『追慕』



 まさか。ここに来る日が訪れるなんて思ってもいなかった。
 クリフトは眠り続ける英霊達に祈りを捧げた。

 サントハイム南方。エンドール大陸の南に位置する半島にそれはある。
 今、ここにいるサントハイム王女アリーナの先祖が眠る、王家の墓だ。
 入り口は厳重に閉じられており、誰も許可なく立ち入ることはできないはずだ。 アリーナは森の中に佇む、古い建築物を眺めてため息をついた。
「クリフトの言った通りだったわね」
 目の前にある壁が壊されていた。日の光に照らされ続けた赤茶色の壁の破片の断面は美しい象牙色に陽光に煌いている。 地面にちらばった石壁の欠片が草を踏み潰しているのを見ても、つい最近のことであるのは すぐに推理できた。間違いなく、魔物が進入しているのだろう。 魔物が凶暴化をしているのは誰もが当然のようにわかっていることだったが、まさか墓を暴かれる 日が来るとは。
 死者の眠りを妨げ、尊厳を冒涜する侵入者にアリーナは苛立ちを隠そうとはしなかった。 それはブライも同様だった。
「ここはサントハイムの領域で最も神聖な場所じゃ。全く許せん」
「クリス。気をつけないと、ここは盗賊避けのために仕掛けが多いわ」
 そうね、とクリスは腕を組んだ。
「じゃぁ、ここに入るのは、あたしとアリーナさん、ブライさん。あとは…そうね、野生のカンの働くマーニャさん」
 馬車の用心のために居残ることが決定していたトルネコが噴出した。
「なによ、野生のカンって!」
 マーニャがクリスの頭に腕を巻きつけて、そのクセ毛をわしゃわしゃとかき回して抗議した。
「な、なにか本能で生きていそうな気がして」
「そんなこと言う子はもう、いっしょに遊んであげないわよ!もう服も選んであげないからね!」
「ははは。ごめんさい、冗談ですってば」
 仲間達の緊張が解け、和やかな雰囲気に包まれる中、クリフトは一人その墓を見上げていた。
(……王妃様。私の心は今、郷愁に満ちております。…お懐かしゅうございます)
 王妃には小さい頃に良くしてもらった。親のない自分の子のように愛してくれた。 だから、今、面会することの許されなかった墓碑のあるこの地に立っていることすら、感慨深かった。
「クリス。どうか、私も加えていただけますか?」
「え、でもクリフトさん。最近、連続で戦いっぱなしですし…」
「だいじょうぶですよ」
 クリスは天を仰いで考えると、頷いた。
「クリフトさんもサントハイムの人だものね。じゃぁ、こちらのチームでお願いします」
 クリスはライアンとミネア、トルネコの三人に手を振った。
「馬車をお願いしますね!」
「ああ。任せておいてくれ」
 ライアンが不器用そうな笑顔でぎこちなく手を振り返した。

 何だろうか。何かが聞こえた気がした。
 クリフトは辺りを見回して、疲れているのかもしれない、と苦笑した。


 中を知っているアリーナとブライが先行し、クリスがしんがりを務め、魔物の開けた穴をくぐった。
 早速見えてきたものに、クリフトは顔をしかめた。ブライが悲しそうに首を振る。
「これは王家の中でも縁の遠い親類の墓じゃな」
「死者の眠りを妨げるなど、許されないことです」
 無残に荒らされ、倒れた墓碑群。クリフトは最も近くにあったものを持ち上げ、再び建たせようと 手をかけた。
 マーニャが重いその石を持ち上げる横から手を貸した。 いつもなら、爪が折れると力仕事を拒んでいたというのに。 クリフトの意外そうな顔にマーニャは笑って返した。
「……ありがとうございます」
「こういうのはね、私も放っておけないのよね」
 全ての墓碑を整えてやりたいが、いつまでもこうしているわけにもいかない。 全てが済んだ後、平和になったらまたここに戻ってこようと、ブライがそう言って、クリフトを急かした。
 そして、地下へと続く通路。ここから先は、正に王や王妃の眠る地だ。
 アリーナが松明をかかげているのを先頭に、カビくさい地下への階段を降りていく。

「何よ、これ。床が動くの!?」
 地下に入ってすぐに目に入ったその仕掛けに、マーニャが驚いたように大声を出した。 クリフトもその大仰な仕掛けに目を見張る。人が乗ると動き出すだろうその床。どういった仕組みになっているのか、 興味をそそられる。
「そうじゃ。一歩、道を間違えれば、すぐに振り出しに戻ってしまうぞ」
「変化の杖のある場所は分かるんですか?」
 クリスの言葉にブライは答えた。
「大体の心当たりはある。伊達に何度もここへ来てはおりませんからな」
 何度も、王族の死に立ち会ってきたという老人の寂しい言葉。 本来ならば、こんな形でここへは来たくなかったのだろうが、ブライとアリーナに頼るより他ない。
「少し、難儀ですぞ」
「ブライ。よろしくね」
「もちろん」
 アリーナは炎の爪をしっかりとはめ直した。
「まずは、ここに乗るんじゃ」
 ブライの指差した先の仕掛け床。クリスやマーニャ、クリフトが乗るのに躊躇しているのを見て、 アリーナが先に乗ってみせた。
 かちりとどこかで音がしたかと思うと、床がぎしぎしと動き出した。意外にそれは速くアリーナの姿がすぐに離れてしまう。 慌ててクリフトが飛び乗りマーニャとクリスもそれに倣った。最後にブライも飛び乗る。
「結構、早いわね。楽しくなってきたわ」
 マーニャが風を体感できる速さに髪をなびかせてポーズを取ってクリスに見せようと振り向いた。
「あ、あぶないですよ」
 反対に怖がるクリスがそう言うのとほぼ同時に、曲がり角に差し掛かってマーニャがバランスを崩しそうになって 苦笑いした。
「確かにね。気をつけるわ」
 アリーナの姿が近づいてきたように見える。
 どうやら、ひとまずこの床の終着地らしい。
 クリフトが急に通常通りの床に足が着き、感性に背を押され転びそうになるのをアリーナが腕を取って支えた。
「相変わらず鈍いのね」
「ありがとうございます。助かりました」
 振り向いて見ていればたしかに。クリスとマーニャ、ブライは器用に降りている。
 クリフトは気恥ずかしさから、肩をすくめた。
 進む先には三つの仕掛け床。
「次は真ん中ですじゃ」
 ブライの言葉通りに進もうとしたとき。

「あぶない!」
 クリスの言葉と同時に炎が襲い掛かった。
 見れば、竜の一種と見える魔物の群れが昆虫のように透き通った羽根を震わせて、炎の息を吐き出している。
「ドラゴニットか!」
 クリフトがすぐに呪文を唱えた。
「ザキ」
 ぼとりと息絶えた魔物が降り落ちる。
「よくやったわ、クリフト!」
 アリーナが呪文が失敗し、残ったドラゴニットに飛び掛った。
「!姫様、いけません!ここで無闇に動いては仕掛け床に!」
 間違った仕掛け床に乗ってしまえば、仲間からはぐれて孤立してしまう。
「大丈夫よ!」
 ドラゴニットを蹴り飛ばして、アリーナは器用に仕掛け床と仕掛け床の間に着地した。
「ほらね」
 クリフトは困ったようにため息をついた。
「新手よ!」
 マーニャの声。今度は鋭い爪と逞しい肢体を持った魔物、ハンババの群れだ。 クリフトは再び即死呪文を唱えはじめた。
「メラミ!」
 マーニャの中級火炎呪文がハンババの一瞬にして飲み込んだ。あたりが明るく照らし出される。 焦げた肉の匂いが鼻をついた。
「ヤな匂い…」
 アリーナがマントで鼻を隠すようにして不快感を顕わにした。それでも、目の前の魔物を弾き飛ばすことは忘れない。
「ヒャダルコ!」
「ラリホー!」
 ブライのヒャダルコと、あまり動き回ってはいけないと判断したクリスの声も聞こえた。
 アリーナは圧倒的優位なその状況に油断したのかもしれない。
「!」
 倒した魔物の影からドラゴニットの生き残りが襲い掛かってくるなんて。
 その体当たりにアリーナの体は弾き飛ばされた。大したダメージではない。アリーナは立ち上がりながらも 報復し、ドラゴニットはなすすべなく息絶えた。
「姫様!」
 クリフトが青い顔で叫んだ。
 その理由は最初わからなかった。
 そんなクリフトの姿が少しずつ小さくなるのに気が付くまでは。
「いけない、そっちは違いますぞ!」
 ブライの慌てた声。
 呆然としたアリーナの視界に、クリフトが慌てて仕掛け床に飛び乗るのが見えた。



「大変、すぐに追わなきゃ!」
 クリスも後を追うべく動いた、その行く手をまたも魔物に阻まれた。ドラゴニットが 腹を膨らませ、炎を口の端から漏らす。
「クリス!危ない!」
 慌てて、床に伏せるとその真上を炎の塊を通り過ぎた。髪の先が少し焦げた。
「!!」

 瓦礫が崩れる轟音が。
 クリスは驚いて振り返った。
「しまった……!!」
 二人の乗ってしまった仕掛け床の上が崩れて通路が埋められてしまっている。
 目の前の魔物を急いで片付けると、ブライは困ったように呟いた。
「まったく…」
 マーニャが楽観的にひらひらと手を振った。
「なんとかなるんじゃないー?」
 クリスもにこやかに頷く。
「そうですよ。こんなこともあろうかと、リレミト使いを三人も選抜したんですから………あ」
 頭を抱えるクリス。
「よりにもよって、リレミトが使えない二人がはぐれちゃうなんて…運が悪いわねぇ。 …クリスといい、アリーナといいはぐれるのが好きなんだから。それを助けにいっちゃうクリフトちゃんはもっと 物好きよね」
 マーニャがそれでも楽観的に呟いた。苦笑いのクリスはブライに尋ねた。
「この先に回りこめますか?」
「いいや。随分と遠回りになるし、何よりそこに向かう途中に変化の杖も手に入るはずじゃ。先に進んだ方がよいじゃろう」
「二人は大丈夫でしょうか…」
 ブライは髭を撫でた。
「まぁ、姫様なら、なんとなく行きそうな場所は想像つきますでな。それに回復にはあやつもおるで心配いらんでしょう」
「彼らは彼らなりに脱出してくれれば良いですね」
 クリスは祈るように、そう言った。


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