『赦』



 “クリフトが居ない”それに気付いた仲間達が見つけたとき。 自失した満身創痍の彼は世界樹の麓の村の入り口の柵に寄りかかるように座り込んでいた。 急いで癒しの呪文をかけたが、すでに誰の言葉も届いていないのか、何の反応も示さなかった。 ただ、泥と血に汚れた抜け殻の体だけ。
 光を失った瞳は何も見ていない。世界樹の村からこの地に来るまでの間、彼は何も見ていなかった。 ただ何かに怯えるように叫びだして自らを傷つけようとするで彼の剣は没収して手の届かない場所へと隠した。 それ以降は喚くこともなくこの状態だ。

 クリフトが正気を失った。
 誰よりもショックを受けたのはアリーナだろうことは仲間達の誰の目からも明らかであった。
 塞ぎこんでしまった彼女はろくに食事も喉を通さずに、少し痩せたように見えた。 その姿は目を背けたくなるほどに痛々しく、誰の姿も見ていないクリフトの世話を甲斐甲斐しく努め続けている。 そんな状況がもう2週間程続いている。

「もう少しで次の村に着くからね」
 アリーナは馬車の中で、遠くを見つめて膝を抱えるクリフトに声をかけた。
「---」
 しきりに何かを呟いているが、アリーナにはそれが何の言葉かわからなかった。 それは聖職者が祈りを捧げるときに使う神聖な言葉だったのだから、わからなくても仕方が無かった。
 がたり、と馬車の車輪が石を踏んだ。
 体が馬車の振動に揺られる。アリーナはクリフトが倒れないように抱きしめた。
「---」
 何を言っているのかわからないその呟きにアリーナは唇を噛んで顔をしかめた。
 こんなときにすら、クリフトが何を望んでいるのかわからないことが憎らしかった。


 そして着いた街はクリフトの信仰の聖地であった。 船では立ち入ることができない閉ざされた聖地。聖職者達は己を鍛えながらこの地を目指し、高みへと上っていくのだ。 落ち着きと安息に包まれた街。それは良かったのかもしれない。もし賑やかな地であったら、仲間達はその喧騒に心を沈めていたかもしれないからだ。

 クリスは街での休憩もそこそこに、すぐに馬車の中に身を隠していた翼を持つ人に声をかけた。 例え信仰の厚い聖地といえど、彼女を目の当たりにした人間がどんな反応をするのか未知数であったからだ。
 彼女は天空の住人ルーシア。世界樹の上で助けを求めていた翼の折れた天使。 クリス達は彼女を天空へと帰すために、この聖地へとやってきたのだ。
「天空への塔の場所の案内はお願いしますね」
「はい」
 ルーシアは暗い顔をしたクリス達に遠慮するかのように困ったように頷いた。



 ゴットサイドの街から然程離れていない場所にその塔はあった。
 仲間達は街を出てすぐに見えてきた天を貫くようにそびえる塔に目を見張ってお互いに感想を言い合い、 ある者は無理やりに冗談を言って場を和ませた。そんな会話の中、馬車の先頭を行くクリスにルーシアは話しかけた。
「クリスさんの天空の武具があれば、扉は開かれるはずです。…クリスさんは選ばれた人ですから」
 ルーシアの言葉にクリスは目を伏せた。
 どこか引っかかる言葉。“選ばれた人”。
「ねぇ、ルーシアさん。ブランカを出たときから気になってて、ずっと訊きたかったの。…あたしのお母さんは…ルーシアさんと同じ人なの? 天女と結ばれた罰で雷に打たれたきこりって…もしかして」
 自分だけが扱える雷の呪文。クリスは拳を握って魔法力を集中させた。小さな火花が弾ける。
 ルーシアがあからさまに、しまった、という顔を見せて目を逸らした。
「……わたしの口からは…お答えできません」
「そう…」
 ほとんど肯定したと同じ意味を持つ拒否の言葉にクリスは自らの運命をあざ笑うかのように苦笑した。
「…神様って意地悪なのね。会ったら何て言ってやろうかしら」
「……」
 ルーシアは答えずに困ったように押し黙った。
 もう一つ、クリスには気になっていたことがあった。それはアッテムトで聞こえた魔物の言葉だ。
「ロザリーさんはどうしたの?」
「……死にました」
 先程と同じように答えは返ってこないかもしれないと思っていたクリスは拍子抜けした様子で ルーシアに鸚鵡返しに尋ねた。
「死にましたって…どうして?」
「……人間に殺されたのです。…魔に唆された人間によって」
「……」
 クリスは少しの沈黙の後にぼそりと言った。
「一番悪いのは誰なのかしらね…?」

 マーニャとミネアは馬車の中で二人の会話を聞いていた。
「…わからなくなってきたわ」
「何が?」
 ミネアが占いで使う水晶を抱くようにして言った言葉に、マーニャはだるそうに天を見上げて聞き返した。
「…何が正しいのか」
 何故、神と呼ばれる者がクリスに残酷な運命を与えたのか。なぜ、彼女の父親は神に消去されたのかもしれないというのに、 正義の為に戦わなければならないのか。
 そして、導かれし者、と呼ばれる仲間達もそうだ。クリフトの心はこの戦いの為に殉死した。 誰もが心を傷め、悲しみ、それでも今日も戦い続ける。
「まだ誰かが犠牲になってしまうのかもしれない…」
「……」
「人間にとって…神様と魔王の違いって…何なのかしら」
「…」
 長い沈黙の後、マーニャは大きくため息をついた。
「あんたが占いで纏め上げた仲間じゃないの」
 ミネアはそうね、と呟いて水晶を布に包んだ。
「少なくとも、こんな戦いは早く終わらせなきゃいけないわ」
「そういうことね」
 その様子を見ていたブライは安堵したかのように髭を撫でた。

 馬車がその進行を止めた。パトリシアの高い鳴声が聞こえる。 その声に呼ばれるかのようにマーニャとミネア、ブライが馬車を降りた。 クリフトと二人きり残されて、
「クリフトは…何を望んでいたの?」
アリーナはクリフトの隣で話しかけた。
 もちろん、返事が返って来ることは無い。それでも構わなかった。
「何だか思い出しちゃうわね。ミントスでクリフトが病気になっちゃたときのこと」
 クリフトの丸められた背中をアリーナは愛おしそうに撫でた。
「あのときにも少し言ったわよね。…ずっと言いたかったけど、言えないことがいっぱいあったって」
「---」
 また、何かを口走った。
「でも、もう言ってあげない。だって、クリフトだって私に言えないこといっぱいあるってわかったから」
 アリーナは彼の肩に手をかけるとそっと唇を重ねると、彼の肩を優しく撫でて自らも馬車を降りた。

 そして、薄暗い馬車の中に一人残された。クリフトは何も見ていなかった。何も聞こえてもいなかった。
 ただ、感じていた。神聖な地に来たことを。それは閉じこもった彼の心の不安を少しでも癒していたのかもしれない。
 しかし、同時に闇の気配も深まったことも感じていた。この地は最も光に近く、最も闇にも近い場所であるからだ。 それを誰に言われるまでもなく、心を失った今でも感じるのは幼い頃からの信仰ゆえだろう。
「腕…内臓…墓」
 ずっと呟いていたのは、取りとめの無い言葉の羅列だった。
「空…墓…………………………」
 クリフトの目から涙が溢れた。
「…アリーナ様…」
 その涙が膝に置かれた手の甲に落ちた。
「………」
 肌に感じる気配が変わった。
 深い闇の気配が濃く。
「……」
 クリフトの瞳に僅かに光が戻った。
「…“赤色”…?」
 覚えのある闇の気配にクリフトは顔を上げた。


 馬車の外に見えるのは空を貫く塔。
 天空へと上る塔の麓に辿り着いたのだ。ライアンがパトリシアの背を撫でて落ち着かせている。
 塔は何千年もの間建っているとルーシアは話した。それでも何の劣化も変色も腐食も無い。 どんな材料でできているのか全く想像もできない。それだけでもこの塔が神の産物だと実感させられた。
「馬車はさすがに無理そうだな」
 ライアンが顔を微かに歪めた。
「到底身軽じゃないわたしやブライさん、クリフトさんでお留守番してますよ。馬車は任せてください」
と、トルネコ。冗談めいた口調だが、それも一つの方法論だ。クリスは口元に手を当てて少し考えると納得して頷いた。
「それ採用です。じゃぁ、残りのメンバーはあたしと同行です。さぁ、行きましょうか」
 クリスが竜をあしらった天空の剣を振りかざした。
 塔の中へと誘う扉が音も無く開かれていく。ルーシアが嬉しそうに微笑んだ。

「!」
 パトリシアが突然、怯えたように暴れだした。
「…まさか、敵!?」
 ミネアが辺りを警戒して見回した。
「あ!」
 ミネアが何かに気が付くのと同時に、彼らの中心へと稲光が襲った。
 砕け散る大地とその衝撃に体が吹き飛ばされる。
「うぅ…っ」
 何とか雷を避けたミネアは擦り傷の出来た体を何とか起す。 直近の雷鳴によるひどい耳鳴りに眩暈がする。額に手を当てて、それを振り払うと彼女は必死に周囲の状況を確認しようと 辺りを見回した。
 土煙が立ち込めている。その前にクリスとライアン、トルネコが警戒して構えているのが確認できた。 直撃を避けたものの気絶しているアリーナ、マーニャとブライに回復の呪文を唱えて回る。
 急激に濃くなる魔物の気配に、クリスは土煙の中から現われる敵に剣を構えた。
「現われたのね、“赤色”!」
 そこに立っているのは再び合間見えるクリスと同じ姿をした魔物だった。
「…お久しぶりですね。お元気でしたか?」
 赤色はにこやかに笑うと仲間達をぐるっと見回した。
「クリフトさんはどうしました?……死んじゃいました?」
 くすくすと愉快そうに笑う赤色にクリスは大地を蹴って切りかかった。
「あたしの顔でそんなこと言わないで!」
 天空の剣と赤色の剣が激しく切り結ばれる。その速さはアッテムトで会ったときよりも上がっているようだった。
「クリス!」
 ライアンが二人の間に割って入って、赤色の胴を寸断した。
「かはっ!」
 赤色は口から黒い光を吐いて、二つになった体を大地に撒く。
「離れて!すぐに回復してしまいます!」
 クリスも距離を取ると雷を放つべく呪文を唱え始めた。しかし。
「…早い!」
 黒い光が繋がったかと思うと、二つに分かれたはずの体が一瞬で再生し、 赤色はクリスと同じ天空の盾を翳した。
「クリスさん!」
 トルネコが危機を感じて叫んだ。
「…しまった…!」
 クリスは赤色の前に現われた光の壁に舌打した。
 発動してしまった雷が光の壁に弾き返される。
「きゃああ!」
 周囲が全てを破壊する雷に包まれた。


「…今度はあたしが勝ちそうですね」
 赤色が鼻で笑った。
「あたしの武具は本物と同じ形をしていて、同じ魔法の力があるんです。…天空の祝福はありませんけどね」
 満身創痍のクリスとライアンは跳ね返された雷により、地面に張り付くように倒れこんでいる。
「クリスさん…!」
 マーニャとブライも気絶したままだ。
 ミネアは理力の杖を構えた。トルネコも険しい顔で破邪の剣を握る。
 青い顔をして見守っていたルーシアが我に返ったようにクリスとライアンに高等治癒呪文-ベホマ-を唱えた。 しかし、完全に意識を失った二人は気絶したまま起き上がらない。
 ミネアは震える唇を両手で押さえて、それでも気丈に疑問を投掛けた。
「どうしてですか?貴女がクリスさんの記憶と感情があるのなら…」
 ミネアは言いかけて口を噤んだ。
「まさか…」
 “天空への復讐”
 赤色の柔らかい唇がゆっくりと言葉を紡いだ。
「あたしね。なんとなくわかってたんです。…あたしが何者なのか。なぜ、あたしなのか」
 赤色が一歩、また一歩と近づいてきた。
「…だからね、そこの天空の人。貴女から殺してあげます」
 ルーシアに近づく赤色を阻むようにトルネコとミネアが立ちふさがった。
「退いてください。あなた方ではあたしを止められませんよ?」
 そんな言葉で引き下がるわけにはいかない。トルネコが裂帛の気合と共に赤色に切りかかった。
 その刃をなんなく受け止める。
「…遅すぎて話になりません!」
 赤色はこともなくトルネコを蹴り飛ばした。
「こ、来ないでください!」
 絶望した瞳で微笑む、勇者と同じ顔をした魔物に威圧されて足が震えた。
「やっぱり優しい人なんですね。ミネアさんはあたしが、もしかしたらこのまま帰ってくれるかもしれないと思っているんですね?」
 静かにミネアの前に構えもせずに立つと赤色は顔を覗き込んだ。
「ミネアさん、しっかりしてください!」
 トルネコが慌てて叫ぶ。それでも尚、震えたまま立ち尽くすミネアを赤色は容赦なく殴り飛ばした。
「ミネアさん!」
 地面に倒れたミネアの腹を踏みつけて赤色は吐き捨てるように言った。
「……そういうの大嫌いです。みんなであたしを勇者だと持ち上げて、利用して。あたしのことなんて誰もわかってないくせに!」
 呻くミネアは目を見開いた。
「そんなこと…」
 ミネアは今度は喉元を足で押さえつけられて呻いた。
「先にミネアさんから殺してあげましょうか」
 ミネアの真上に赤色の剣の刃が真直ぐに振り上げられた。


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