クリフトは鈍いのに、無茶をして。とアリーナは思った。
先程だって、一人だけバランスを崩してしまったような彼が、今、自分を追いかけて仕掛け床の上を走っている。
そして、追いついたかと思ったとたんに腕をしっかりと掴まえられた。
「無茶しちゃって」
「…無茶させてくださったのは、どこの姫君でしょうかね」
クリフトはようやく辿り着いた仕掛け床の終点にアリーナは軽やかに着地するが、やはり、クリフトはバランスを
崩してアリーナに再び支えられた。
「ほら」
「すみません」
クリフトは照れくさそうに、軽く咳払いすると辺りを見回した。
随分と長い仕掛け床だったから、ブライ達とは随分離れてしまっただろう。
見れば、仕掛け床は先程までと様相が変わり、数が随分と減っている。
左右を見れば、石造りの壁に沿うように、個室のように小さな部屋が並んでいるのが見えた。
「ここに埋葬されているのですか?」
アリーナも辺りを見回しながら答えた。
「…多分ね。ここら辺は見覚えがあるわ」
アリーナは近くの墓碑の名前を確認した。
「クリフト。お母様を探しましょう。何度かお母様のお墓参りにも来ているから、そこからなら
帰り道もわかるわ」
(…王妃様の…お墓…)
カタカタと得体の知れない音が遠くで聞こえた気がした。
「クリフト?…クリフト、きいているの?」
「あ、はい。すみません。すぐにそのように致しましょう」
見覚えがあるというアリーナの言葉に従って、クリフトは歩き出した。
「……あ」
「なに?」
クリフトはアリーナの足に微かに血が滲んでいるのを見て、回復呪文を唱えた。
手をかざした次の瞬間には傷は痕跡すらも残っていなかった。
「ありがとう。きっと、お母様も立派になった、って褒めてくれるわ」
「え、…えぇ。そうだといいのですが」
歯切れの悪いクリフトにアリーナは不思議そうに顔を覗き込む。
クリフトは何でもない、と言わんばかりに微笑んだ。
「さぁ、行きましょう」
また、どこかで何かがカタカタと音を立てている。クリフトは正体のわからないその音に耳を塞いだ。
一つ一つの墓は似たような造りで、墓碑の名前を確認していかなければ見つけることは難しかった。
「…これは、4代前の王妃様のお墓ね…」
割と近年のものに近づいてきた。
「こちらも違いますね」
クリフトが向かいの墓碑銘を確認して戻ってきた。
「じゃぁ、次に向かいましょ」
「えぇ…」
やはり、何か動揺しているクリフトについにアリーナは業を煮やした。
「なんなのよ!」
「あ、・・・いえ」
クリフトは困ったように笑った。
「…自分でも不思議だな、と思っておりました」
「?」
「私は王妃様に小さい頃、何度も励まされ、憧れていたのです。ここに着いたとき、
私はぜひ同行したいと思ったのです。…王妃様に私は会いたいと思っていたのですが…」
クリフトは自嘲して、唇を噛んだ。
「…いざ、対面しようとすれば、こんな私を王妃様はどう思うだろうか、と怖気づいてしまいまして」
クリフトの言葉は掴みどころがなく、アリーナは首をかしげた。
「よくわからないけど、王族や大臣でもないからどうしてここに?なんて、お母様はきっとクリフトを変に思ったりしないわよ」
「…そうだと嬉しいです」
クリフトは苦笑すると、先に進もう、とアリーナを促した。
そして、その後、すぐに王妃の墓は見つかった。
比較的新しいその墓碑はまだ、石に艶も残っており、名前の刻みも劣化していなかった。
「お母様…。しばらく来られなくてごめんなさい」
アリーナはいつもなら、花を添えるのに。とせめて、埃を払った。
「世界が平和になったら、必ずまたここに来るからね」
アリーナが優しく語り掛けるのを、クリフトは呆然と眺めていた。
(…おいたわしい)
クリフトも彼女に倣って、祈りを捧げようとしたとき。背後に獣の呻き声が聞こえた。
アリーナの肩もぴくりと反応する。
「…っ」
クリフトは怒りを顔に出し、背後を振り返った。
ハンババの群れは敵が少ないと知ると、咆哮を上げて一斉に飛び掛った。
「クリフト!」
「死者の眠りを妨げる異形の者共が!」
クリフトがまた冷酷な真冬の吹雪のような白い魔力を立ち上らせた。
サントハイムの宝物庫で見つけた、禁呪の上位呪文。
「ザラキ!」
「…あ、あの数の魔物を一声で…?」
アリーナが肩を震わせた。クリフトがこんなにも感情を顕わにするところなど、見たことがない。
アリーナは驚いて、構えることすら忘れて彼を凝視し続けた。
クリフトがザキを覚えてからというもの、彼女は何も考えずにそれを奨励してきた。
(こわい…)
目の前には事切れた魔物の屍の山。ようやく気が付いた恐ろしさ。
これは虐殺だ。
クリフトは冷たい目のまま、もう一度呪文を唱えた。
「ザラキ」
飛び掛る魔物は何の抵抗もできないままに、倒れていく。
恐れをなした生き残りが震えて後ずさった。
「逃がしません」
無抵抗な最後の生き残りも白目を剥いて倒れた。
クリフトは周囲を見回して、生き残りがいないことを確認すると、いつものように微笑んで振り返った。
「…クリフト…」
怯えた顔のアリーナ。クリフトは怪訝な顔で彼女をじっと見た。
「如何なさいましたか?」
「クリフト…怖いよ…」
「…怖い?たしかに上位呪文(ザラキ)は初めてですが、
いつも姫様は敵をこの呪文(ザキ)で倒すようにご命令なさるではありませんか?」
一歩、近づくとアリーナは唇を震わせて一歩後ずさった。
「…ご、ごめんなさい…」
-怖い。また、一歩後ずさったアリーナのかかとに王妃の墓碑が当たった。
クリフトは苛立った様子で無言で顔をしかめた。
カタカタと、今度は近くで音がした。
“クリフト”
突然、誰かに呼ばれたような気がして、クリフトは辺りを見回した。
声の主は目の前で震えるアリーナではない。
(気のせいか)
クリフトは困り果てて、首を振った。
“クリフト”
クリフトは目を見開いた。
アリーナの背後の王妃の墓石がカタカタと音を立てて、震えているのを。
“クリフト”
そして、その声は紛れもなく懐かしい王妃の声。
「そんな…まさか…!」
“クリフト。どうして、そんな顔をしているの?私の知っているクリフトはこんな子じゃなかったわ”
暖かかったはずの声は、今は低く、彼を非難している。
「ち、違います…」
“何が違うの?”
「ち、違うんです…私は…ずっと…」
手が、足が、体が震える。立っていられない。
“私の知っているクリフトは…”
クリフトは膝をついて頭を抱えた。
“こんなに罪深い子ではなかったわ”
「……!」
墓石の震えがガタガタと一層強くなった。まるで、地の底から死者が這い出てくるかのように。
ガタガタと。
“恐ろしい背徳の子!”
ガタガタと。
「違います!これは…違います!」
「………ト!クリフト!」
肩を強く揺さぶられ、我に返った。
冷や汗が流れて目に入った。
「ひ、姫様…?」
アリーナが今にも泣きそうな顔で、クリフトの肩を抱いている。
「ごめんね、私が変なこと言ったからショックだった?ごめんね」
「い、いえ。姫様のせいではありませんよ…」
クリフトは震えを押さえ、ありったけの勇気を振り絞って、王妃の墓碑を見上げた。
…なんら変わった様子はない。
「…これは…?」
クリフトは唖然として、地面に手をついた。
(…まさか)
サランで会った、ティゲルトの言葉が頭をよぎる。
情けない。これぐらいのことで動揺していたということか。
「…ふ、ふふ…」
笑みが漏れた。これが笑わずにいられようか。
「クリフト?大丈夫?」
アリーナの差し出した手を借りて立ち上がると、砂のついた手と膝を軽く払った。
「もちろん大丈夫です」
「そ、そう…」
遠くから声が聞こえたのは今度こそ幻聴ではないだろう。
それは、珍しい形の緑の杖を見つけたブライやマーニャ、クリスの姿だった。
「あ、こっちよ、ブライ!」
駆け寄ったブライは誇らしげに胸を張った。
「きっと姫様のことだからここにいると思いましたぞ。クリフト、お前さんも無事でよかった」
「ご心配おかけして申し訳ありません」
ブライは安堵した笑顔で、杖を見せた。
「目的の杖は借りてきた。さぁ、戻りますか」
「そうね。地上の光が呼んでるわ」
マーニャを中心にリレミトの呪文を使うべく集まる。クリフトと一緒にそこに加わろうとしたアリーナは途中で、
ハンババの虐殺の痕跡である死骸の山の横を通ったが、そこから目を背けた。
一方、クリフトはその死骸の山を挑戦的に横目でちらりと見て微笑んだ。
(壊れませんよ)
雨のサランの町でティゲルトが言った言葉。
『…身に余る呪文は心を壊すぞ』
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