空の上から見る世界はこんなにも広かったのだ。
 マーニャとミネアは籠に体を預けて地上を見下ろした。
「あっちのがキングレオ大陸よね」
 オレンジのネイルで飾られた指が向く方向を見て、ミネアは頷いた。
「えぇ、キングレオの山脈だわ」
「こうやって神様って下界を見下ろしているのかしらね?」
「そうね」
 マーニャは目を細めて、寂しそうに呟いた。
「こんなんじゃ、細かい人間の毎日なんか見えないわね」
 ミネアもその言葉に寂しそうに眉を下げた。
「クリフトさんが聞いたら怒りますよ」

 地底の世界で見つけたガスの壷で、空飛ぶ乗り物を手に入れることができた。 気球と呼ばれるそれは、炎を使い空気より軽い気体を溜めることで空へと浮き上がる仕組みになっているらしい。
 こういうときにクリフトがいればきっと分かりやすく皆に説明してくれただろう。

 しかし、彼は喋ることができない。
 地下の城から脱出して、すぐにクリフトの呼吸は戻った。
 それでももう1週間も意識が戻らずに眠り続けている。毛布に彼を包んだアリーナはずっと彼に寄り添うようにしている。
 いつまでも戻らない意識に、トルネコやライアンはそれぞれの故郷に頼れる家族や友人がいるので任せようと提案した。 それでも彼を連れてきたのは必ず目覚めるからというアリーナの必死の懇願があったからに他ならない。
 思ったよりも広い気球の中、クリスはなんとなくこの乗り物の仕組みが信用できずにずっと炎を見つめていた。
「いざとなったら、あたしがルーラしてやります」
と、何回公言したことか。
 見上げすぎて首が痛くなったクリスは頭の後ろと肩を揉みながら引きつった顔で自嘲した。 …いつまで経っても飛行は安定したままだ。
 アリーナを見た。
 相変わらず思いつめた顔でクリフトが目覚めるのを待っている。
 ブライが同じように反対側からアリーナを見守っていて、クリスと目が合った。
“早く目覚めればいいのにのぅ”
 目はそう言っていた。クリスも同意の意味を込めて頷いて見せた。

「あと二晩もすれば着きますよ」
 トルネコが開かれた地図を見て、クリスを呼んだ。
 定規やコンパスの置かれた地図の上にバツの印が付けられている地点。
「ヒルタン老人の言う“世界一の宝物”があるという地に」
 高い岩山に囲まれた秘境。そこにはきっと、何かがあると確信があった。











 クリフトはずっと昔の夢を見ていた。
 ずっと、ずっと昔。彼が神学校に入る前。大聖堂に居た頃のこと。



 あの頃は何も分からない子供だった。
 どうして自分がそこにいて、どうして自分に親がいないのかすらも。

 祝日のミサは毎週のことだったが、その日は特別な日だったらしい。
 何の行事かは今となっては覚えていないが、一年に一度の儀式の日だった。

 あまりにも幼い無邪気な自分は大人達に「どこかで遊んでおいで」と言われた。
 ただ、一人でいるのはいつものことだった。だから一人で遊ぶことなど寂しくもなかった。

 歩き回っているうちに、いつもは近寄ることを禁止されていたドアが開いているのに気が付いた。
 恐らく、忙しさのあまり大人達は鍵を閉め忘れたことに気が付かなかったのだろう。

 その日、自分を注意する大人はいなかった。
 だから興味本位にそこに入った。

 真っ暗だった。入ってすぐに金属製のはしごがあった。
 当然のように上り始めた。

 そこは教会で最も高い尖塔の上だった。

 ガラスのないその小さな出窓から下を除いてみれば、サランの町が見渡せた。
 その景色に無邪気に喜んだ。

 夢中で景色を眺め、やってきた小鳥を追いかけて、いつの間にか眠ってしまった。

 ガタンという大きな音で彼は目が覚めた。

 不安に駆られて梯子の穴から下を見れば、そこは閉ざされていた。
 自分は焦った。閉じ込められてしまった。

 冷たくなってきた風に身震いして周囲を見れば、空は紫色に黄昏ていた。
 助けを求めようと窓から下を覗いた。
 何度も大声を張り上げても誰一人振り返ることはなかった。
 その塔は高すぎたのだ。

 いつまでもそうしていた自分は恐怖した。
 誰も助けてくれない孤独に。身を包む空気の冷たさに。
 下界を見れば、自分と同じ頃の年頃の子が母親に手を引かれて歩いている。
 どうして自分には迎えに来てくれる親がいないのか。

-大司教様。シスター、ブラザー誰でもいい助けて。お父さん。お母さん。助けて-

 初めて死を感じた。
 初めて孤独を感じた。
 怖かった。心細かった。寂しかった。そして、見たこともない両親を憎んだ。

 薄暗くなってきた視界。
 梯子を降りてみようかと振り向けば、そこには漆黒の闇。

 誰も助けてくれない。
 誰も。
 そして、一人で自分は死んでいくのだ。



 大人になってふと気が付いた。
 自分は高い場所に近づくことができないことに。

 もう、誰もいない。二人はいない。
“高い場所は嫌でも自分が孤独であることを再認識させる恐怖”ということに。


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