言葉もない。
「いい成績で優等生でいるのがいいんだったら神官を目指せばいいだろ」
 それももっともな話だ。クリフトは何かを言いかけて口を噤んだ。ニックは続けた。
「俺に合わせて騎士団を目指すことないよ。クリフトにはきっと神官のが向いてる」
「……」
「だって、俺が騎士団に入りたい理由は…」
「そこの二人!もう消灯時間です。部屋に戻りなさい!」
 ニックの言葉の途中でランタンを持ったシスターがヒステリックに怒鳴りつけた。
 今日はこれまでだな、すくめられたニックの肩がそう言っている。二人は無言で歩き出した。
 部屋のドアに手をかけたまま、クリフトはニックに尋ねた。
「ニックは何で騎士団に入りたいの?」
「それは…いや、なんでもない」
 ニックは話そうとはしなかった。
「そうだ、それよりも。俺は来週何日か学校休んで出かけなきゃいけなくなったんだ。 だから、その分の勉強、後で教えてくれよ」
 これ以上、成績落とすと大変だからさ。そう笑うニックにクリフトはいつものことだから、と快く了解する。 ニックは今までも学校を休んでどこかに出かけることが何回かあった。だからクリフトは授業の後に彼に勉強を教えていたことがある。 クリフト自身も剣術ごっこに付き合ってもらっているのだから、お互い様だ。
 うまくはぐらかされてしまったクリフトは部屋で一人で考えていた。
 入学したばかりの頃、ニックは騎士団に入り魔物から皆を守って世界を回りたいんだと言っていた。 本当の理由は別のあるのだろうか。
 どちらにしろ、彼には理由があり、才能がある。
 クリフトには、理由がなければ、才能も少ない。
 彼には時間がなかった。卒業はすぐ見える段階になっている。
(神官か…)
 クリフト自信もそのほうが自分にしっくり当てはまる気がした。
 その日一日の無事を神に感謝しながら、彼は眠りに落ちた。




「クリフトの負けー!」
 アリーナが愉快そうに判定を下した。 クリフトは城に来たときに、城に兵士に剣を教えてもらうこともあった。 兵士達は強くなりたい少年に辛抱強く付き合って、 アドバイスをしてやっていたのである。何より、彼らにもがむしゃらに特訓を繰り返していた時代があった。 まるで自分の昔を見ているかのように懐かしい気持ちになってしまうのだ。
 喉元に突きつけられた木の模造剣。
「…ありがとうございました」
 クリフトは一礼した。兵士は剣を引くと、満足そうに言った。
「昔より随分、動けるようになったね。筋がいいよ」
「……そうでしょうか…。私、剣の才能はないんじゃないかと、そう思って」
 兵士はクリフトの背中を叩いて励ました。時折、大人は何の根拠もなく子供に希望を与えようとすることがある。 責任がないからだ。クリフトはこの励ましもきっとそうに違いない、と苛立った。
「学校の友達に、神官を目指したらどうかって言われたくらいです」
 クリフトはアリーナを見た。アリーナもクリフトの真似をして別の兵士と剣術ごっこをしている。 アリーナのセンスは目を見張るものがあった。8歳にして、兵士の太刀筋を読み、受け流す。
「ええーい!」
 油断をしていた兵士の腕を力いっぱい叩きつけ、アリーナは歓喜の声を上げた。 手加減を知らない子供の一撃にその兵士は腕を擦りながら照れ笑いをする。
「姫様はすごいなぁ」
 兵士はさすがに苦笑した。格闘技の才能は彼の目にも幼い姫の方が上だった。
「神官も立派なお仕事だぞ。一度、話を聞いてみるといい」
 その言葉に、やはり向いていないと思われていたか、と自嘲した。
(でも、話はしてみたい)
「お会いしてみたいで…」
「すきありー!」
「痛っ!」
 アリーナの一撃で彼の太腿は痺れあがった。アリーナはしてやったりと剣を持った手を振り回して喜んだ。
「私の勝ち?」
 今度はクリフトが太腿を擦りながら引きつった笑顔で答える。
「姫様の勝ちです」
「わーい!」
 後にアリーナが格闘技に目覚めることになるきっかけの一つになるのだが、そんなことは露知らず、 涙目でクリフトは拍手しながら、じっと痛みに耐えるだけだった。



 サントハイム城内にある小さな礼拝堂。そこでは神官長ソテル・ヴァーレンがよく 祈りを捧げているのを見ることが出来る。そこにクリフトとアリーナはやってきた。
 光のよく入る明るい礼拝堂。クリフトの知っている聖堂や教会は明かりをあまり取り入れることができない 空間だったため、その明るさに目を疑った。
 真正面の聖像の前に跪き祈りを捧げる老人が見える。それが神官長だった。 初めて城に使いにやってきたとき、彼に手紙を渡したことがあるクリフトはすぐにその人物を思い出すことが出来た。
 彼らがやってきたことに気付いているのかいないのか、微動だにせず祈りを続けている。
「おじいさん、寝ちゃってるの?」
「姫様、しーっ」
 場違いな大きな声にクリフトは慌てて口の前に人差し指を出した。
「静かにしないとだめですよ」
「そうなの?」
「しーっ」
 クリフトがどうしたらわかってくれるのか、とさすがに焦る。
「構いませんよ」
 そう語りかけたのは神官長当人であった。彼は真っ白な長い髪と長いひげとを持つ小さな老人で、見るからに柔和そうな顔をしていた。
「子供は元気でいることが一番の勤めです」
 クリフトはその温和そうな老人に安心した。
「ご機嫌麗しゅう、姫様」
「こんにちは!」
 元気に挨拶をする姫の横のクリフトに神官長は向き直る。
「ほうほう、お前さんが姫様のお友達のクリフトか。賢そうな顔をしておる。何歳になるんじゃ?」
「11歳です」
「ほう、噂はよく聞いておるよ。クレフも喜んでおったわ」
 クレフとはサラン大司教クレフ・シメオンのことであろう。
「大司教様とお知り合いなんですか?」
 大司教と城の神官長、面識は当然あるとは思っていたが、あまりにも親しそうな様子にクリフトは驚いた。
「昔、一緒に巡礼の旅に出ておった仲じゃ」
「大司教様といっしょに旅を…」
 アリーナがつまらなそうにクリフトの袖を引く。
「旅ってどんなことするのー?」
「えっとね、いろんな国や町に立ち寄ったりしながら、世界中を回ることだよ」
 クリフトだって旅はしたことがない。少し迷った様子を見せたが、その言葉の定義を伝えた。アリーナは首をかしげる。
 神官長は笑った。
「それではクレフと旅したことでも話してやろう。そこに座るといい」

 神官長は礼拝者達が座るように取り付けられた椅子の最前列に彼らを座らせ、自分も隣にゆっくりと腰を下ろした。
「何からはなしてやろうかのー。この老いぼれがクレフの奴と巡礼の旅に出たのは、18の頃じゃった」
 二人は旅の話に夢中になった。旅先で出あった人々の話。違う文化を持つ国。そして、強い魔物と出会い戦ったこと。 自分達の若さゆえに衝突したり、失敗したこと。
「特にクレフの奴は飯を作るのがヘタじゃった。よく、焦げたスープを飲まされたものよ」
 立派だとばかり思っていた大司教の失敗の話はクリフトにとっては意外なものばかりだった。
「帰ってきてすぐに奴は司祭に、私は神官になった」
 クリフトは尋ねた。
「なぜ、神官になることに決めたのですか?」
 神官長は一瞬、考えてみたようだった。
「なぜか、か。それはな、私はそのときは若くてな、城のお姫様のことをずっと気にしておったんじゃ」
「好きだったんですか?」
「さぁな、そうかもしれんの。何しろ、姫様はご結婚なさっておった。それでも、私は仕えたいと思ったんじゃ」

(そんな理由で)
 城のエリート達を束ねる長が、その道を志した理由がそんなに浅い理由だったのかと愕然とした。
(神官ってそんなあっけない志で進む道なのか。神官って思っていたよりも普通なんだな)
 騎士団について彼が持っているイメージ、それは神聖で強くて人々の信頼を集めるというもの。  実際にはそんなに崇高なものではないのかも知れないが、少なくともそのときクリフトはそう思っていた。 だから、神官もそういった存在であって欲しかった。
 落胆していた彼はやはり騎士の方がいいな、と思い直した。
 そして、次にお城に行ったときにもっと身を入れて訓練に入れてもらおうとも考えていると、
「私も旅に出たい!」
「ほうほうそうですな。でも、皆心配してしまいますよ、姫様」
「だって、すごく楽しそうなんですもの!ね、クリフトもそう思うでしょ?」
突然に話を振られる。
「え、そうですね」
 クリフトはまったく話を聞いていなかった。とりあえず話を合わせた返答にアリーナはご満悦だ。
「ね!じゃぁ、いつか一緒に旅に出ようね!」
 そんな日が来るのだろうか。いや、ないだろう。
「ぜひ、ご一緒させてください」
 姫の願いを無碍にできるわけもない。クリフトは頷いた。








 クリフトとアリーナが帰るのと入れ違いに一人の神官が礼拝堂に一礼して入った。 その黒髪の神官は30を過ぎたくらいの年齢だろうか。厳格そうな雰囲気、隙のない身のこなしから有能であることが すぐにわかる神官だ。彼はすぐに報告書を開き、一日の報告を始めようとするが神官長がひどく愉快そうであることに気が付いた。
「何か楽しいことでもございましたか?」
「ほう、わかるか、ティゲルトよ。姫様とお友達が遊びに来てくれてたんじゃよ」
「そうでしたか」
「あのクレフの拾い子の噂はきいておるかね?」
 ティゲルトは厳しい表情のまま頷いた。
「神学校の教師の中でも頭が良いと評判だとか」
 神官長は聖像へ向き直る。
「ぜひ、神官に欲しい人材じゃ」
「彼は騎士団志望と兵士達から聞いていますが…」
 休日に遊びに来た彼は兵士と一緒に剣の稽古をしているのは有名な話だった。
「騎士団にくれてやるにはもったいない。それに、私には妙な直感がある」
 ソテルの言葉にティゲルトは報告書を閉じて、ソテルの言葉に頷いた。
「全ては神の御旨のままに。あの少年が望むのならば、そうなることもありましょう」



 そして、一週間はあっという間に過ぎていく。
 土曜日のことだ。
 彼は心に深い傷をつける事件に遭遇することになった。



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