『古城』
あっという間だった。
断崖絶壁で囲まれた南の要塞のごとき島の頂にそびえ立つ魔物の居城。
そこに王家の墓で手に入れた変化の力を持つ杖を使い、忍び込んだ。
キングレオ大陸の鉱山アッテムト。そこで魔王の復活が間近であることを知り、仲間達は姉妹の案内で
駆けつけた。
緊張の連続で少し痩せた、と冗談を言うトルネコを笑い合う仲間達。
アッテムトの瘴気に顔をしかめるクリスとブライ。
怯える白馬パトリシアを撫でてやるライアン。
それぞれが、死地に赴くその覚悟を決めていた。
「…やはり、嗅ぎ付けたようだな」
暗がりの中で魔導師は遠見の水晶を眺めながら、愉快そうに踏ん反り返った。
「デスピサロ様には想像も出来なかったようだがな」
「如何なさいますか?」
控えていた使い魔ベレスの言葉に魔導師は体を起し、水晶に鼻が当たるほどに顔を近づけた。
「エスターク様も不完全だったから過去に倒され、封印されたのだ。…恐らく、今回もそうなるだろう」
「…黄金の腕輪ですね」
「そうだ。エスターク様は進化の秘法を実践したものの、その媒体を見つけられずに未完成に終わったのだ。
…しかし、我々は突き止めた。黄金の腕輪をな」
魔導師は使い魔ベレスに向かって問いかけた。
「アレは完成しているか?」
「赤は完成しております。青はまだ不安定ですが、監視さえ続けていれば心配ありません」
怒りと破壊の赤。嘆きと暴力の青。
「では、赤と青、両方を向かわせろ。…しかし、決して、倒されないようにな」
「御意」
踵を返そうとした使い魔に魔導師は一言補足した。
「…青は制御に細心の注意を払え。黄色の力もな。決して感づかれるな」
「承知いたしました」
「何度きても、嫌なところ」
マーニャは吐き捨てるように呟いた。
「瘴気の霧で少し先の魔法力の流れも見えないですね」
ミネアの言葉にブライも神妙に頷いた。
「前にテンペの村に着いたときも葬式のような有様じゃと思ったが、ここはまるで地獄のようじゃな」
目の前に広がる墓標の海。瘴気のガスと、大地から湧き出る紫色の毒水によって雑草すらも存在しない。
そして廃墟と化した建物はあちこちが崩れ、柱と瓦礫のみが過去に建物であったことを教えてくれる。
何人かの痩せこけた村人がツルハシなどの工具を引きずるように担ぎ、炭鉱へと向かっている。
彼らはまるで悪夢にうなされているか、亡者のように、
「…金が出た…金が出た…」
と、呟き続けている。ミネアが走りよって、その肩を掴んだ。
「いけません!ここから先には向かっては…!」
「じゃまするな!」
村人は痩せた眼窩でぎらりとミネアを睨みつけると、骨と皮ばかりの体に似合わない力で彼女を跳ね飛ばした。
慌ててマーニャがミネアに駆け寄り、助け起こす。
「あんたね!人がせっかく…!」
「マーニャ」
村人に掴みかかろうとするマーニャの肩を押さえ、ライアンは首を振った。
「…彼は正気ではない」
ツルハシを再び担いで何事も無かったかのように炭鉱へと歩き出す村人の後ろ姿に、ライアンは手刀を叩き込んだ。
敢え無く気絶した村人をトルネコは抱えると、
「宿屋でゆっくりしててもらいましょう」
と、かすかに笑ってみせた。
一方、クリスとクリフト、アリーナは炭鉱脇の建物にいた。
そこは以前は工夫達を賄う宿舎だったのだろう。しかし、今は荒れ果てたベッドがいくつも並び、
上には腐乱して変色した死体が乗っている。蟲が沸いたその死体は数えることもおぞましい。
ベッドからはみ出したその腕から床に蟲が落ちていく瞬間を目撃したクリフトは辟易した表情で顔を背けた。
中にはまだ生きている工夫も寝かされていたが、すでに死んでいるも同然であった。
クリフトは咄嗟にアリーナの目に入らないように後ろを向かせていたが、
その悪臭にアリーナは口元を押さえた。
「…ひどい」
クリスは気丈にも彼らを真直ぐに見据えて唇を震わせた。
「…こんな状況なのになぜ逃げなかったんですか?」
クリスは彼らを介抱しているのだろう中年の女性に強く問いかけた。
「…ここから逃げたって、職なんかないんだ。死んじまうのが一緒なら、ここで諦めずに金を掘ってたほうがいいじゃないか」
「そんな!」
全てを諦めたかのように女性は言うと、ベッドの上の死体の中でも最も腐敗の進んだ一体をシーツを持って包み、背負った。
これから埋葬に行くのだろう。
その女性を更に糾弾しようとしたアリーナとクリスをクリフトが制した。
「…責めてはなりません」
「…え…」
「彼らには選択肢はなかったのです」
彼女の言葉以上に深刻にキングレオ国は壊滅的な不況が続いていた。クリスは俯いた。
「せめて、せめて。おばさん達だけでも早く逃げてください」
ようやく善意と女性は気が付いたのだろう。クリスに眩しそうな笑顔を見せた。
「ありがとう。あんたたちは早く逃げな。昨日の夜、魔物が群れで攻めてきて炭鉱へ入って行ったんだ。この街も終わりだよ」
その魔物は恐らく、魔王復活の知らせを受けて駆けつけたデスパレスの魔物の軍だろう。
クリフトはデスパレスの中でデスピサロの掛け声に地鳴り声のような咆哮を上げた軍を思い出して戦慄した。
…圧倒的な勢力であった。どの国の軍でも、否、全ての国の軍を集めても勝てるかどうかはわからないほどに。
そんな魔物たちはこの地に封印されている魔王の復活を悲願として統制を強めている。
…人間が8人やそこらで攻め込んで勝てるものだろうか。
(…魔王の復活の前に攻め捕らなければ勝機はないだろう…)
それでも、万に一つ、という表現が適切だろう。
誰も口には出さないが、死を誰もが感じている。そして、その予感を後押しする女性の言葉に
クリフトはこめかみを押さえた。
「早く、早く魔王を倒して、魔物と人間の戦いを終わらせて、こんなことを終わらせましょう」
「えぇ。少しでも早く、苦しむ人が居なくなるようにしましょう」
クリフトは嬉しそうに微笑んだ。
そんなクリフトの顔を、アリーナは難しい顔で横から見ていた。
もうここで知り得る情報は無いだろう。三人は廃墟に等しいその建物のドアを押し開ける。途端に胸を焼き付けるようなガスに
急いで布を口元に当てた。
「やはり、炭鉱入り口付近にもなるとキツイですね」
クリスが困ったように、笑ったように、泣き出しそうに複雑な顔でぽっかりと開いたその
暗闇を横目で眺めた。
アリーナがクリフトの袖を引いた。
「クリフト。クリス。早く宿に戻って準備を整えましょう」
「私も同感です。ここ-アッテムト-には長い滞在は危険です」
「そうですね」
そのとき、この街の神父と思しき男が慌てた様子で走り拠った。
痩せた体はすぐにでも折れてしまいそうだが、意外としっかりとした足取りだ。神父はクリスの姿を見て心の底から安心した様子で怪我がないかどうか確認するように、大げさな身振りでその姿を見回していく。
「よかった!怪我もなく無事に出てこられたんですね!」
「?」
「…どういうこと?」
クリスとアリーナが目を丸くして神父を見つめた。
クリフトは無言で神父の後姿を凝視し続ける。…まさか、
この惨状に気が触れているのではないかと。
神父自信も目の前の彼らと会話が噛み合っていないことに気が付いたようで、三人を端から見回しては
自らの記憶を辿っているようだった。
「…先程、貴女が炭鉱に入っていくのを見かけたので…。お留めしたのですが、
間に合わなかったようで心配していました」
と、クリスと炭鉱の入り口を交互に指し示して、神父は怪奇な体験におどおどと指先を震わせた。
「あたしはずっと仲間と街の中にいました…!」
わけのわからない、といった様子でクリスは同意を求めてクリフトとアリーナを見やる。
「見間違う…ことはなさそうですね」
クリフトはクリスの髪の色を見て、顎に手を当てた。鮮やかな緑の髪。まるで人外の生物のように特異だ。クリフトの言わんとしていることに気付いたクリスは
唇を噛んだ。
「あ、すみません。そんなつもりでは…」
「いえ、いいんです」
珍しく戸惑った様子を見せるクリフトにクリスは歪んだ笑顔で応えた。
「……」
アリーナはぎゅっとクリフトの腕を掴み、強引に引いた。
「姫様?」
問い掛けには答えずにアリーナはそのまま走り出した。
引っ張られたクリフトはもつれそうになる足を必死で押さえつけ、アリーナのペースにあわせる。
突然のことに驚いているクリスと神父を振り返ると、二人は唖然とした表情で立ち尽くしていた。
「姫様?」
「…戻るのよ、クリフト!」
「ど、どうかなさったのですか?」
「なんでもないわよ」
今一度、振り返るとクリスが神父と分かれて追いかけるように走り出すところだった。
**********
その晩、仲間達の間には重い空気が漂っていた。
宿屋の主人はカウンターに突っ伏すかのように倒れたまま事切れていた。
最後まで労働に生きたその男の魂が天に導かれるように祈り、彼を隣の部屋へと寝かせて戻るのも誰も気が付かない程だった。
後に墓地へ弔いに行こうと考えながらクリフトは汚れた手を洗うと、仲間達に加わりテーブルについた。
「今、お食事を出しますね」
ミネアが厨房を借りて、馬車に備えてあった食材で夕飯を作ってくれたようだった。
スープの香りが心を温めてくれるかのようだ。顔を覗かせて彼女はそれを伝えると、ようやく仲間達の間の緊張も和らいだようだった。
「あたしも手伝います」
クリスがミネアの横をすり抜けてお皿を運び出した。
「クリス、ちゃんとお手伝いできてエライ子ね」
からかうようなマーニャの言葉にクリスは頬を膨らませて、怒ったようにマーニャを上目遣いに睨んだ。
「…マーニャさんもお手伝いしたらいいじゃないですか」
「私は年長者だから労わられるべきなの」
「もう。マーニャさんは都合のいいときだけ…」
ぶつぶつ言いながらも厨房へ向かうクリスを見て、ライアンとトルネコが確かに、と大笑いした。
ここまで笑われてしまっては黙って座っているわけにもいかない。マーニャは、
「してやられたわね」
と、苦笑しながらクリスの後を追うように厨房へと向かっていった。
「…あんまり、お腹空いていないわ」
アリーナが正直にそう漏らすと、隣に座っていたクリフトが首を左右に振って窘めた。
「いけません。明日は古代の魔王との戦いが控えているのです」
「そうですぞ。少しでも力を貯えておかねばなりませんぞ」
ブライとクリフトに両側からそう口々に言われ、アリーナは頬杖をついてむくれた。
「お皿どんどん廻しちゃってくださーい」
クリスが取り皿の山を置くと、トルネコが真っ先にそれを受け取り隣のライアンへ、ライアンはブライへと
渡していく。
ブライがアリーナに手渡そうとして、彼女が受け取ろうとしないのを見るとすぐに一枚だけ目の前に置いてやり、
クリフトへと渡した。軽く溜息をついたのにアリーナは気が付いただろうか。
「はいはいー。マーニャちゃんが給仕してあげてるのよ、美味しく頂きなさい」
マーニャが言葉とは裏腹に楽しそうな顔で声を上げて笑いながら、先程から野菜のいい香りを
届けているスープを置いて周り、クリスはパンの籠をテーブルの中央に置いた。
ミネアが真心込めて作った料理は普段以上に豪勢だった。
馬車内の食材を使いきらんばかりの量は明日で戦いに向かうことを思っての彼女なりの気遣いなのだと
クリフトは思った。
夜になればこの炭鉱の街には灯などなく、昼よりも尚濃くなった闇と死臭が肌を突き刺すようだ。
クリフトは一人宿から出て、街の墓地へと向かった。宿屋の主人のために墓穴を掘るためだ。
見渡す限りの広い墓地には墓碑が多すぎて、どこに穴を掘れば良いのか頭を悩ませる。建てられた木や
石の墓標で大地はまるで針鼠の背のように隙間なく埋め尽くされていた。
とりあえずクリフトは墓碑と墓碑の間のすき間を見つけて掘り出した。
…異常に土が軟らかい。
嫌な予感がした。
「…うわ…」
思わずそう漏らしてしまった。
スコップの先に腐敗した人の手首があった。掘り起こした拍子にその腕は腐敗ゆえに容易く崩れてしまった。
腐肉を寸断した妙に柔らい、
しかし骨の堅い嫌な感覚が手に残る。よく見てみれば細い指の女の手腕だ。
そして、その下にかすかに見える人間の腕らしきものは明らかに子供の筋肉のつき方に見て取れた。
「…先客がいたとは知りませんでした」
誰に言うでもなく呟くと、背を伸ばして辺りを見回した。
墓碑がなくとも土が盛り上がっているところ、逆に凹んでいるところ。
「…もう、無秩序に埋められているんだな…」
先に誰が埋められていようが場所がないものは仕方がない。そういうことだろう。
なんと凄惨なことか。これでは死者に安らぎも平和も訪れはしない。
「う…」
墓。
墓墓墓。
がたり。
また音がする。
クリフトは頭痛に顔を歪ませた。
同じだ。王家の墓で見た禁呪の幻影と。
「…落ち着け、落ち着くんだ…」
墓。
墓。
「う…」
クリフトは割れそうな頭を抱えて、スコップを落とした。
スコップは何度も掘り起こされ柔らかい土の上に刺さり立った。
-誰も。死にたくなんてないんですよね-
幻聴か。
それとも心の声か。
聞こえてきた声にクリフトは振り向いた。
振り向いたその先にいたのは、
「私…?」
背後に立って墓を見て、目を細める自分。
-…誰も死にたくないんです。それに誰にも死んで欲しくないんです-
「……幻…?」
クリフトはもう一人の自分と目が合った。
“自分”はまるで人形のように微笑んだ。
「…っ」
まるで槌で打たれているような頭痛に意識が遠くなる。
一瞬、遠退いた意識を必死に引き戻すと、目の前の自分は消えていた。
「…壊れるわけがない」
この期に及んでも、まだクリフトは自分に壊れるような心などないと信じていた。
もう一人の自分の瞳は、毒々しい程に鮮やかなブルーだった。
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