『嫌悪』



 雨が降り出した。
 そういえば傘を持っていない。宿から出る前に空を見上げて、雨が降るだろうことはわかっていたのに。
 クリフトはそれでも、歩き続けた。  その場所は他の多くの者が埋葬されている一角とは離れた場所にある、木の根元だ。
 そこはサランの大聖堂の裏手にある小さな丘の集団墓地の囲いの外にある一番小高い丘だ。 そこは見晴らしが良いわりに昔から人気がなく…よく、小さい頃に二人でここに来ていたものだ。
 クリフトは目前の墓に花を置いた。
 その墓は墓碑というには悲しいほどに小さく、ただ四角に削ってあるだけの白い石だ。その墓碑にはこう刻まれている。
-テンペのニコラウス、と。
 生まれた日もわからない彼の墓碑には名前しか刻まなかった。
「しばらく、来れなくて怒ってるかい、ニック?」
 随分と長い間、来ない間に雑草が伸び、荒れ放題になっていた墓を掃除しながらクリフトは優しく語りかけた。
「…それとも、もっと大きい墓に造り替えてくれって?悪かった。これでも、墓を作るので精一杯だったんだ」
 神官になってすぐ、少ない貯えでやっと建てた墓。
「今、私は姫様の臣下として戦っているよ。…だから、まだ死ねない。 剣の腕も随分上がった。いずれまた会える日には今度は私が勝つから覚悟しておいて」
 雨に濡れた前髪が視界に入り、髪をかきあげた。
「お前はこっち来るなって言いたいんだよね?……生憎、私も天の国には行けそうにないよ」
 すっかり綺麗になった墓を見て、クリフトは満足そうに微笑むと立ち上がった。
「次もいつ来られるか分からないけど、また必ず来るから」
 雨に濡れた小さな墓石はまるで、泣いているようだった。


 そのまま丘の急斜面を降りれば大聖堂の裏口に着く。宿屋までの近道だ。 クリフトは濡泥が服を汚すのも構わずに駆け下りた。

 大聖堂前の広場。すぐに町の住民は彼の姿を見て神官だとわかったのだろう。 しかし、傘も差さずに泥に汚れたその姿を遠くから不思議そうに眺めるばかりだった。
 そのまばらな人の中から長身の男が姿を見せた。
「久しぶりだな。クリフト」
「…貴方は…!」
 感傷に浸っていた無防備なところに声を掛けられて、クリフトは怪訝な顔でその男を見た。
「…久しぶりに会ったというのに相変わらずだな。風邪をひくぞ」
 ティゲルトは自分の傘の中にクリフトを入れてやる。
 あまりに近いその距離に、クリフトは思わず下を向いた。
「…すみません」
「サントハイムでの戦いは見事だった。…我々に出来なかったことをお前達は見事にこなしてみせた」
「いいえ。私は後方からお助けしただけです」
 サントハイムを乗っ取った魔物、バルザックを倒したのは一昨日のこと。昨日一日は流石の仲間達の ぐったりと宿屋で休んでいた。
「…いいや。功績をあげたことに何の変わりもない。感謝している」
 ティゲルトは嬉しそうに微笑んだ。
「恐縮です」


**********
 それはサントハイム城に踏み込む前の晩のことだった。
 サントハイムへの突入の作戦は、先にアリーナ、ブライ、クリフト、トルネコが突入し、 敵を散らす。そして、クリス、マーニャ、ミネア、ライアンがバルザックへ 勝負を挑むというものだった。
 当然、アリーナはごねた。サントハイムを取り戻す戦いに何としても加わりたかったからだ。
「姫様!お聞きわけください!」
 ブライの制止にますますいきり立ったアリーナは夕飯のスープのお皿を床へとたたきつけた。
「これは私の戦いよ!」
 クリスが動じずに座ったまま、アリーナを見つめた。
「…これはすでに決めたことよ」
「変更してもらうわ!」
「まぁまぁ、落ち着いて。全員がサントハイム奪回と打倒バルザックで役割を分担するんです。 全員、同じ目的のために戦っていることに変わりはないじゃぁないですか」
 トルネコがクリスとアリーナの間に立ち、両手を広げて説得した。
 仲間に加わったばかりのライアンは腕を組んで見守るばかり。
 マーニャが怒りの表情で立ち上がるのをミネアが慌てて押さえ込んだのを見て、 クリフトもトルネコの横に立った。
「姫様、トルネコ殿のおっしゃる通りです。誰が欠けても成功しない困難な戦い。 ここはリーダーであるクリスの指示に従って、団結できなければ勝ち目はございません」
 口調は静かだが、はっきりとした意思の籠もった言葉にアリーナはようやく納得したようだった。
「…わかったわ。」
 アリーナが不貞腐れたように部屋に戻るのを仲間達は困ったように見つめ、見送る。
 クリフトは仲間達に“任せてください”という意味のジェスチャーを送ると、彼女の後を追った。

 ドアを開けようとする、当にその瞬間にアリーナに追いついたクリフトに彼女は寂しそうに微笑みかけた。
「…ごめんね」
「いいえ。サントハイムを愛しているからこそでしょう。私にはわかります」
「…ありがとう」
 アリーナはクリフトの目を覗き込むように見つめた。
「明日の戦いが終わって、サントハイムの人々が戻ったら…どうすればいいかな?」
「…恐らくはデスピサロという諸悪の根源を倒さなければ、真の意味での安息は訪れないのかもしれません」
「そう。そうよね」
「さぁ、姫様。皆に謝りにいきましょう」
 クリフトは自分が先に戻る仕草を見せることで彼女を促した。
 アリーナもおずおずと後について歩いた。
 良かった。と、クリフトは思った。仲間とわだかまりが出来たままというのは良くない。
 そう。
(姫様が危険な目に遭う必要はありません。…危険な戦いは他の者に任せればいいのです)
 クリフトの氷色の瞳がそっと伏せられた。




**********
 そして、戦いのとき。
 ミネアの言葉を借りれば、導かれし者が全員揃ってからの初めての戦い。
 荒れ果てた城の中で彼らは戦った。
 サントハイム大陸に着いてすぐに気が付いたが、魔物が不自然に強力になっている。 ティゲルトをはじめとして騎士団や近衛兵達で城を奪還できなかったのも無理ないこと。 クリフトは魔物の群れから、三人を守るべくスクルトの呪文を唱えた。
 そして、ブライの中級氷結呪文が魔物を貫いた。 頭部を潰された虎男が崩れ落ちる。
「ブライ、ルカニを!」
 アリーナが堅い甲冑を身に着けたサイの姿の魔物に梃子摺って叫んだ。
 ブライがその言葉を聴いて、すぐに呪文の詠唱を始める。その背後に別の魔物がせまった。
「危ない!」
 トルネコはその大きな体に見合わないような俊敏な動きで跳ねると、ブライを庇ってその魔物を叩き伏せた。
「だいじょうぶ!?」
 驚いて振り向いたアリーナの横にクリフトが躍り出て、サイの持つ斧を受け止めた。
「クリフト!」
 ギリギリと頭身の擦れる音がする。明らかに力で劣ったクリフトの剣は空しく弾き飛ばされた。
 魔物が斧を振り上げる。…嗤った気がした。
(勝った気でいるのか)
 クリフトはその言葉を呟いた。
「ザキ」
 三人も、周囲の魔物すらも、動きが止めた。
 何が起こったのか理解できなかったからだ。
「すごい…!」
 アリーナが興奮したように、クリフトに命じた。
「クリフト!その調子で敵を倒すのよ!」
 アリーナと違い、魔法力の流れに敏感なブライが何かを言おうとしたが、 再び襲い来る魔物の攻撃をかわすのに精一杯だった。
「この調子なら勝てるわ!」
 クリフトは命令通りに、禁断の呪文で敵を殺し続けた。





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