半日がかりの航海は緊張の連続だった。
くねくねと曲がる川を上流へと船を向かわせるのは至難の業だったといえる。
トルネコと乗組員達はやっとのことで上陸した丘に上陸することなく、船室で休むといって奥へと
戻っていった。
湖のほとりに停泊した船を降りたミネアとマーニャは優しいその自然に体を伸ばして笑い合う。
ライアンとブライは談笑しながら岩に腰を下ろした。
あまりにも静か過ぎる森だった。
木々が優しく風に枝を揺らし、人間を知らない鳥達は珍しそうに近寄った。
アリーナが嬉しそうに差し出すパン屑をついばむ様子に仲間達は微笑んだ。
「それでは行ってまいります」
「うん。気をつけてね」
そう報告にきたクリフトの顔をアリーナはまじまじと見つめた。
「ねぇ、クリフト?」
「はい」
「クリフトは…私のものよね?」
クリフトは少し間を空けて答えた。
「もちろんです。私の力も体も命も全て姫様の所有物です」
その答えにアリーナは苛立ちを隠さずに、追い払うように手を振った。
「…いいわ。行って」
「はい。行ってまいります」
クリフトは森の入り口に立って待っているクリスの元へと歩いていくのを見ていた。
何かが違う。いつから関係は変わってしまったのか。
アリーナは拳をぎゅっと握った。いつの間にか大切な幼馴染は従順な家臣となっていた。
いつから。いつからだろう。アリーナはそれを思い出せずに苛立った。そして
変化した関係をそのままに彼を縛り付ける、我侭な自分にも。
仲間達に手を振って、クリフトはクリスと共に森を進んだ。
この奥に恐らくイムルの夢に見たエルフの住む塔があるのだろう。
夢に見たその塔は静かな優しい印象を誰もが持った。
だからそこへと進むの人員はなるべく少ない方が、住民を刺激することなく済むだろう。そう判断した。
しかしそこは人間の領域ではない。戦闘になるかもしれない。そのために、選ばれたパートナーは回復呪文を心得、剣が扱えるクリフトだった。
いざとなればクリスがイオラなり、ライデインなりの派手な攻撃呪文で合図する手筈となっている。
そのために仲間達は羽を伸ばしながらも控えている。
優しい太古の面影を残す森の中を白く輝く鎧のクリスが歩んだ。
美しく装飾のついたその鎧は宝石のように木漏れ日に輝き、森の中の色彩の中に映えた。
ぱきり、と踏んだ枝が音を立てた。
クリスは一言も口をきかなかった。
だから、クリフトも何も言わなかった。
しばらくそうして歩いていただろうか。クリスが緊張しているのか、不機嫌そうに低い声でぼそりと呟いた。
「クリフトさんは、何か話したいことがあるんじゃないですか?」
「いいえ」
「うそ」
即座に否定されたクリフトは言葉を考えた。
「強いて挙げるとすれば、クリスが何故、ここに来る気になったかが気になります」
「……デスピサロの手掛かりがここにしかない。逆に来ない理由はないと思うの」
ガーデンブルグでようやくのことで手に入れたヒント。これを逃してはならない。クリスはそう呟くように言った。
「その通りですね。余計なことを考えていたようです。すみません」
クリフトがそう言うと、また会話は途切れた。
小鳥のさえずりが聞こえる。森の中は平和そのものだ。
再びクリスから口を開いた。
「…余計なことを考えて、って言ってたけど、何を考えて…?」
「………」
クリフトはしばらく何も言わなかったが、搾り出すように答えた。
「貴女がデスピサロへの報復のためにあのエルフの少女を殺してしまうのではないかと思いました」
………。
「…正直言うと、その気持ちも少しあるわ。…でもどうしたらいいのか分からないの」
クリスは怯えたような目でクリフトを見た。
「だからクリフトさんに来てもらったんです。貴方ならきっとあたしの気持ちをわかってくれると思って」
思い出される洞窟の中での会話。
彼女はもし、自分がエルフを殺すことになれば、きっと肯定してくれるだろうと思ったのか。
だから二人だけで行くように計らったのだろうか、とクリフトは思い当たると低く呻くように笑うと、立ち止まった。
「……たしかに、私はそうなってもその行為を肯定し、非難する仲間から貴女を庇うでしょう」
でも。
「貴女はそれでよいのですか?」
クリスは頭上を見上げた。木々はざわめき続けている。まるで人の話を聞いて思いとどまるように必死に説得しているかのように。
「さぁ、分からないわ」
**********
目の前の森が急に開けた。
そこには穏やかな時間の流れる村があった。
そこに住むのは子供ほどの背丈の人型の妖精。ホビット達。そして、
人間が失ったものが生き続ける町だ。なぜか懐かしい感情がこみあげてくる。
クリスは呆然とその村を眺めた。
「……ここは」
クリフトはクリスの横に立ち止まって、同じように彼らを見た。
「ホビットの村ですね。そして、ほら」
クリフトは狭いその村で最も高い建物を指差した。教会に良く似ている。
「あれは、夢に見た塔だわ」
「…行ってみましょう」
「えぇ」
猫もいる。犬もいる。そして、馬やら、豚やらもいる。村の中に動物達が枠も柵もなく闊歩している。クリスはその様子を見て微笑ましく思った一方、
どうしても、妙な違和感を拭い去ることができなかった。
クリスは顔をしかめた。
「何か、変よ」
クリフトはクリスに言われて近くにいた馬を見た。
「…!」
クリフトと目が合って、笑った。
「彼らには…まさか知性が…!?」
何の変哲もない動物にしか見えないが、まさか魔物か。クリフトは姿勢を低く構えた。
「ク…、クリフトさん…!」
クリスが後ずさりして、クリフトの背にぶつかった。
囲まれている。知性を持った目の動物達が囲みにじり寄ってくる。その不気味さに背筋が冷たくなった。
「……さて、どうしましょうか、クリス?」
「…は、話しかけてみましょうか?」
クリスの軽口にクリフトは苦笑した。
「それも平和的でよいかもしれないですね」
クリフトは剣の柄に手を伸ばした。
「どこからきたの?」
……。クリスは耳を疑った。
「……え…?」
「どこからきたの?」
クリフトはまさか、と目の前の馬を凝視した。
「そんなバカな」
「ねぇ、きこえないの?」
口を動かして喋っているのは、
「馬が喋った…!?」
「喋れるよぉ。ねぇ?」
「うん。わかるんだよ」
背後のネコがクリスの足に擦り寄った。クリスはそのネコを抱き上げてみると、ネコはここち良さそうに
頭を腕に擦り付けた。
「一体、どうして…?」
「ピサロ様が喋られるようにしてくれたんだ」
クリスが肩を震わせるように反応すると、体を固めた。
「どうかしたの?」
ネコが不思議そうにクリスを見上げた。
クリフトは考え事をするように顎に手を当てて、微かに唇の端を歪ませた。
「…“ピサロ様”って、どんな方なのですか?」
クリフトが目の前の馬と豚に優しく、そう問いかけた。
豚は人間以上に人間らしい嬉しそうな声で、
「すごい優しい方なんだ!」
と、飛び跳ねた。
「すごい方なんですね。皆、その方が大好きなんですね?」
「うん」
「もちろん!」
動物達は口々に好意を口にし、飛び跳ねたり、駆け回った。クリスが何か言いたいのか、クリフトを見たが、
彼が頷いて合図するのを見て口を閉ざして再びネコを撫でた。
「その方はここにいらっしゃるのですか?」
クリフトはちらりと教会に似た高い塔を見て尋ねた。
「ううん。でも、たまにいらっしゃるよ。ロザリー様に会いに来るんだ!」
ロザリー。
クリフトは尚も優しく問いかけ続けた。
「“ロザリー様”?」
「うん。すごくキレイで優しい方だよ」
「ルビーの涙を流すから人間に酷い目に遭わされた可哀想な方なんだ」
「ピサロ様が助けて、ってイエティのおじさんにきいたよ」
優しく、肯定的なクリフトをすっかり信用した動物達は自慢げに二人に話を続けた。
そうしてしばらく話を聞いていたが、やがて日がかげりだした。
「雨が降るのかな。みんな、おうちに帰ろ?」
「帰らなきゃ!じゃあね、お兄さん。お姉さん!」
クリスが降ろしてやると、ネコは名残惜しそうに足元を二周、三周と歩き回り、走りさっていった。
動物達がいなくなるのを確認すると、クリフトは荷物の中から奇妙な形の笛をクリスに手渡した。
「さぁ、行きましょうか?」
「……」
夢に見たデスピサロはここであるメロディーを奏でた。
クリスは同じように真似をする。
かちり、と音がしたような気がしたかと思った次の瞬間には隠し階段がその姿を見せていた。
緊張したかのようにクリスは体を強張らせた。
「……大丈夫ですよ。きっとうまくいきます。…何もかも」
意味深なクリフトの言葉にクリスは微かに強張った笑顔で笑った。
「…さっきはずいぶんと冷静でしたね」
「まさか。仲良くなりたかっただけですよ」
クリフトは隠し階段の前で立ち止まると深呼吸した。
「どうかしましたか?」
「……いえ」
クリフトは塔を見上げた。
(これぐらいならば、きっとだいじょうぶだ)
意を決して踏み出したクリフトの後に続いて、クリスも内部へと進んだ。
コツコツと足音だけが響いた。
足がかすかに重いの必死に誤魔化して、石造りの階段を上っていく。
(まったく、難儀なトラウマだな)
ふと、足を止めた。
急に存在を主張し始めた魔物の気配に気が付いて、剣を引き抜く。
「クリス」
「はい。気が付いてます。…手ごわそうですね」
クリスも剣を抜いた。
「守護者を付けている、ということね」
「…」
階段を上りきると、大きな扉のある狭いフロアに出た。
「やはり来たか。導かれし者」
その中で真っ先に目に付くのはドアの前に立ちふさがる鎧の魔物。
クリフトが守備力を高める呪文の詠唱をはじめ、クリスは剣を構えた。
「帰ってくれないか?…ここはお前達が来てよい場所ではない」
「さぁ、困りましたね。…私達も他に手がかりがなくて困っているので」
「貴方こそ、そこを退いてください。勇ましいナイトさん」
クリフトが唱えていた呪文を舌打して中断した。
「魔法封じ、というわけですか」
鎧は左手に隠し持った緑の魔法の宝玉を手を開いて見せた。
「蛮族に情けはいらないだろう。…さぁ、かかってくるがいい!!」
**********
小さな部屋に、可愛らしくも作りのよいベッドや小さな机や椅子。
彼女を愛する魔族の与えたものだろう。
静かに扉が開かれたとき、夢で見ていたのと同じように窓から外を眺めていたエルフは
覚悟ができているかのように、動揺もせずに振り向いた。残酷なまでの無表情と決意を秘めたか弱い眼差しが
正面からぶつかる。
人間には決して持ち得ない長い耳と桃色の神と陶磁器のように美しい肌。
「貴女が“ロザリー様”ですね?」
クリフトが礼儀正しく礼をし、彼女は頷いた。
「夢を見たわ。…あなたがピサロを殺して、と言う夢を」
クリスは低い声で尋ねた。
「ピサロ様は今はデスピサロと名乗り、人間や神と戦うつもりでいます」
「…デスピサロは今、どこにいるの?」
クリスがカツカツと足音をさせて、ロザリーに詰め寄ろうと歩みを進める。
「ロザリー様を殺さないで!」
突然、二人の背後でがたりと、彼女の座っていた椅子が倒れこむと、
影からスライムが飛び出して、ロザリーの前に庇うように立ちふさがった。
小さく踏まれれば千切れてしまいそうな体だというのに。
クリスは微かに動揺し、一歩、後ずさった。
「…だめよ、隠れてなさいって言ったのに!」
「やだ!ロザリー様を守るんだ!」
ロザリーがスライムを庇うように抱き上げるのを、クリスは呆然と見つめていた。
「お願い。この子は助けてあげて」
「やだ。ロザリー様!」
クリフトが立ち尽くすクリスの肩を叩いて、前に出た。
「それならば、教えてください。彼はどこですか?」
スライムが体を震わせて答えた。
「…デスパレスにいるよ!サントハイム王家の墓に変化の杖っていう宝物があるから、
それがあればきっと上手くもぐりこめるはずだよ!」
クリフトは不思議そうに問い掛け続けた。
「…どうして、魔物がサントハイム王家の墓の副葬品について知っているんですかね?」
「知らないよ!友達からきいたんだ!」
ロザリーがスライムを庇うように肩で隠した。
「お願いです。ピサロ様と止めてください。それが、あの人を殺すことであっても…」
コツリと小さな音を立てて、床に何かが落ちた。
「…ルビーの…涙」
クリスが呟くのを聞いて、クリフトはその身を退かして、彼女に場所を譲った。
「さぁ。クリス。ここまでです。…どうするのか、決めるのは貴女です」
「…そうね」
クリスは静かに、ロザリーに近づいた。
「お願い!ロザリー様とピサロ様を許してあげて!」
スライムの懇願の声がやたらと耳に残った。
**********
崩れた鎧を遠くから眺めながら、その魔族は嗤った。
情け容赦なく打ち崩された甲冑。その最期をもたらした二人。
「神が選んだにしては気の利いたのがいるようだな」
「実験の内容は変更しよう」
魔道士の姿のその魔族は近くに控える魔物に何かを指示するように指を動かした。
**********
ついに雨が降り出した。
細かい雨粒が降り注ぎ、木々はサラサラと音を立てた。
「…やはり貴女は殺せなかったんですね」
クリフトはわかっていたかのように、そう訊いた。クリスは自嘲気味に顔を抑えた。
クリスはロザリーに近寄り、そして。
本当に軽く、触るかのように頬に平手を食らわした。
呆然として頬を押さえる彼女を尻目に何も言い残さずに退いて、今ここにいる。
「…部屋に入ってすぐ、あたしは殺してやろうと思った」
「でも、そうしなかった」
クリスは雨に濡れるのも構わずにその顔を天に向け、森を見つめた。
「…この森があたしとシンシアが一緒に過ごした森に似ているからなのかな…?」
「……」
クリスはクリフトの手をそっと掴んだ。
「…どうしたら良かったと思いますか?」
「……私は…」
クリフトは微笑んだ。
「…私だったら。……いえ、難しくて私にはわかりません。でも、貴女は間違ってなんかいないと思いますよ」
彼の言葉を遮って、クリスはその手を強く握った。
「クリフトさんがこうして、あたしに優しくしてくれるのはアリーナさんのためなんでしょう?」
アリーナの悲願のために、こうして共に戦っていてくれる。そんな気はずっとしていた。
クリフトが何か言おうと口を開きかけるのを見て、怖くなって矢継ぎ早に尋ねた。
「あたしのためじゃ、戦えないですか?」
クリフトはその肩に優しく手を置いた。
「神が選んだ伝説の勇者様をお助けするのは神官として当然のことです」
「本当の気持ちは教えてくれないのね」
「本当ですよ」
「…冷たい人」
「…心外です」
なぜなら、今でも彼は表情を崩さずに微笑み続けているのだから。
「さぁ、戻りましょうか」
「…えぇ」
静かな森が雨を受けて、まるで二人の憎しみや苦悩、葛藤を哀れんで泣いているように濡れていた。
NEXT
BACK