『禁呪』



 この扉の向こうに古代の魔王がいる。
 扉の向こうだというのに、頭に重く伸し掛かるような重圧感。 そして、脳髄に刻み込むような響き渡る恐怖。

 クリスは深呼吸した。
「ライアンさん。アリーナさん。あたしと一緒にひたすらにアタックです」
 ライアンは無言で鞘を投げ捨て、アリーナも炎の爪の皮ベルトを締めなおした。
 クリスは円陣を組む仲間達をぐるりと見回して、次に二人の魔法使いを見やった。
「ブライさんとマーニャさんは前線ですが、補助についてもお願いします」
 マーニャがその場でくるりと回ってみせた。
「任せといて!」
「そういった柔軟なポジションは難しい。ワシくらいでないと務まらんわ」
 ブライが杖でトントンと肩を叩いた。
「…頼りにしていますね」
 クリスはぐっと親指を立てて二人に応えた。
 そして。
「トルネコさん。決して無理せずに後方から支援してくださいね」
 クリスは体力が完全に戻らず、微かに顔色の悪いトルネコにそう確認した。
 トルネコは降参するように片手を上げると、申し訳なさそうに仲間達の顔を見回した。
「…さすが。よく観察していますね。皆さん、すみません」
「ミネアさん、クリフトさん。二人も前線には出ずに回復と後方支援に努めてください」
「わかりました」
 ミネアとクリフトは心得たようにしっかりと頷いた。
「クリフトさん。戦闘開始前に守備の呪文をお願いします。補助優先で行ってください」
「わかりました」
 クリスはそれ以上、追求せずに自らも剣を抜いて、巨大な扉の前に向き直った。

 その背後でアリーナは声を潜めてクリフトの袖を引いた。
「ねぇ、クリフト」
「はい」
「いつも頼りにしてるからね」
 アリーナの突拍子も無い激励の言葉にクリフトは苦笑した。
「勿体無いお言葉です」
「…今回も私を助けてね。クリフトも気をつけてね」
「……もちろんです。それに私は姫様が命じるまで死ぬわけには参りませんからね」
 そう言ってクリフトは不安そうなアリーナに笑ってみせた。







   ここで一つのきっかけとなるために。
 虐げられる人間達が魔物を退け、大切な方が愛するものを取り戻すために。

 邪悪なる力を退ける光の守護を与えたまえ。

 仲間達を守る呪文を唱え、クリフトも剣を抜いた。


 巨大な体を持っていた。人の3倍以上はあるだろうか。
 そして、それは言葉通り強大であった。しかし、その両目は硬く閉ざされていて。
「寝てる…?」
 最前線に立ち、控えていた魔族を一撃の下に屠ったアリーナが辺りを見回した。
「…どうやら間に合ったようだな」
と、ライアン。
「デスピサロもまだ来ていないみたいだ。ここで決着をつけてやろう」
 クリスは頷いた。
「各員、作戦通りに!行きましょう!」
 クリスはそう言うが早いか、周囲の空気を弾かせて稲妻を魔王に叩き付けた。
「ルカニ!」
 ブライの呪文に魔王の体が青白く光った。攻撃が通りやすくなったはずだ。
「燃え尽きなさい!」
 マーニャのメラミの追い討ち。
 その炎を追うようにアリーナとライアンが駆けた。
「いけえええええ!」「ぬぉおおおおおお!」
 紫色の血しぶきが舞った。
 着地したライアンはその手応えに魔王を見上げた。
「どうだ!?」
 見上げた先の魔王にライアンは目を見張った。
 目を閉じたままの魔王はその左腕を動かした。ゆっくりとした動きだが…。
「ライアンさん!危ない」
 クリスがライアンに飛びつき、ライアンごと跳んだ。
「!」
 叩き落すように振られた剣が、落雷のような音を立て床の石材を粉々に砕いた。 スクルトの光の膜に覆われているとはいえ、直撃はできない。
「すまない、クリス!」

 そして、左腕の剣がアリーナへと向かう。アリーナは軽く跳躍するとその腕をかわして、再び魔王の胴を切りつけた。
 行く場を失った魔王の剣は柱をなぎ倒した。
「アリーナさん!」
 ミネアの悲鳴が聞こえて、アリーナは初めて気が付いた。
「!」
 倒れた柱がアリーナへと向かっていたことに。宙にいるアリーナには避けようがなかった。
「バギマ!」「ヒャダイン!」
 アリーナは飛散する破片に思わず目を閉じた。
「二人の呪文が柱を壊してくれたのね!」
 アリーナは床を破壊しながら突き刺さっていく柱の残骸を身軽に避けてクリスの横に着地した。
「大丈夫ですか?」
「もちろん!」
 クリフトはかすり傷を負ったライアンとクリスに治癒の呪文をかけた。
 トルネコはクリフトに魔法力を回復する聖水をかけた。
「すみません。助かりました」
「いえいえ」
 クリフトは彼に礼の言葉を述べた。

 クリスは大声を張り上げた。
「敵はパワーがありますが、まだ寝ているので攻撃が単調です! 各自パターンを読んで、回避に努めてください!」
 クリスの声に反応したのか、魔王は誰を攻撃するでもなく腕を振った。 まるで邪魔な虫でも追い払うかのようなその大振りな剣はまた一本、柱を粉砕した。
 暗い地下の天を支えるかのようにそびえる柱はまるで積み木のおもちゃのように脆くも崩れていく。
「クリス!このままじゃ地下がくずれちゃうわ!」
 マーニャの言葉と同時に遥か頭上から人の大きさを悠に超える瓦礫が振り注いだ。 それを頭を庇ってなんとか回避する。
 アリーナが走り出した。
「早くやっつけないと!」
 クリスとライアンが驚いたように叫んだ。
「アリーナ姫!」
「駄目です!突出しては…!!」
 追いかけようとした二人の目の前を一際大きな瓦礫が振り、遮った。
 クリスはその衝撃に後ろに倒れこみ、ライアンが庇うように前に立つ。アリーナにはもう追いつけそうにない。
 急いでマーニャとブライが、ミネアが支援すべく呪文を唱え始めた。しかし、それは間に合いそうにない。 クリスは青い顔で叫んだ。
「アリーナさん!」

 その脇をすり抜けるようにクリフトが。
「クリフトさん!」
 クリフトは降り注ぐ瓦礫を器用に避けながら、アリーナの下へとひたすらに走った。
「スカラ!」

 アリーナはその首を取るべく高く跳躍した。
「やあああ!」
 あまりにも堅い感覚に腕が痺れた。
 思い切り振り下ろそうとしたその腕は降ってきた瓦礫に引っかかり勢いが弱まった。 炎の爪は魔王の表面に軽く引っかき傷をつけたのみに止まってしまったのだ。アリーナは血の気が引けた。
「そんな…!」
 静止しているかと思われるように長く感じられる感覚。空中でアリーナを振り払うべく動かされた腕。
「きゃああああ!」
 アリーナの体は魔王の足元へと背中から叩きつけられた。蜘蛛の巣のように石材に皹が広がる。 肺に詰まったそれをなんとか吐き出すと、それはアリーナの口元から耳元へかけて赤く流れ出た。
 それでも直前にかけられた守護の呪文により、なんとか意識だけは取りとめたアリーナは動かない体を震わせて 魔王を片目で睨み上げた。
「アリーナさん!」
 ミネアが咄嗟に詠唱していた呪文を真空呪文から治癒の呪文へと切り替えた。

 体中から流れ出した血が急激に体力を奪っていく。
 アリーナは痛みに震える視界の中で魔王が、自分を踏み潰そうと足を上げるのが見えた。
「!」
 思わず目を閉じる。

「メラミ!」「ヒャダイン!」「ライデイン!」「ベホイミ!」
 合唱のように呪文が聞こえた。体が急に楽になる。
 目を開くと、仲間達の唱えた呪文に魔王の体はバランスを崩し、後ろへと倒れこんでいく。
 ずしり、と地響きを立てて魔王は倒れた。
「やった!」
 マーニャは歓声を上げた。
 そして。
「ベホマ!」
 白い魔法力が見えた気がした。体が浮き上がる。
 クリフトはアリーナを抱き起こした。
「姫様!」
「う。大丈夫よ」
 まだ、体に力が入らず立ち上がれないままであったが、それでもクリフトはほっとしたように笑った。
「クリフト!後ろじゃ!」
 ブライの声にクリフトはハっとして、アリーナを庇って立ちふさがった。
 倒れたはずの魔王が起き上がるべく、その手を床についている。
「まさか目が覚めて…!?」
 クリフトは急激に消耗した魔法力とアリーナの受けた怪我への不安から起こった眩暈の向こうの魔王を見失わないように必死に目をこじ開けた。
 目が覚めた魔王は的確にクリフトとアリーナを切り払うべく、向かってくる。
 単純に遅い来る巨大な質量と重圧。剣と鞘を盾代わりにして身を伏せた。
「クリフト!」
 アリーナが叫んだ。
 勢いよく飛ばされた剣は回転しながら、遥か後方へと落ちた。

「くっ…!」
 なんとか二人の身だけは守ったが、だらりとぶら下がった両腕。恐らく、骨が砕けている。 足の先から体を走り回る鋭く、かつ鈍い痛み。じわりと頭が熱くなる。脂汗が流れた。
「クリフト!」
 魔王は容赦なくもう一度振りかぶった。
(今、避けたら姫様が…)
 折れた腕では助けあげることもできない。



「クリフト!」

 こほり、と何かを吐き出した。
 血だった。
 熱く燃えるような脇腹を見れば、エスタークの剣が不自然な程に体に食い込んでいる。
「クリフトさん!」
 赤黒い血液の中に痙攣するように動く腸が見えた。

 剣が引き抜かれると、あふれ出すように血液が流れた。
 急激に視界が薄れていく。

 いつの間にか背後に向かって倒れこんでいた。
「クリフト!」
 アリーナがクリフトにすがり付いて喚いた。

 その背後に佇む魔王に、クリスはもう一度呪文を唱えた。
「魔を打ち砕く雷を…!ライデイン!!」
 渾身のライデインは魔王の頭部を焼き潰した。
 それが止めの一撃だった。


「クリフト!」
 アリーナは治癒の呪文を扱うことができない。ただ、叫ぶことしかできない自分をこんなに憎いと思ったことはなかった。
「わ、私のせいで…!」
「アリーナさん、場所を変わってください!」
 クリスとミネアが急いで、クリフトの両脇に屈みこむ。
 クリフトの瞳は瞳孔が開いてしまっている。息もしていない。それでも、まだ脈は残っているようだった。 それならば、と二人は顔を見合わせる。
 ミネアと共に、クリスはクリフトに渡された呪文のメモを読み上げた。
「ザオラル!」
「ザオラル!」
 二人の魔法もなかなか効果を表さない。
 アリーナはそわそわと背後を歩いて回った。トルネコとマーニャ、ブライが二人を助けるべく 魔法力を回復する聖水を運んでいた。





「まさか、エスターク様が倒されてしまうとは…!」
 その声にクリスは呪文を唱えるのをつい中断した。見覚えのある銀の髪、赤い瞳。漆黒のマント。
「デスピサロ…!」
 こんなタイミングで、と唇を噛む。一刻も早く治癒させなければ、クリフトはこのままでは本当に死んでしまう。
「…お前達が倒したというのか。しかし、伝説の勇者は確かに殺したはず」
 その言葉にクリスは目を見開いた。
 デスピサロは銀色の髪をなびかせて、憎々しげにクリス達を睨んだ。
「まさか、お前が…」
 デスピサロと彼の配下の魔物が臨戦態勢を取る。
 ようやく宿敵と対峙できたのに。悔しさのあまり噛んだ唇を噛み切って、クリスは仲間達に言った。
「…脱出します。ライアンさんとアリーナさん、マーニャさんで何とか脱出の隙を作ってください。 そうしたら、ブライさんは脱出の呪文を」
 彼らが頷いたのを見て、クリスは再び呪文を唱えた。
(もう、誰も死なせない…)
 唇から血が流れる。

 アリーナとライアンが構えて魔族の群れと向かい合った。
 デスピサロが最高等爆発呪文を唱え上げる。
 周囲の空気が急激に圧縮された。

「デスピサロ様!ロザリー様が!」
 後を追って現われた魔物の言葉にデスピサロは呪文を中断した。
「ロザリーが!?」
 彼は明らかに狼狽していた。

「今じゃ!」
 ブライは脱出の呪文を唱えた。



 歪んでいく空間の中。
 空間の転移の衝撃からクリフトを守ろうとミネアとクリスはクリフトを抱きしめるようにして支えた。







「ロザリーさん…」
 クリスは同情なのか、それとも嘲笑なのか。自分でもわからぬままに、その名を呟いた。

 

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