意を決して彼らは炭鉱への入り口をくぐった。  備え付けられたたいまつの炎に照らし出される人の作った地下通路。
「あーあ。私達が昔、ここに入ったときは、ここもこんなに酷くはなかったのになぁ」
 マーニャがあちこちに朽ち果て落ちている死体から目を背けるようにして、そう呟いた。 その努力も空しく、あちこちに点在するそれらは見る方向全てに存在し、否が応でも彼らの視界の端に映る。
「…私、覚悟を決めました」
 ミネアが銀のタロットを胸に抱くようにしてそう言った。
「ここで戦うために導かれし者は集ったのですから」
「そうだな。そのとおりだ。俺もずっと、地獄の帝王を倒す予言の勇者を求めて旅をしてきた。 だから、ここで勇者を助けて戦うために来たんだ」
 ライアンが剣を持つ手に力を込めた。
 口には出さないが、トルネコもブライもアリーナもクリフトも皆同じだった。
 馬車は神父に預けてきた。
「…あたし達が全滅するか、魔王を倒すか。それまで終わることのない総力戦です」
 クリスが全員に向かって告げた。
「作戦は…魔王の元に辿り着くまで“呪文節約”です。……全員、死なないでください」
 クリスの言葉にトルネコが柔らかい口調で言った。
「クリスさん。そんなこと言ってはいけませんよ」
「そうです。対策を立てていきましょう」
 クリフトはポケットから書簡を取り出した。
 それはサントハイムを二度目に出立する際にセイルートから渡されたものだ。
「これは瀕死の状態であっても、その状態からの治癒の能力を持つ蘇生呪文を呼ばれるザオラルのメモです」
 クリスは手渡されたメモに目を通して目の前のクリフトの言葉を待った。
「恐らくこの呪文を扱える資質を持っているのは私とミネアさんと、そしてクリス。三人だけです。 私はこの呪文を体得しています。…いざというときのためにクリス。貴女が持っていてください」
 いざというとき。それは仲間の内、誰かが倒れたとき。そして、クリフト自身も倒れてしまって 仲間を回復できないとき。
 決して否定的な意味合いではなく、それはいわば二重三重の対策と予防線だ。
「わかったわ。…必ず、全員生きて帰りましょう」
「はい!」「オッケー!」「わかった」「そのとおりじゃ」「そうですね」「うん!」
全員が口々に彼女の言葉に頷いた。

 あちこちへと進む地下通路。
「行き止まりが多いですね」
 トルネコがぼやいた。
「金を目指して滅茶苦茶に掘り進んだんじゃろうなぁ」
「人の欲とは果てしないな」
 ブライとライアンがそう分析して踵を返した。
 そうしてしばらく歩いた先に更に地下へと続く通路が見えた。
「ここから先に更に濃い闇の気配を感じますね」
 先頭に立つクリスが顔をしかめた。マーニャがクリスの肩に触れた。
「ここから先は前来た時には掘られていなかった部分よ」
「…ここから、ということですね」
 クリスが勇敢にもまず、階段を下りた。


 濃い血の匂いが鼻をついた。
 全員が更なる地階に降り立ってみれば、まず目に入ったのはいくつかの肉塊だった。かろうじて人間だったのではないか、と推理できる皮の剥けた肉は、化け物のようにぶら下がっていた。
「うっ」
 ミネアが口元を押さえた。
 土壁貼り付けられている工夫には、彼らが使っていたのだろうツルハシが口から飛び出ている。 赤い血油で染まった顔には白目だけが浮かび上がるようで、その人ではないような苦悶の叫びの表情は とても直視できるものではなかった。助けを求めるように必死に伸ばされた手はそのままに固まってしまっているようだ。
「ひどいことをするのう…」
 ブライがそう呟き、クリスがその前を通り過ぎようとしたときだった。 暗がりで何かがきらりと反射した。反射的にクリスは身構えると、飛び掛ってきた何かをライアンが盾で体当たりして止めた。
 カタリと果物ナイフが落ちる。
「人…!」
 それはガタガタと震える人間の工夫だった。
「生き残っていた人がいたのね、良かった…!」
 クリスは回復呪文を唱えながら彼の前に屈み、手をかざした。

 パン、と音が響いた。
「近寄るな、人殺し!」
「え…?」
 クリスは叩かれた手を押さえて、呆然と工夫を見つめた。
「お前が仲間を…!お前が笑いながら皆を…!」
 指差された先には惨殺された工夫の成れの果てが。
「何を言ってるの…?」
 クリスの擦れた問い掛けに男は落としたナイフを拾って握った。
「お前がみんなを殺したんだ!この魔女が!」
 呆然と見ているクリスに向かって、男はナイフを振り上げた。
「クリス!」
 一番、近くにいたマーニャすらも突然の出来事に反応が遅れた。
 彼のナイフはクリスの胸をえぐるように突き出された。
「クリス!」
 えぐったかと思った、その瞬間にナイフの切っ先は止まった。
 動きを止めた男の口元から零れた血がクリスの頬をぼたぼたと汚していく。
「…え?」
 クリスは唖然として目の前を見た。何が起こったのかまったく理解できなかった。
 男の喉下から飛び出している獣の爪。

「クリス!危ない!」
 アリーナがクリスを突き飛ばした。同時に男の体が獣に投飛ばされ、その向こうに見えたのは虎の姿をした魔物だった。
 虎は坑内をびしびしと震わせる吼え声を上げるとアリーナへ向かってその爪を振り下ろした。
「!」
 間一髪、その一撃を空中へと跳んでかわす。
「姫様!」
 新手に現われたドラゴンライダーに氷結の呪文を飛ばすブライの声にアリーナは空中で体を捻ると、虎の姿をした魔物の首を踵で蹴り落とした。
 飛び散る体液が服を汚すのもクリフトは気にせずに、目の前のドラゴンライダーと切り結んだ。彼の身長ほどもある不恰好な大剣をなんとか受け止める。
「くっ」
 攻撃が重い。
 なんとか剣の向きを変え、力を受け流すように体重を移動させる。ドラゴンライダーの剣はクリフトの剣をすり抜け大地へと突き刺さった。 ライアンがその隙を見逃さすに、走りこむとドラゴンライダーの腕を断ち落としてみせた。
 痛みに震える叫びが聞こえ、少し安心したのも束の間のこと。魔物の騎乗するドラゴンが口の端から炎を揺らめかせたことに、クリフトとライアンは身を凍らせた。
「いけない!」
 トルネコが咄嗟に足元に大きな石をドラゴンの顔に向かって投げつけると、その向きが変わり、炎の吐息は土の壁を焦がした。 周囲が明るく照らし出され、灼熱の空気に肌がじりじりと熱を持った。
「バギマ!」
「ベギラマ!」
 真空呪文がドラゴンの翼を落とし、閃光がドラゴンライダーを騎乗の騎士ごと縦に引き裂いた。
 ずしり、と倒れこむ。…もう立ち上がることはないだろう。
 クリフトは顔に飛んだ汚れた血を袖で拭うと、未だに呆然としているクリスに声をかけた。
「大丈夫ですか?」
「え、えぇ」
「きっと、恐怖のあまり気が動転していたのでしょう」
「そうよ。だって、クリスはずっと私達といっしょにいたものね」
 マーニャも馬鹿馬鹿しい、と大げさなジェスチャーで表した。
「えぇ、先に進みましょう」

「ねぇ、クリフト?」
 歩き出した仲間達の中でアリーナがクリフトを一目をはばかる様に呼び止めた。
「どうかなさいましたか?」
 アリーナは仲間達が聞いていないことを確認すると、クリフトに声を潜めて言った。
「昨日も神父さんが似たようなことを言ってたのが気になるの…」
 クリフトも思い出していた。クリスが一人で炭鉱へと入っていった。という話を。
「……私もです」
 クリスを疑うわけではない。ただ、何かある。そんな気はした。

「デスピサロもここへ向かっているんですよね」
 クリスが唇を震わせた。
「そうさのう。古代の魔王-エスターク-とデスピサロを同時に相手にするかと思うとぞっとするわい」
「奴よりも早く魔王と対峙しなければならんだろうな」
 ライアンも頷いた。
「…デスピサロを…倒す…」
 クリスは目を伏せた。
 思い出したのは、あのエルフの泣き顔だった。



 また一つ炭鉱の地階へと進むと、急に開けた大地に出た。
 人が掘った土の壁ではなく、まるで何千年もの前からここにあったような地下の大地。
「ここが奴らの城、というわけね」
 マーニャが戦慄して呟いた。
 小刻みに足が震えるのを押さえて、ミネアが気丈に消耗した仲間に治癒の呪文を唱えて回る。 恐らく今彼女に出来ることと割り切ってのことだ。体制を立て直す絶好の機会になったことは間違いない。

 そして、門と表現するのもおこがましいほどに、見上げる先が霞むような気さえ起させる巨大な金属の門の前にようやく辿り着いた。
 目の前に聳え立つ城の扉は何千もの魔物の軍が、かつての戦いの際にここを通ったのだろうことを想像させる。 過去の幻影すら見えるような風化の様子のない扉と城壁。扉の前に立つと、その扉はまるで彼らを迎え入れるように開いた。
 誰から、というわけではなく中へと向かう。
 薄暗い中、たいまつの炎で照らし出された悪趣味な魔神の像。その中心に立つように彼らを待っていたのは、
「クリス?!」
紛れもなく緑の髪を持った勇者の姿そのものだった。

「やはり、偽者がいたわけね!」
 アリーナが驚きの声を上げた。
 クリスはようやく事の真実を悟ると苛立ちを隠さずに偽者を睨みつけた。
「…許せない!」
「ちがうわ。偽者なんかじゃないわ。あたしは本物そのものなの」
「どういうことだ?」
 ライアンがクリスを庇うように前に踏み出た。
「あたしは本物と同じ記憶があるし、感情もある。何が本物と違うのかしら」
 偽者はクリスがいつも見せる笑顔と同じ表情で正面から対峙している。

 クリフトは仲間達の誰よりも早く剣を抜いた。その行動にミネアが動揺して肩を震わせる。
「本物と同じ、と言いながら我々と戦うおつもりなのでしょう?」
 ゆっくりと“彼女”の目の前にまで歩いていくと、その心臓を貫くように剣を突き出した。 “彼女”の剣の刃がその一閃を受け止める。甲高い音がした。
「ならば、貴女はクリスとは違う。敵に間違いありません!」
「そうよ!クリスはこれから魔王と戦いにいくの!邪魔するなら敵よ!」
 アリーナも炎の爪を“彼女”に向けた。赤い熱の軌跡が光となって煌く。
 クリフトの剣が“彼女”の剣を押さえ込んでいるうちに、容赦なくアリーナの燃え盛る炎の爪が首元を焼きえぐった。
 確かな手応え。
 血が噴出して、“彼女”は即死するはずだった。
 トルネコが危機を察して叫んだ。
「危ない、離れて!」
 アリーナが慌てて身を逸らした。
 クリフトの腕を切り裂いて、“彼女”の剣がアリーナの髪の先を切った。
 ミネアが悲鳴を上げた。
「はっ。はははは!死なないんです!これくらいじゃ死なないんです!」
 狂ったように笑い声を上げる“彼女”の首元から流れ出ているのは赤い血ではなかった。
 砂のような黒い光だ。

 ブライが忌々しげに呟いた。
「魔道生物で出来た偽者か。ひどいもんを作りおる」
「ブライ!魔道生物って…?」
 アリーナの質問にブライは答えた。
「魔物の術式で作られた生命体ですぞ!魔力を生命の源とする化け物じゃ!」
 黒い光を垂れ流す傷は見る間にふさがっていく。
「…魔力が尽きるまで死なない、ということです!」
 腕を押さえたクリフトがブライの言葉を補足した。ミネアが慌てて、クリフトの腕の傷を癒す。
「厄介な相手ね!」
「こんなところで手間取っていられないのに!」
 アリーナは焦ったように呟くと“彼女”を切りつけるが、それもみるみる塞がってしまう。
 “彼女”がアリーナに向けて剣を大きく振りかぶった。
「アリーナさん!」
 クリスの渾身の突きが“彼女”の額を貫いた。
「!」
 引き抜くと、致命傷かと思われたそのダメージすらも回復してしまう。
 トルネコとライアンが左右から“彼女”を切りつけると、不意をつかれたその両腕がごとりと落ちた。
「今だ!」
 ライアンの号令にブライとマーニャが呪文を唱えた。
「ヒャダイン!」
 生命すらも凍らせる絶対零度の氷解が“彼女”の体をあっけなく凍りつかせ、
「メラミ!」
空気を焦がす灼熱の炎の塊が“彼女”の体を包んだ。

「どうよ!?」
 炎に包まれ、崩れ落ちる“彼女”を緊張して見守る。
 炎の中の影が揺らめいた。
「!!」
 まさか。
 感じた危機に反応する時間もなく、炎の中から飛んだ剣がトルネコの腹部を貫いた。血を吐いて倒れるその瞳孔は開いていた。
「トルネコ殿!」
 クリフトが急いで治癒の呪文を唱える。傷は塞がったものの、意識が戻らない。
「主よ、傷つき倒れる者にご加護を…」
 偉大なる蘇生呪文を使うときがついに来てしまったか。クリフトは意識を集中させた。

 クリスが炎の中から立ち上がる“彼女”に向き合った。
「…ケリをつけてあげるわ」
 クリスは仲間に手で合図した。
「あなたの生命の源の限界が来るまであたしの全力叩きつけてやるわ!」
 マーニャとミネア、ブライも呪文を唱え始めた。
「全ての魔を払う雷を招け」
 呪文を唱えるクリスの周囲に集まる魔法力がバチバチと火花を散らす。

「ライデイン!」
 クリスの放った雷撃が周囲の魔神像ごと全てをなぎ払った。
「ヒャダイン!」「バギマ!」「メラミ!」
 三人の呪文も追い討ちをかける。城が崩壊させんばかりに破壊の呪文が暴れ狂った。

「やったの!?」
 アリーナが探るように叫んだ。
 砂煙の収まった瓦礫の下で何かが動く。
「まさか、まだ…!?」
「まだ。…あいつらを殺してやるまでは…」
 片腕をなくした“彼女”が黒い光を吐き出しながら立ち上がった。
 しかし。
「魔力が足りない…。あぁ、魔力が抜ける…」
 “彼女”は体のあちこちから流れ出る黒い光を虚ろな目で追った。再生は完全に止まっている。
 クリスが止めをさすべく剣を片手に歩みよる。
「これで終わりよ…」
 彼女の頭を狙ってクリスはその剣を握りなおした。

 周囲に流れる魔法力に変化があった。
 クリスの振り下ろした剣が、“彼女”の目前に突如現われた光の膜に弾かれた。
 偽者の“彼女”は目を見開いた。
「まさか、青色…?」

 アリーナも顔に驚きの色を浮かべ、クリフトを振り返った。この呪文はスカラだ。しかも、よく知っている魔法力だった。
 しかし、その魔法力の持ち主であるクリフトはトルネコの蘇生のために全力を傾けている。
 頭が混乱しそうだった。
-赤色、脱出しろ-
 どこからか低い声が響いた。それは密かにこの実験体を見守っていた魔族ベレスの声だった。 “彼女”の体を拘束するように“黄色”の光が巻きついて、呻き声をあげた。
「嫌だ!全部!全部、あたしがやっつけるんだ!」
-脱出しろ-
 問答無用の声に赤色と呼ばれた“彼女”は舌打と共に姿を闇へとかき消した。
「逃げられたか…」
 ライアンは剣を納めた。


「ザオラル!」
 何度目かのザオラル。
 ようやくトルネコの意識が戻った。
 クリフトは安堵の笑みを漏らした。
「良かった」
 トルネコは目が覚めると慌てて剣が刺さった腹を確認して、不思議そうに周りを見回した。
 あるのは仲間の安心した顔ばかり。ようやく、展開の流れに追いついたようで、ぽんと手を打つ。
「いやぁ、助かりました」
「良かった良かった!なかなか目が覚めないから、お迎えのときかと思ったじゃない!」
 マーニャの冗談めいた言葉に仲間達は声を上げて笑った。

 この後はすぐに古代の魔王との決戦だ。クリフトは先に進む仲間達の最後を歩きながら、脳裏にひっかかる 何かについて考えていた。

(…あの偽者と似た力をどこかで…)
   密かに舌打した。フレノールで。サーフィスとの会話。そして、バルザックとの戦いの後に聞こえた魔族の会話。
(黄金の…腕輪…)






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