「よくここがわかりましたね」
青色はクリス達に幻影を打ち破られたことを悟ると、隣で嗚咽を上げる少女の頭を撫でた。
クリスは緊張した面持ちで青色を睨みつけた。噴水を挟んで反対側に項垂れているクリフトは動きはしないが殺されてはいないようだ。
不幸中の幸いとでも言うべきか。
「悪あがきは止めて、その子を離してください」
青色は少しの間考えて、ようやく応えた。
「そうですね。もうこうしている必要はなくなってしまいましたしね」
そう言いながら周囲の血塗りの悲劇を眺めた。優しく背後から送り出すように少女の肩に両手を置いた。
「怖かったですか?貴女にはひどいことをしてしまいましたね」
クリスは静かに少女が解放されるのを待った。
少女は嗚咽と共に一言だけようやく訴えた。
「…お父さん、お母さん、助けて」
その言葉に青色は表情を曇らせた。
「…私はね。子供が嫌いなんです」
青色は穏やかな声色はそのままに、手に持っていた錆色に染まった剣に力を込めた。
まさか、と全員に緊張が走る。
「子供というのは、何にも出来ないくせに。何にも分からないくせに。そうやって自分本位の願いだけを強く思う」
「!」
少女の首に当てられた刃が肉を切り裂く音と共に真横に引かれた。まるで弦楽器でも演奏するかのように引かれた刃に、
ぎりぎりと音を立てて筋が切れていく様子がはっきりと見え、ぱっくりと割れた喉から血が噴出す。
青色は忌々しげに眉間に皺を寄せて彼女の服を背中から掴み上げた。骨と皮でようやく繋がっている頭がぐにゃりと不自然にぶら下がる。
「…まるでかつての自分を見ているかのようで嫌になります」
青色はミネアのいる方向を見た。
「ほら、貴女のお母さんは“あの辺り”ですよ!」
ミネアのすぐ横へと青色は少女の体を投飛ばした。その亡骸は血の水溜りに飛沫を上げて数人の死体が折り重なる山へと被さった。
その中には彼女の母親もいるということだろうか。
ミネアはあまりにもむごい行為に唇を震わせた。
「なんということを…!」
憎悪の瞳を向けるライアンがすぐにでも跳びかかれるように構えた。
「私は以前に申し上げましたよね?…私の邪魔をなさるようでしたら、全力でお相手します、と。
今、圧倒的に優位なのは私の方なのです」
青色が呪文を唱える。集落中がグロテスクな血色の光に包まれた。
「ここの住人の方々から集めた魔力を使って生と死の呪文を私なりに少しアレンジしてみました」
血色の結界の中で死体がその体を起していく。
ミネアは何かに足を捉まれた。
「きゃああ!」
先程、青色にその首を切り裂かれた少女がひゅぅひゅぅと口から音を漏らしながら、ミネアの足を掴んですがる。
その深い闇と苦しみを称えた瞳は自分が死んでしまったことをミネアに問うかのように虚無だ。
狼狽したミネアは振り払おうと足を払うが人間とは思えない力で掴む腕は決して解けない。
「ミネア!」
マーニャが少女を掴むと無理やり引き剥がした。手形の残る足も気にならないほどに、動き出す死体は数を増していく。
首が今にも落ちそうな農夫。下半身のない老人。腕のない女。腹を貫通する農具を引きずる子供。
ライアンとトルネコがそれぞれに農具を持って襲い掛かる村人の攻撃をなんとか受け止めている。
ブライを庇うようにしてアリーナが群れをなして押し寄せる死体を押し返した。
クリスが叫んだ。
「それなら!」
先程幻影を破ったように、天空の祝福の力で。クリスは剣を天に掲げた。青色はその様子を見て、指で小さく合図した。
「きゃぁ!」
クリスの体は掴みかかってきた死体の男によって弾き飛ばされた。剣が遠くへと飛ばされる。
「マホトーン」
追い討ちをかけるように青色の魔法封じの呪文が全員の呪文を封じた。
窮地。
クリスがもう一本背負っていた奇蹟の剣を抜いて駆けた。
立ちふさがる農夫を何人もまとめて切り倒す。罪悪感から歯を食いしばった。
その瞬間、周囲の血色の結界が輝きを増した気がした。それでも果敢にクリスは青色を袈裟斬りにする。
青色は瞬時にその傷を再生させて剣の刃をその手に掴んだ。その手からは黒い光が砂時計の砂のように零れる。
「…村の方々が“痛い”と泣いていますよ」
掴まれた剣は押しても引いても動かない。青色はクリスを殴り飛ばした。
思わず剣を握る手を緩めてしまった彼女は武器を失ったままに、地溜まりの中に肩から倒れこんだ。
奪った奇跡の剣を邪魔そうに噴水の泉に沈めて、楽しそうに声を上げて笑う。
「あなた方が村の人を切れば切るほど。切られた苦しみがこの結界の中で私の力となるのです。
…今、私の魔力に限界はなくなったんですよ」
クリスが殴られて切れた唇の端から流れる血を拭いながら立ち上がった。
「…ひどい…!」
突然、青色の体に黄色の光の筋が纏わりついた。青色が動じない様子で見上げる。空から蝙蝠の翼を持つ悪魔が青色の隣へと舞い降りた。この実験の監視を続ける悪魔ベレス。
その手に見えるのは調整と制御の黄色の光の塊。
「よくやった。さぁ、早く奴らに止めを刺して“赤色”を渡すんだ」
大柄な男の死体とつかみ合うトルネコが恐れて彼らを盗み見た。
「良かった。後でお伺いする予定でした」
青色はベレスににこりと笑顔を向けて、振り向き様に切り付けた。紫色の返り血に汚れた顔に鮮やかなブルーの瞳が揺れる。
「ばかな!“黄色”の力で完全に制御しているはずなのに!」
「最初は確かにそうでしたね」
容赦の無い追い討ちにベレスは信じられないといった形相のままに頭を落とす。血水を跳ねて噴水の泉に沈んだ。
ベレスの手にある黄色の光塊を奪い取る。
「これで三つ。全て揃いましたね」
マーニャとミネアは死体の攻撃をかわしながら、その様子に目を見開いた。
「…仲間割れ?!」
ブライがマグマの杖から発する熱で死体を引き下がらせた。
「…どういうことじゃ!?」
青色は手の中で“赤色”と“黄色”の光塊を眺めた。
「さぁ?私は魔族も嫌いなんです」
またもや青色はしらばっくれるように嗤った。
「きいてほしいことがあるの」
アリーナが前に進み出た。掴みかかった死体の爪が彼女の腕を抉り、血が零れて思わず顔を歪めた。
「アリーナさん!下がって!危険です!」
「姫様!」
クリスとブライの制止の声に耳を貸さず、アリーナはゆっくりと青色の真正面に進んで行く。
なんとか制止しようと追いかけようとするクリスの腕を羽交い絞めにするように死体が回り込んだ。振り解こうともがくが、それは頑なに離れようとしない。
焦りばかりが彼女の心を支配した。
「青色-貴方-も。クリフトもきいて」
変わらず倒れこんでいたクリフトが反応するかのように指を動かした。
青色が腕を振るとアリーナから波が引くように死体が離れ、二人の周囲は嘘のように静まった。
アリーナの申し付けを聴くように青色は胸に手を当てた。まるで、サントハイムの城内でクリフトがそうしていたように。
「何でしょうか、姫様?」
アリーナは一つだけ深呼吸すると、覚悟を決めたように胸を張った。
「クリフト。ずっと貴方のことが好きだったわ」
青色が表情を凍らせ、クリフトはゆっくりと瞼を開いて虚ろな瞳を震わせる。
「小さい頃からずっと好きだった」
言い聞かせるように繰り返されたアリーナの言葉に青色は顔をしかめて苦笑した。
「……知っていましたよ」
……。
「ずっと、わかっていました」
青色は静かにそう言った。
「クリフトさん……」
クリスは羽交い絞めにされたままにじっと青色とアリーナを見守った。その背後でブライが密かにマーニャとミネアと合流する。
青色は胸に手を当てた。
「私はずっと、貴女様に御恩を感じてきました。
愛する親友と尊敬する王妃様を一度に失ってしまった私に生きる道を示してくだったのですから」
「……」
「私の心はあのときにとうに死んでしまったのです。だから、そこから救ってくださった貴女様に尽くすことを誓いました。でも-」
「アリーナ!」
マーニャの絶叫。
青色の剣がアリーナの胴を貫いていた。
「…私は…貴女様が大嫌いでした」
青色は何故か苦しそうに顔を歪ませた。
「…自分勝手で、何もかも恵まれていて、人の苦しみや悲しみなど理解できない貴女様はいつも私の心を掻き乱してくださいました。
…いつでも。あの頃から今でも、ずっとそうでした。貴女様が幸せそうに笑うたびに、悲しそうに泣くたびに、無邪気に私を振り回して。
正直、いつも迷惑だったのです!」
青色は声を張り上げて、更に剣を深く抉るように押した。
その剣を掴んで押さえながら、油汗の流れる顔で青色を見上げた。
「…うん。…私も…知ってた」
「…え?」
青色は目を見張って愕然と彼女を見つめた。
「私はずっと我侭で。貴方に甘えてばっかりで。…だから、ずっと言えなかった。
ずっと勇気がなくて言えなかった。今こそ聞いてほしいの」
「…姫様…?」
アリーナの口の端から赤い血が線となって流れ落ちた。
「…小さい頃に…会ったばっかりの頃に。私、貴方に酷いことを言って…謝りにも行かなかった」
思い返される記憶。
-……お母様に褒められるから僕と友達になったの?-
-お母様はともだちとなかよくしなさいって言ってたもの。クリフトのお母様はそういってないの?-
-………いないよ-
-なんで?みんなお母様がいるのに、クリフトにはいないの?-
-知らないよ!!僕だって……好きで捨てられたわけじゃない!!-
「クリフトが私にあんなに怒って取り乱したの、あのときだけよね…」
微かに聞こえる声に青色もクリフトも唇を噛んだ。
「ずっと、謝らなきゃって思ってた。…本当にごめんなさい」
「いまさら…」
今になって許せだなんて。
好きでいてくれるのも、ただ寂しさを紛らわすための道具に過ぎないと思っていた。
アリーナの体から力が抜けて、背中から地面にゆっくりと倒れこんでいく。抜けた剣にべったりと着くアリーナの血を呆然と見やった。
全ての死体の動きが緩慢になった。術者の集中力が乱れている。
ブライとマーニャ、ミネアがクリスを羽交い絞めにする死体を引き剥がした。
ブライに合図されて、クリスは遠くに落ちている天空の剣を拾うために走り出した。
それでも阻止せんと立ちはばかる死体をトルネコとライアンが引き離す。
「とれた!」
クリスは天空の剣を掲げた。
周囲が白い光に包まれ、その光の中でもがいて縋るように呻いていた死体達が再び動かない“物”に戻って倒れていった。
「……」
青色は消滅した結界と再び動かなくなっていく死体を無表情に見つめた。
「…さて、どうしましょうかね」
まだ魔法封じは解けていない。アリーナにすがり付いてミネアが狼狽した様子で薬草を塗りつけた。
そのミネアの肩をぽんと叩く女性。
「ルーシアさん!」
「お手伝いします」
結界が消滅したことで駆けつけることが出来たルーシアが高等治癒呪文を唱えた。
クリスとライアンが青色に詰め寄った。
「さぁ、貴方の負けです!魔族に光塊-呪い-を渡すわけにはいきません!観念してください!」
青色は鼻で笑った。
「そんな気はもともとありません」
「では何だというんだ?!」
ライアンの剣が青色の喉下すぐに突きつけられた。
「私にとって、この世界は全て不要なのです。神も魔族も人間も」
青色は手の中にある二つの光塊を大切そうに見つめた。
「私はこの呪いと魔力で……王妃様とニックを生き返らせたいのです」
マーニャは信じられない、と彼を見つめた。
「そんなことが出来るわけないじゃない!」
「そうですね。その通りでした。二人を失って、私の心も死んだのです。…そのために禁じられた呪文や蘇生呪文、
願いを叶えてくれそうな可能性なら何でもあたりました」
書庫管理を任されていた彼。熱心に調べ物をしていることはブライもアリーナも知っていた。
「あの頃は不可能でした。でも今ならできます。この光塊-力-があれば」
「しかし、王妃様はともかく。サランの信仰では自ら命を捨てた者は灰にして海に流されるはず。生き返らせるなど土台無理な話じゃ」
「燃やされてなんていませんよ。…私が彼を連れ出して、サランの風抜ける丘に埋めたのですから」
王妃の急病の知らせで慌しかった混乱の中で、彼が友のために犯した神への反抗という大罪。
「お前は…まさか…!」
ブライの戦慄くような叫びを遮って、青色はクリスを見た。
「私の願いは貴女方の邪魔にはならないでしょう?彼らの元へ向かわせていただけませんか?」
懇願するように言うと、小首をかしげる。
クリスは首を振った。例え、蘇生が成功したとして。生き返った二人は黄金の腕輪の呪いの産物。魔物に他ならない。
「いいえ。行かせません」
青色がそれならば、と呪文を唱えた。
「それは…!」
即死呪文。ザラキ。
今、仲間達は全ての呪文を封じられている。このままでは。
「させるものか!」
ライアンが突きつけていた剣で首をはねた。
しかし、呪文は止まらない。
蓄積された魔力はまだ残っている。動じない様子で首を拾い上げ、再生させる間も青色の口は呪文を紡いだ。
(いけない。このままではいけない)
させてはならない。クリフトは眉間に力をこめた。
「!」
ばしり、と耳鳴りがはじけたような感覚があった。そして、叫んだ。
「マホトーン!」
クリフトは大地を蹴って駆け出すと、首を再生させながら立ち上がる青色に肩から体当たりした。
「くっ!」
青色の剣が飛ばされて、血の水溜りの中に沈んだ。
「クリフトさん!正気に…!」
クリスは安堵に目に涙を浮かべた。
青色は喉を鳴らすように自嘲の声を上げた。
「どうして貴方が邪魔をするのですか?…願いは同じはずでしょう?」
クリフトは確かに光の戻った瞳で対峙した。クリフトの氷色の瞳と、青色の鮮やかなブルーの瞳が宙で交わる。
「いいえ。ようやく気が付きました。何と愚かだったのか」
そして、顔を歪めて懺悔の言葉を述べよう。
「私は何でも人のせいにして生きてきました。…自分に親がいないのは神のせい。
自分を救ってくれなかった大司教のせい。そして、ニックを失ったのはレジル子爵のせい。
人間は卑怯で汚い。人間は罪すらも償えない傲慢な病だ、と」
青色は忌々しげに睨みつけた。
「そして、姫様の命令に従うそぶりで全ての責任や重荷を姫様に押し付けてきました。罪を償うべきは…最初から私だったんです」
青色が血溜まりの中から剣を見つけて拾い上げ、剣を振りかぶった。
「クリフト!」
彼は武器を取り上げられている。ライアンは咄嗟に慌てて叫ぶしかできなかった。
クリフトはいつでもベルトに隠し持っていた投擲ナイフを右手に握った。
「私は自分が許せなかった。全てを嫌悪した。だから、自分の罪もエゴも全て受け入れられなかった」
だから-
-今こそ。
「貴方-私-を…認めます」
クリフトは青色の左目にナイフを突き立てた。
青色は剣を上段に振りかぶったままに硬直した。
びしびしと音を立てて、顔にヒビが広がっていく。
ナイフが抜け落ちた。
そこに見えたのは“青色”の光塊。嘆きと暴力に彩られる鮮やかなブルー。ふわりと眼窩から抜け落ちた。
青色が剣を落としてふらつく。
「…あ…」
青色は震える手で左目を押さえた。
びしりと破片が落ちて、地面に到達するまでに黒い幻影となって消えた。
「…体が維持できない…」
ヒビはすぐに全身に広がった。
青色は顔を上げた。
「呪われてしまえ…!」
クリフトは目を伏せて、もはや戦う力を失った青色に背を向けてアリーナの元へと向かう。
ミネアとルーシアは無言で彼に場所を譲った。
ルーシアの術で傷は完全に癒えている。しかし、決して開かれない目。
確かな手つきで脈を調べる。…今にも止まってしまいそうだが、微かに生命を感じる。
「姫様…!」
クリフトは呪文を唱えた。
サントハイムの宝物庫から借りたもう一つの呪文書。
「ザオリク」
アリーナの瞳が開かれた。
その手を優しく握る。
「姫様…私こそ、貴女様を追い詰めてばかりで…ごめんなさい」
ああ。出会った頃から間違えていた。すれ違ったままに、間違えてしまった関係。
あの頃に戻れるならば、こうはなっていなかっただろうか。
青色は完全に崩れ去った。残されたのは死体と廃墟と三つの光塊。
そして、朝の白い光が差し込み始めた。
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ドラクエの雰囲気皆無!