強くなった雨が水溜りを激しく打ち付けていた。ティゲルトは雨音が激しくなったことで、少しだけ 強い口調で聞こえるように話を続けた。
「姫様やブライ様にご迷惑をおかけしていないか?」
「それは…いえ、正直言うと迷惑をおかけしてしまいました。死の病の淵から救って頂いたのです」
「そうか。それならば、まだお前には果たすことがあるということだな」
「えぇ。姫様のお側で戦い、サントハイムの人たちを救い出すまで私は死にません」
「そうだな」
 クリフトは傘を出た。激しい雨が体を打ちつける。
 その後姿にティゲルトは声をかけた。
「…ブライ様に聞いた。危険な呪文を身につけたそうだな」
 ぴくり、と肩が反応して、歩みを止める。
「………何のことでしょう?」
「とぼけるな。一瞬で生命を奪う呪文など、どこで覚えた?」
 クリフトは再び前髪をかきあげた。
「……編み出したのです。私が」
 ティゲルトは舌打した。
「まぁ、いい。その呪文は教えに背く。そして、人間の身に余る。…もう使うな」
 クリフトはようやくティゲルトに向き直った。
「…お断りします」







 謁見の間に乗り込んだメンバーが戻ってきたのを見て、戦いが終わったことがわかった。 4人とも怪我だらけだったが、クリスとマーニャが二人で拳を合わせたのを見て、全員が大きい声で笑った。
「ねぇ、部屋の様子を見たいんだけど、いいかしら?」
 アリーナがクリスに尋ねた。
「まだ危険があるかもしれないから、誰かついていってあげて」
「それなら、私が行きますよ」
 クリフトが進み出て、仲間達は気軽に手を振って見送った。

 記憶の中でいつも王と妃、アリーナが座っていた玉座には面影はなかった。 巨大な魔物が暴れたせいだろう。壁のあちこちが崩れ、柱にはヒビが入っていた。
「こいつがバルザック?」
 アリーナはそこに崩れ落ちている巨大な魔物の死体に口元を押さえた。
 魔物と化したと聞いてはいたが、人間であった痕跡など何一つ残っていない。 そのおぞましい姿にクリフトも眉間に皺を寄せた。
「姫様。ここから先は私のような家臣の男が付いていくのは気が引けますので、ここでお待ちしております」
 城にいたころにはクリフトは必要とあらば部屋まで来ていたというのに。 突然のクリフトの提案にアリーナは一瞬不思議に思うが、
「それじゃぁ、すぐに行ってくるね!」
と、深く考えずに駆け出した。
 その姿が見えなくなるのを確認すると、クリフトは剣を抜いた。
「まだ、生きているのでしょう?死んだフリはもう終わりです」
 低い喚き声にも似た音がバルザックの口元から漏れた。声も出せないらしい。
 満身創痍。恐らく、ここはやり過ごして、いずれ傷が癒えてから報復するつもりだったのだろう。 計画の失敗を悟ったバルザックは腕をついて体をわずかに起こした。力を入れたことで、体中から噴出した血が びしゃびしゃと床を汚していく。
 クリフトはゆっくりと剣を振りかぶった。
「お別れです。サントハイムに仇なす者」
 クリフトは一切手加減せずにその首を切り落とした。

「……」
 じっと、その断面を見ていた。ぴくぴくと痙攣する体躯と神経の糸、それに合わせて流れ出る体液。 もう、動き出すことはないだろう。
「!」
 闇の気配が濃くなった。その肌寒い何かに、弾かれたように構え周囲を警戒する。
 魔力の移動が起した疾風が髪を凪いだ。
「!」
 玉座の前にぼんやりと悪魔の影が浮かんだ。漆黒の影が。
“…やはり、黄金の腕輪がなければだめか”
「…?!黄金の腕輪!?」
 クリフトが驚いて、そう叫んだ次の瞬間。彼のすぐ真後ろにもう一つの影が。
 まったく反応できない。指一本すら。…勝てる気がしない。殺される。冷たい汗が伝った。
“…進化の秘法の実験結果としては上々だな。人間にしてはよく役立った。早く、アレを完成させなければな”
“人間どもよ。覚悟して最後のときを待つがいい”
 クリフトは搾り出すように問いかけた。
「…どういうことだ?!」
 その返事をすることはなく、魔物の影は跡形もなく消え去った。
「……っ」
 助かった。
 全身から力が抜けて、思わず膝をついた。呼吸を整える。
(…黄金の腕輪とは一体…?)
 何だ。一体どういうことなのか。考えろ。ヒントはたくさんあった。 クリフトは眉間に皺を寄せた。

 いつか黄金の腕輪についてサーフィスと話していた仮定。地獄の帝王について何かしらの縁があるだろうという不安。 あのときは大した確信のない仮定としていたが。
 封印は遥か古代の神の封印であった。しかし、腕輪自体に大した危険性を感じなかった。…しかし、 今の魔族の言葉から察するに黄金の腕輪はやはり何かしらの鍵となるらしいこと。
 クリフトは腕を組んだ。
 しかし、情けないことに今の出来事に動揺してしまったのか、まったく頭が回らない。 震える唇を押さえるように顔を覆った。

 そうしているうちにアリーナが戻ってきた。先程までの気配の変化にはまったく気が付いてはいないようだった。
「クリフト。ごめんね。お待たせ。…?どうかしたの?」
「い、いえ。大したことではございません」
「そう?」
 さして気にせず、アリーナはクリフトに鍵を見せた。
「お父様のお部屋から借りてきたわ。宝物庫の鍵!役に立つものがあったら持ってっちゃいましょう」
 クリフトは意外なその言葉に目を見開いた。
「…これからも旅を続けるのですね?」
「そうよ。悔しいけど、城の皆が戻ってくるようすもないし…」
 アリーナは悔しそうに唇を噛んだ。二人は口には出さなかったが、バルザックを倒しても、 城の皆が戻ってこないことは何となくわかっていた気がする。
「クリフト。もう一つ。命令変更よ」
「はい」
「デスピサロをやっつけて、城に真の平和を取り戻しましょう」









**********
 ティゲルトはクリフトの拒絶の返事に言葉を失った。
「私が受けた命令は“姫様とブライ様を全力で守ること” “サントハイムに真の平和を取り戻すこと”“死んではいけない”ということ」
「……」
「そのためには必要不可欠なのです」
 ティゲルトは言い方を換えた。
「…身に余る呪文は心を壊すぞ」
「……………もう」
 クリフトは己をあざ笑いながら、顔を押さえた。
「壊れるような心はありません」
「……」
 クリフトは踵を返して歩き出したが、思い出したように一つ付け加えた。
「セイルートに“とても役に立ちました”とお礼を言っていたとお伝え願えますか?」
「………」
 ティゲルトは顔をしかめた。
「それと、宝物庫の中にある呪文書もいくつか拝借しました。使わせていただきます」
「………気をつけていけ」
「はい」
 ティゲルトは深いため息をついた。
 
(壊れるような心はない、か)

(おれにはむしろ、少しでも触れれば壊れてしまいそうな危ういところにいるように見えるがな)







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傘って、世界観に合うのかなぁ……。