その小さな農業を営む集落の中心にはおおよそ似つかわしくない噴水があった。
それはこの地の領主の趣味で作られたもので、小さい作りの円形の噴水であったが、
その頂点には女神像が備え付けられている。彼女の掲げる壷からは優しい水の流れが絶えることなく、村を癒し続けていた。
しかし、それもかつてのこと。女神は無残にも足元から折られ地に伏せている。
大地に倒れた衝撃のためかその首と腕は体から離れてしまっている。
今、女神像の変わりに噴水の中心に立っているのは歪んだ形の大きな十字架であった。
月明かりを背に受けて十字の影に、幼い少女を背中から抱きかかえ青色は座り込んでいた。
噴水の縁に座って、溜まる泉を眺める。月の光に反射するその水は黒に近い赤色だった。
少女は指一本動かさずに震えるままにその水を見つめ続けている。青色は優しく、その髪を撫でた。
-青色。あまり遊ぶな-
青色は空気を震わせて耳元に直接響く監視者の声に手を止めた。
「えぇ。わかっています。…少しだけです」
青色はふと、今まで自分に苦痛を訴えていた声が消えていることに気が付いて、
にわかに肩を落とした。人差し指を上げて呪文を唱える。
「ベホイミ」
癒しの呪文を呟くと、それに呼応するように十字架が呻いた。
「まだ私はお話を続けたいのです。…レジル子爵」
月の光の影になるように立っている歪んだ形の十字架は人間であった。
体を貫き通すように張付けられた体からは止め処ない血液が、体の自由を奪う木材を伝わって泉へと流れ込んでいる。
その木材は器用に内臓を傷つけぬように急所を外して貫かれていた。
そのように施した犯人は少女を抱きしめ、振り向かぬままに背後の太った貴族に話しかけ続けた。
「…私が罪を糾弾するのも可笑しいのですけどね」
レジルは涙ながらに死を求め呻き続けている。
「ニコラウス。彼を覚えていらっしゃいますか?」
「…殺してくれぇ…」
「貴方が追い詰めた神の僕です。もう、かれこれ9年も前になってしまうんですね」
「……」
「背徳を繰り返す罪人レジル。懺悔があるならば先にお聞きしますけど」
「…」
青色はまたしても返事のなくなった子爵にやれやれ、と泉の縁の上に立ち上がって振り向いた。少女を隣に座らせる。
「ベホイミ」
また、血反吐を吐いて子爵の意識が強引に引き戻された。恐怖のために歪んだ顔に青色は穏やかで澄んだ笑みを向ける。
「…懺悔はないですか、と訊いているのです」
「!!!!」
青色は持っていた剣で子爵の肩を突き、時計回りに肉を抉る。野太い悲鳴が響いて、少女は目を硬く瞑って耳を押さえた。
そこに静かに現われた人物。
青色は驚いた様子で彼を見た。
「クリフト…。なるほど、魔法力のみを感じて直感で歩いてきたというわけですね」
光のない瞳。武器すらも持たないままに現われた本物の神官。青色は苦笑して剣を引き抜いてクリフトに向けた。
月明かりの逆光に鮮やかなブルーの青色の瞳が不気味に光る。
「どうするのですか?」
「……」
返事のないクリフトに青色は噴水の縁から軽やかに飛び降りると、彼を思い切り蹴飛ばした。
抵抗の無い彼の体は背後に聳え立つ子爵邸の壁へと打ち付けられる。立ち上がる様子もなく項垂れたままだ。
「……情けないな」
青色は呆れたようにそう吐き捨てると、再び子爵へと向かって立った。
「さて、お話の続きでもしましょうか?」
子爵は目を見開くと狂ったようにケタケタと笑い声を上げる。その醜悪さに青色は顔をしかめた。
「馬鹿なガキだった!おれが目をかけて、金をかけて面倒みてやったのに!自殺などとばかばかしいことを…!」
クリフトの肩がわずかに反応した。
子爵の言葉はそれ以上は続かなかった。青色の剣が喉を貫いたからだ。
子爵は血泡を吐きながらパクパクと口を動かしていたが、すぐに白目を剥いて動かなくなってしまった。
少女は顔を覆って咽び泣いた。
「…救い様のない男だ」
そう呟いた青色は無表情だった。
俯いたままのクリフトの頬を一筋の涙が伝って、服を塗らした。
少しだけ、幻惑呪文が弱まったのだろう。
なぜかはわからなかったが、ブライが道の向こうにクリス達を見つけ、マーニャが壁の前で途方に暮れるアリーナを見つけたことが、それを証明している。
「あ!みんな!クリフトがこの壁の中に消えちゃったの!」
「え、それは一体…?!」
ブライとマーニャはお互いに顔を見合わせた。
「幻惑の呪文じゃ」
「きっと、この壁は幻でその向こうにあいつはいるのよ!」
クリスは納得が行ったように頷いた。
全ての魔法を打ち消す祝福の力を受けた天空の剣の力でこの幻惑を祓うのだ。
掲げられた剣が周囲を照らし出す。
「…ひっ…」
ミネアとアリーナが小さく悲鳴を上げ、トルネコが口を開いたままに固まった。
クリスはようやく感じていた違和感の正体に気が付いた。
“赤かった”のだ。ここに向かってくるまでに見えたこの集落を囲むれんがは確かに“赤かった”。
「こんなことが…!」
あっていいものか。ライアンすらも最後まで言葉を続けることは出来なかった。
村人は最初からいたのだ。
既に事切れた死体として。あちこちに無造作に散らばり浮かぶ肉の塊。
どの方向を向いても目に入る村人だった者達。老若男女を問わず、容赦なく切り捨てられていた。
足元には大地が見えぬ程に一面に赤い水溜りが出来て、自分達の動きにあわせて小さく波紋を作っている。
月明かりにその惨劇は反射して、集落中を赤く染め上げていた。
「今まで気がつかなかったなんて…!」
クリスは唇を噛んで、怒りに震えた。
「間に合わなかった…!」
ミネアが急激に鼻を襲うように刺す血の匂いに顔を覆った。
ブライが先程、アリーナが示した方向を見た。
「やはり、ここにおったな」
ブライが見たのは青色が子爵に止めを刺した瞬間であった。
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