-アリーナ様、今日は何をして遊びましょうか?
-僕と一緒に絵本を読みましょう。

-こっそり裏の林まで抜け出しちゃいましょうか。



 部屋は暗かった。
 泣けばいいというものではない。でも、止まらないのは自分の意思の外のことだ。どうしようもない。
 もう人の手にはどうすることもできないのだから。


「神様なんて、何もしてくれないじゃない」
 お母様のときも。今も。
 パデキアが干ばつで全滅していて、保管されていた種も見つからなくて。
 絶望に暮れて戻ってきてみれば、看病を任せたはずの老魔法使いもいない。 代わりに看病してくれた宿の者は最期なのだからと気を使って二人だけにしてくれた。
 残っていたのは静寂と終末。孤独の始まり。
「クリフト、貴方は天国には行けないわ」
 もう、苦しそうな顔も見せていない。彼は死ぬのだろう。
「だって私との約束を破ったんだもの」
 クリフトの手がだんだんと冷たくなっていく。
「ねぇ、今ね。小さかった頃のこといろいろ思い出してたの」
 アリーナはその冷たいクリフトの手を温めるように撫でた。
「クリフト。貴方も今、思い出してる?」
 ………。
「私ね、今まで、勇気がなくてずっと言えなかったこととかいっぱいあるの。 ずっと言いたかったことばっかりだったの…っ」
 ………。
「知っていたわ。貴方がずっと死にたがっていたこと。でも、私は…っ」
 それ以上、続けることがどうしても出来なくて、その手にそっとキスをした。
「クリフト。貴方はお母様とお友達にすぐ会えるのね…。うらやましいわ。私も、…私も連れて行ってよ…」
 アリーナは荷物の中から果物ナイフを取り出した。度の間、クリフトはこれでよくリンゴを剥いてくれた。
“なりません。命は尊いものです”
「…わかってるわよ。こんなことしたら、貴方に怒られちゃうわよね」
 アリーナは今は何も言えないクリフトに窘められた気がして、そのナイフをそっとサイドテーブルに置いた。
(でも、できることなら)
 置いたナイフの横に手をついたまま、どうしても最期を看取る勇気が出ずに顔を背けた。

 ドカドカとけたたましい足音がした。
「姫様!」
 乱暴に開け放たれたドアの向こうにブライが見えて、アリーナは呆然と立ち尽くした。 ただ、それも一瞬で、
「どこに…どこに行ってたの!?私の命令もきかないで!」
 怒鳴りつけられたブライは、当然のことと顔色一つ変えなかった。
「姫様。言い訳と謝罪はあとで嫌になるほど聞いてもらいます」
と、小さな植物の根を掲げるように差し出してみせる。
「これが、パデキアでございます」

「これで、助かるの…?」
「その通りでございます」
 ブライはすぐにその根をすり潰していく。少し、黄色がかった白い薬。 その苦い刺激臭にアリーナは思わず、息を止める。
「お願い。早く、助けてあげて…っ」
「もちろん」
 クリフトの体を起こすのに苦労していることに気が付いて、 アリーナが慌てて代わる。
 ブライが少し、強引に口の中に流し込んだ。
「……」
 固唾を呑んで様子を見守る。喉がかすかに動いたのを見て、ブライが頷いた。
 少ししてからだろうか。
 クリフトの表情が微かに苦しそうに歪められた。
「………っ!」
 詰まっていた息が戻るかのように、咳をするかのように吐き出された呼吸。
 口内に残っていたパデキアが吐き出された。
「クリフト!」
 アリーナが押さえている肩越しに呼びかけた声に反応して、小さな呻き声を上げた。
 反応した。もう死んでいるも同然だった彼が。
 それだけでも、奇跡だというのに。
「……っ」
 自力で首を回した彼と目があう。その微かに開かれた目に輝きが戻っているのを見て、今度は嬉しいのにまた泣きそうになって、アリーナは 必死にこらえた。
 その体を再び横たわらせてやると、彼は眠りについたようだ。一瞬、アリーナは驚いて再びクリフトの手を取ったが、 その手が温かいことに気が付き、ようやく肩の力が抜けた。
 ブライが静かに吐き出されたパデキアを拭き取ってやると、布団を掛けなおす。
「…少し、寝かせてやりましょう」
 ひそめられたブライの声にアリーナは物音を立てないように立ち上がって、静かに部屋をでた。

「ブライ。この方々は…?」
 アリーナはドアの外に待っていた旅人達の姿に首をかしげた。
「パデキアを取りに行くにあたって、手を貸していただきました恩人でございます」
「そうだったの。旅の方々、私の家臣に手を貸していただき、命を救ってくださいましたこと感謝します」
 アリーナが改まって微笑むのを見て、マーニャが笑いを堪えるように言った。
「自然にしてくれて構わないわよ。洞窟の中で遠くから見かけていたから」
 アリーナが目をぱちぱちとさせた。ミネアが慌てて、マーニャを肘で小突いた。
「姉さん。初対面なのに失礼よ」
 アリーナは自嘲気味に笑った。
「…なんだ。あのときあの洞窟にいたのね。悔しいわ。近くにいたのに、見つけられたのが私じゃないなんて」
 ブライがクリスをアリーナの前へ進み出るように促した。
「はじめまして。アリーナ姫様。あたしはクリスティナです」
「はじめまして」
 クリスは優しく微笑んだ。
「実はブライさんから聞きました。デスピサロという魔族を知っているそうですね」
「!魔族?!」
 まさかそんなこと考えてもいなかった。得体の知れない男だとは思っていたが、 人間ではなかったとは。
 ブライを見るとやはり険しい顔で静かに話を聴いていた。
「一緒に行きませんか?必ず、力になります」
「……そうね。協力しましょう」






 それからしばらく経っただろうか。彼女達はクリフトの体調を心配して、 数日間の滞在を決めてくれた。しかし、時間は限られている。キングレオに向かい、ライアンという名の 戦士を助け、魔物と化している王を倒すために。
 アリーナはクリフトの部屋のドアをノックした。…開いている。
「クリフト。出発は明日に決まったわ」
 クリフトはすでに準備を進めている最中だったようで、少し痩せた笑顔で頷いた。
「…新しい仲間達とは馴染めてきた?」
「えぇ。…姫様の認めた方々ですから」
「なら、いいの」
 アリーナはサイドテーブルに置きっぱなしになって、忘れ去られていた果物ナイフを見つけて近づいた。
「…クリフト。命令するわ」
「はい」
 ナイフの切っ先を彼に向ける。
「貴方の命は私の物よ。死ぬことは許さないわ」
 クリフトは少し驚いたような感情を目に表したが、瞬きした次の瞬間にはいつもの微笑みを浮かべていた。
「承知いたしました」
「絶対に守りなさい」
 クリフトはアリーナの手の口付けた。
「私が死ぬときは、貴女様が“死んでよい”と命令・許可なさったときのみ」
「………」
「それまで私は姫様の剣となり、盾でありつづけましょう」
「それでいいわ。必ず、サントハイムの皆を救いだしましょう」










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