テンペの村がその集落に最も近い。ブライのルーラでその小さな村に導かれたクリス達は休憩も取る事なく飛び出した。
 ブライはトルネコと共にテンペの村で描いてもらった地図を頼りに馬車を走らせた。パトリシアも事の重要さを察してくれたのか、 限界を訴えることなく走り続けてくれることに感謝の念は絶えない。
「ねぇ、ブライ。その農村に以前何かあったの?」
 アリーナはブライも訪れたことのないような小さな集落にクリフトが何の因縁を持つのか、どうしても納得がいかないようだった。
 誰も口には出さなかったが、クリスもマーニャもミネアも、ライアンすらも答えを待ってブライを見つめた。 冷徹で手段を選ばない青色の動機はその行動に反して非常に不鮮明だ。
 ルーシアはもしかしたら天から覗いていたのか、それとも心を失ったクリフトに同情してなのか、黙ってうつむいた。
「話してしまってよいものかはわからんが…こうなってしまっては知っておいたほうがよいのかもしれんな」
 ブライはクリフトの髪を触るかのように軽く頭に手を置いた。
「こやつが神官になるにあたっての身辺調査報告で知った話じゃ」
 ブライは言い難そうに声を低めた。
「こやつの親友がその農村の領主の子爵の虐待を苦に自殺したんじゃ」
 仲間達は口を閉ざしたままだった。アリーナだけが幼い頃に彼が涙して無念を訴えた記憶を辿り、愕然としてクリフトを見つめた。
「じゃぁ…クリフトが言ってた死んでしまった大切な友達って…。ニックが死んだ理由って…」
「そうじゃ。詳しいことはこれ以上は知らん。しかし…」
 ブライは懐かしい記憶を脳裏に思い浮かべるが、どのシーンでもクリフトは心から笑ってはくれなかった。
「こやつは周りの人間に心を開かなんだ。その親友と病気で急死された王妃様ぐらいじゃろうて。安心して接しておったんは」
 アリーナはそうね、と寂しそうに苦笑した。
「哀れなやつよ。頼れる人間もなく、唯一頼ることができた力(呪文)に心を喰われるとはのぅ。……苦しかったろうに」
 孫のように思って接してきたクリフトに、今この老人はどんな気持ちで面と向かっているのだろうか。 そう思うとクリスはいたたまれずに、御者台に座るトルネコの元へと向かった。

 這い出してきて外へと頭を出してみれば、馬車の外は日も暮れて静かな夜が訪れていた。
「明るい夜ですね。まるで昼間のようです」
 そのままクリスは寝転がるよう頬杖をついて丸くて大きな白い月を見上げた。たいまつすらも不要なほどに明るく辺りは照らし出されている。 細い山道のでこぼこの道の砂利が月の光にぼんやりと白く輝いているのを横目で見ながら、クリスはトルネコに話しかけた。
「…逆に考えれば、ここであの人を倒して、阻止出来ればデスピサロの力を壊滅的に削ぐことができるはずですね」
 クリスはなんとかいい方向へと考えることで必死だった。 そして、なんとか捻り出したその言葉があながち間違えていないだろことに気付くと、トルネコの返事を期待する。
「クリスさん。クリスさんは大丈夫ですか?」
 期待を裏切るような想像もしていなかった返事に問いかけの真意を図りかねた。
「ごめんなさい。どういうことですか?」
「…あんなことがあって、落ち込んだり塞ぎ込んだりしてしまっていなかと、ね」
 トルネコの声は山道を走る馬車の車輪の音にすっかり溶け込んでしまっていたが、 クリスはすぐに悟った。…心配をかけているのだ。悔恨に暮れていないか。自責の念に取り付かれていないのか、と。
「大丈夫です。確かにずっと、あの偽者が言ったように思ってました。でも、こうしてあたしを気遣ってくれる皆さんがいてくれて。 …それに、クリフトさんがあたしを諭してくれて。だから、吹っ切れたんです。不貞腐れてても誰も戦ってくれないんです。 あたしが戦わなくちゃ。…もう誰も死なせないために」
 トルネコはばさりと毛布をクリスにかぶせた。
「やっぱり、あなたは伝説の勇者様でしたね」
 クリスは毛布の中で顔を歪めた。自分の憎悪が村一つ滅ぼしてしまったことに対しての後悔に。 そして、決めた。これを最後の涙にしよう、と。
「じゃぁ、青色の方も早く解決しましょうね」
 トルネコの励ましの言葉にクリスは毛布の中で頷いた。

 日が落ちてからもしばらく進み続けた。 頭からすっぽりとかぶったままの毛布のすき間から頂へと見上げると、小さく石の壁が見える。 人間を魔物や獣、盗賊からの脅威から守る赤いレンガの小さな集落。そこに間違いなかった。
 トルネコは大声で馬車内の仲間達へと呼びかけた。 緊張の走る仲間達は、クリフトがしきりに口走っていた独り言が消え失せていたことに誰も気が付かなかった。


 クリスとアリーナが一番に馬車を降りた。
 その小さな集落の入り口となる木の作りの門は開かれていた。脇を固めるように明るく燃える炎だけが明るい夜に蠢いている。 他には何も動く物はなかった。ライアンが不審そうに周囲を探す。
「不寝番もいないままに解放されているとは…」
「……もしかしたら…」
 不自然な程に音の無い集落。風すらもなく、木々の枝が揺れる音もしない。アリーナはサントハイムのことを思い出して、反射的に緊張を強めた。
 そして、何か違和感を感じる。クリスはその違和感の正体を探ろうと胸のざわつきを突くが、やはりそれはわからなかった。
「ルーシアさん。…馬車とクリフトさんをお願いします」
 クリスは言いにくそうに馬車から顔を覗かせる天使にそう願い出た。 彼女は後もう少しで故郷へと戻れることろを事件に巻き込まれた形になったのだ。 その件に関して、申し訳ないと思うのはクリス自身も今回の事件の当事者としての責任を感じているからだろう。 ルーシアは黙って頷くと、先程までトルネコが座っていた御者台へと向かった。
 クリス達が門をくぐる様子を見守りながら、彼女はせめて祈った。
 しばらくそうしていて、ルーシアはふと気が付いた。
「…?クリフトさん?」
 馬車内が静かなことに不安を覚える。慌てて中を覗いた。
「そんな…いない!?」
 馬車の中にも周囲にも彼の姿はなかった。慌てて周囲を見渡しす。
「なんということ!!」
 ルーシアは悲鳴にも似た声で叫び、顔を覆った。


 集落の中へ入ってみても人の気配は全く感じることが出来ない。 疎らに立っている木の作りの簡素な家を様子を伺いながら覗き込んでみるが、やはり誰もいないようだった。
「まさか…もう…?」
「こら。アリーナ。そんなこと言うもんじゃないわ。きっと、危険を察知して逃げたのよ」
 マーニャがアリーナを励まそうと、緊張を隠して微笑んでみせた。 その気遣いが嬉しくてアリーナはうん、と頷いて応えた。


「あれ。この村ってこんなに大きかったでしょうか…?」
 ミネアが胸中の不安を搾り出すように口にした。トルネコとライアンも否定的にかぶりを振る。
「見ていた限りでは…。この広さはまるでエンドールの城下町のようだ」
 クリスは拳を握って苛立った。
「ブライさん、マーニャさん…。どう思いますか?」
 一時待っても応えがない。クリスは不審に思って振り向いた。
 そこからブライとマーニャ、アリーナの姿が消えていた。微かに青紫色に染まる霧に霞む村の風景。
「しまった…」
 ライアンが策に嵌められたことを悟って、警戒に剣の柄に手を伸ばした。


 ブライとマーニャはすぐに仲間とはぐれたことに気が付いていた。
「マヌーサ、ね」
 間の前で濃くなった霧に掻き消えるようにして消えたクリス達。 クリフトが得意としていた幻惑の呪文の効果に間違いなかった。青色がクリフトと同じ力を持つのならば扱えても何の不思議も無い。
「この村全体に効果を表すとは…余程、力をつけておるのじゃろう」
 ブライとマーニャは体力をこれ以上消費させないために立ち止まった。
「クリスが気が付いてくれるといいんだけど」
 マーニャは願うように溜息をついた。



 アリーナは一人になってしまったことで、来た道を戻りだした。せめて、馬車まで戻ろう。 大きな声で呼びかけても効果のなかったことで彼女はそう思い当たった。
「…なによ、これ」
 いくら歩いても馬車へと戻れない。真直ぐに歩いて来た筈、間違える要素も思いつかない。 困り果てた彼女は辟易して民家の壁に体を預けて、腕を組んで不貞腐れた。
「?」
 何かの影が霧の浮かぶ。…人の影だ。アリーナは慌てて声をかけようと目を凝らした。
「クリフト!?」
 アリーナは弾かれるように立ち上がった。
 夢遊病患者のようにふらふらと歩き続けるクリフトの姿。まさか、そんな状態で来るなんて危険すぎる。
「クリフト!待って!」
 アリーナはその歩みを引き留めようと、追いかけた。
「!」
 どういうことだろうか。もう少しで追いつける、というところで彼の姿は民家の壁に消えた。
「え…?」
 その木の作りの壁をペタペタと触る。
「なにこれ…?」





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