(姉さん、助けて…!)
 ミネアは死の恐怖から思わず目を瞑った。トルネコの絶望の叫び声が遠く聞こえたような気がした。



「させるもんですかああ!」
 轟音をあげる炎の塊が赤色を巻き込んで弾き飛ばした。
 ミネアは体を起して、彼女の名を叫んだ。
「アリーナさん…!目が覚めたんですね!」
 アリーナは炎の爪を振った。赤い火炎を纏ったその一撃に赤色は黒い光の流れる胸を押さえた。
「……死んだんじゃなかったんですね…」
 一呼吸の間にその傷も癒されてしまう。
「ルーシア!ミネア!私が抑えている内に皆を!」
 その声に弾かれるようにルーシアとミネアが回復の呪文を唱えた。トルネコが這うように気絶しているクリスの元によって、 肩を揺さぶる。
「う…!」
 クリスは目が覚めると、すぐに状況を把握して覚醒を促す呪文の詠唱を始めた。 赤色が気が付いて阻止しようとする行く手をアリーナが颯爽と回り込む。赤色は憎々しげに眉を歪めた。
「…アリーナさん!!」
 クリスがザメハの呪文を唱えた。周囲を眩しすぎて目を覆うほどの光が溢れる。それはまるで朝上る太陽の光のようだった。
 ライアンが、ブライが、マーニャが目を見開いて立ち上がる。
 そのままクリスは天空の祝福を受けた剣の力を赤色に向けた。全ての術を打ち消すその祝福は赤色の前の光の壁すらも消し飛ばした。
「散々やってくれたわね…!」
 マーニャが両手から炎を立ち上らせた。
「どうやら、観念してもらうときのようじゃの」
 ブライも鋭い眼光で赤色を睨む。
「…お前はクリスではない。…手加減はしない」
 ライアンは何度も赤色を切り付けたその剣を構えた。
 ミネアも真空の呪文を唱え、トルネコもアリーナとライアンの横について攻撃の姿勢をとった。

「…みんなあたしの邪魔をするのね」
 赤色は憎しみに彩られた瞳でクリスを睨む一方、クリスは電気の火花を散らす拳を振りかざした。
「もう、誰にも死んでほしくないから」

 更に強い稲妻の呪文-ギガデイン-が赤色の体を押し包み、追い討ちをかけるように全員の呪文と全力の攻撃が 彼女の体を引き裂いた。





 黒い光がゆっくりと赤色の体を再生させていく。
 追い討ちをかけようとするアリーナとトルネコをクリスが制した。
 再生の速度が落ちている。あのときと同じように魔力の限界が来たのだ。

「…あたしは…全部…全部…殺すんだ…。お父さんの仇であたしの運命を弄んだ竜の神も。 あたしを持ち上げて利用している人間も…!村の皆の仇の魔族も!」
 赤色は再生できなくなった太腿の断面から流れ落ちる黒い光を受け止めるように手を当てて叫んだ。
「そのための魔力を貯めるために、村一つ滅ぼしてきたのに!」

「!…村を…!?」
 ライアンが狼狽した様子で叫んだ。
「皆、皆死んでしまえばいいのに!」
 クリスが顔を伏せた。自分も心のどこかで思っていたこと。何も返す言葉はない。

 欠けた体を押さえて呪いの言葉を吐く、勇者の生き写し。
 ルーシアは思いもよらない話に言葉を失い、ミネアはその悲痛な叫びに顔を背けて嗚咽を漏らした。


「貴女はそれでいいのですか?」
 赤色とクリスは息を飲んで、声のした方向を振り返った。力の入らない体を馬車の車体で必死に支えている、彼。
「クリフトさん…!」「クリフトさん…正気に戻って…?!」
 重なる同じ声にクリフトは苦しそうに歪んだ顔で微笑むと、 慌てて駆け寄るアリーナの手助けを拒んで、二人に言葉をかけ続けた。
「貴女に…私は以前…同じように問いかけましたね?……っ…」
 クリフトは片手で頭を押さえながら、その場に耐え切れずに座り込んだ。
「…貴女は…ロザリーさんを…殺さなかった…。分かっていたんですよね?…そんなことをしても… な、にも終わらないこと…。私が貴女だったら…あのときに…迷うことなく…彼女を手にかけていました。 でも、貴女は…そうしなかった。貴女は私よりもずっと、頭が良くて」
 クリフトは座り込んだまま、再び光を見失いそうな瞳で必死に頭を支えて二人を交互に見つめた。
「クリフト!」
 アリーナが慌てて肩を支えた。
 クリフトは尚も続けた。
「貴女はもう…ロザリーさんも、デスピサロも、竜の神も、人間も。貴女自身すらも、赦す勇気をお持ちなのでしょう?…う…」
「クリフト!」
 言いかけた言葉もそのままにクリフトの瞳が再び光を失った。アリーナが何度も名前を呼ぶが、 彼の瞳は暗い闇へと還ってしまっていた。


 クリスは大きくかぶりを振った。
「そうですね。あたしは…違うわ」
 クリスは赤色に向かった。赤色が戦慄声で叫んだ。
「そんな偽善!認めません!」
「だから、あたしは違う。…あたしは人間の死なんて望んでないもの」
 そう。最初から。誰にも死んで欲しくないと願って戦ってきたのだ。
 クリスは全てに決着をつけるべく、再びギガデインの呪文を集中させた。
「終わりにしましょう。こんな争い」
 クリスの言葉に赤色は呪いの言葉を吐いて喚いた。聞くに堪えない罵りの言葉の数々。
 やはり、クリスとは違う。そう確信して仲間達はその様子を見守っていた。

「!」
 クリスは突如、かけられた魔法によって稲妻をかき消された。
 アッテムトのときと同じように彼女を助ける魔法。
「クリフトさんと同じ魔法力…!」
 クリスの声に応じるように、神官の姿をした魔物がふわりとクリスの後ろに降り立った。 クリフトと同じ顔で微笑む青色と呼ばれた偽者の瞳は毒々しい程に鮮やかなブルー。
「青色!助けにきてくれたんですね!」
 赤色は安堵した表情でなんとか片足で立ち上がろうともがいた。


 クリスが。アリーナが。ブライが。仲間の誰もが、唖然として二人の偽者を見ていた。
 赤色は信じられない、と自分の胸を貫き通す剣の切っ先を見つめた。
「どうして…!?」
 青色は当然のように微笑みながら剣を引き抜くと、彼女の胸に手を突っ込んだ。
「…だって、このままでは“赤色”は奪われてしまうでしょう?」
 彼の手の中に取り出された赤色の煌き。それは怒りと破壊の色。
 赤色は何かを言うかのように口を動かすが、それが音となって伝わる前に青色は彼女の体を踏み壊す。 成すすべなく彼女の体はもろくも黒い幻影となって消えた。
「あんたは…!」
 その容赦のない惨劇にマーニャは肩を震わせた。
「なんてむごい事を…!」
 トルネコは流れる汗に背を冷たくした。仲間だというのに何の躊躇いも見せなかった。 …赤色よりも余程恐ろしい相手だと。

「そんなに構えなくても、私は皆さんと戦うつもりはありませんよ。どうか見逃していただけませんか?」
 青色が鼓動を打つかのように鈍く輝く赤色の光塊を指で弄びながら、ねぇ、とクリスに言う。
「…そういうわけにはいきません」
「困りましたね」
 青色は肩をすくめた。
「私は自分のことをよく分かっているつもりです。赤色ほどの力がない私では勝ち目はありませんからね」
「それでも逃がすわけにはいかない!お前達は何者だ!?それは何だ!?」
 ライアンの威圧的な問い掛けに青色は海色の髪を触った。
「この本物と同じ姿が、というわけですね?…いいでしょう。お話しましょう」
 青色は魔物とは思えないような聖職者らしい仕草で胸に手を当てた。

 本物のクリフトの肩を抱くアリーナが戸惑ったように、本物と偽者を交互に見た。
「古代に魔王エスタークは竜の神に戦いを挑みました。その戦いは激しく世界を破壊しながら永き渡って繰り広げられました。 そして、魔王は破れました。なぜか。それは魔族が切り札としていた“進化の秘法”が不完全だったからです」
 進化の秘法。その言葉にマーニャとミネアは顔を青くした。二人の養父が実験に末に発見した邪法。
 青色は穏やかにルーシアに話しかけた。
「…なぜ不完全だったか、ご存知ですよね?」
 ルーシアは青い顔して頷いた。
「媒体が…足りなかったから…」
「そうです。呪いの力を溜め込んだ黄金の腕輪が足りなかったのです」
 今度はアリーナとブライが思い当たる節に顔を見合わせた。
「まさか、あのときの…!」
 フレノールの洞窟で持ち出した呪いの腕輪。クリフトが引き止めるのも聴かずに強引に盗賊に引き渡したもの。
 青色は口の端を歪ませた。
「そう。姫様とブライ様とクリフト-わたし-で持ち出した呪いの腕輪。それが進化の秘法の媒体なのです。 …そして、魔族はそれを手に入れました」
 青色は赤い光塊を弄ぶ手を止めた。
「ただ、手に入れたはいいものの、魔族は不思議に思いました。…呪いの魔力が圧倒的に足りなかったのです。 強引に進化させたバルザックはやはり不完全で砕け散りました。そして、すぐに調べたのです」
 手の中の赤い光塊を見せるように手を開いてみせた。
「黄金の腕輪の黒い呪いの力。永い年月の内に衰えたのか、神に力を削がれたのか。それとも最初からこの程度のものだったのか。それはわかりません」

 まさか。
 クリスは赤い光塊を凝視した。
 青色はそれを肯定するように鼻で笑った。
「そう。単純な話です。足りないものは貯えれば良い。“黒”い呪いは三つに分けられました。 怒りと破壊の赤色、嘆きと暴力の青色。そして、調整と制御の黄色。 村を焼いて人を殺して、その贄をもっていずれ黄金の腕輪へと還るために。…変化呪文を扱う魔道生物の魔物を基礎にして。本来は力と姿のみが似るはずでした」
「……」
 言葉の出ない彼らに青色の言葉は続く。
「腕輪の呪いの力なのでしょうか。それらは意志を持ちました。…本物と同じ記憶と意思を。それが私と赤色です」

 そこまで言って青色は一息ついた。
「さぁ、ご質問はおありでしょうか?」
 トルネコが口を開いた。
「…しかし、赤色さんと違って貴方はわたし達と戦う気がないと言いましたね?」
 青色は満足そうに頷いた。
「流石、理解がお早い。えぇ。その通りです。 私は皆さんと今、戦っても勝ち目はありませんし、興味もありません。赤色と違ってね」
「貴方は何が目的なの?」
 クリスは問い質すように間髪入れずに訊いた。
「さぁ?魔力集めですかね」
「しらばっくれないで!」
 アリーナの叫びに青色は苦笑して、ポケットから何かを取り出した。
「さて、私はこのくらいで失礼させていただきますよ」
 取り出したキメラの翼で唇をなぞった。
「待ちなさい!」
 アリーナの制止を聞いて、青色はくすりと残忍に嗤った。
「…もし、私の邪魔をなさるようでしたら、そのときには全力でお相手しますよ。それでは」

 逃がすまいと彼を切りつけたライアンの斬撃は空しくすり抜けた。彼の体がキメラの翼の光に掻き消えると、耳元で何かが弾けるようにして魔法封じが解けた。
「早く追わないと…!あいつはどこかの村や町を襲う!」
 ライアンが焦った様子でそう声を張り上げる。
「でも、あの人がどこへ向かったのかが分からないわ…」
と、ミネアがおろおろとクリフトを見た。アリーナに支えられる彼はやはり、何かを呟き続けている。
 マーニャが激しい剣幕で詰め寄った。
「クリフト!目を覚まして!あんたしかアイツの行くところわかんないじゃない!」
「やめて!」
 強引に肩を掴んで大声で叫ぶマーニャをアリーナが引き離した。
「だって、アイツの言った話だとクリフトの記憶と感情を持っているんでしょ?」
「だからって…。乱暴はやめて」
 庇うようにクリフトの肩を抱くアリーナの前にブライはそっと屈みこんだ。クリフトの顔を近くから覗き込むようにすると、ブライは言った。
「お前さんの古傷をえぐるようで悪いが、どうか教えてくれんかの?」
 ブライは眉の端を下げて、低い声で尋ねた。
「…テンペか?」
「……」
 テンペという言葉に反応するかのように、クリフトの呆然とした呟きが止まった。
「……そうじゃな?」
-……レジル……-
 微かにクリフトの唇が動いた。
「そうか。やはり、決着をつけにいったか」
「ブライ…。テンペって、あのテンペの村なの?」
 アリーナが思い出したのは三人で立ち寄ってクリフトが魔物を退治した平和な村。
「いいえ。こやつの思うところはあのテンペの村ではございませぬ。…テンペの山々の中にある小さな集落です。 変わり者の子爵の領主と農民の集落。恐らくあやつが向かったのはそこじゃろう」
 クリスが二人の間に割って入るように尋ねた。
「ルーラで行けますか?」
「すまん。ワシも行ったことはない。テンペから少し歩かねばならんな」
「早く行かないと!そこまでは結構歩くの?」
 ブライは髭を撫でた。太陽の位置を見る。太陽は真上だ。
「いや、すぐに行けば夜までには着くはずじゃ」
 ブライはクリス達が力強く頷くのを見て、呪文を唱えた。

(あたしは自分に勝ちましたよ…クリフトさん)
 クリスは目を閉じた。



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もはや、オリジナルですみません。
あと、書いているときにはまったく気が付かなかったんですけど、 天空の剣ってマスタードラゴンに会うまで、特殊効果ってなかったですね(大慌て)