『栄光』



 そこは夢か幻の中のようだった。
 そして、何よりも幻想的であるのは雲の上に城が建っていることだ。 天空へと上る塔と同じように朽ちることなく永いときを佇む白亜の王宮。地上の全てを統べる神の居城。
 柔らかい雲の上に足をつけることができるなんて、と最初こそ腰が引けたものだが慣れてしまえばそこは地上の大地と同じようにしっかりと体を支えた。
「本当にありがとうございました」
 見上げているクリスに無事に故郷に戻れたルーシアは礼を言うと手を差し伸べた。 最後の握手を交わす。
「いいえ、遠回りさせちゃってごめんなさい」
 クリスは申し訳なさそうに付け加えると、彼女の手にそっと鈍く輝く光を手渡した。
 ルーシアは三つの光塊をその手の内に納めると、固い決意をその表情に表して頷いた。
「確かに預かりました。必ず、魔族の手の届かない場所に封印します」
「よろしくお願いします」
 クリスは城を再び見上げた。
「……」
 ここに真実と現実がある。
 クリスは大きくかぶりを振って深呼吸すると、仲間達に告げた。
「…皆、行きましょう。最後の決着のために」
 クリスの言葉を聴いて、ルーシアが顔を曇らせた。
「本当にマスタードラゴンにお会いにならないのですか?それに、クリスに会いたがっている人も…」
「……うん」
 クリスが微かに微笑んで頷いた。
「分かってはいるの。……こうしていても仕方ないって。それでも、まだ、心の準備がね」
 ルーシアは心底残念そうに、そうですか、と頷く。そんな彼女を城内に戻るように背を押して促す。
「…ルーシアさん!“あたしに会いたがっている人”に伝えて欲しいの」
 城内へと戻っていく彼女に手を振りながら、声を張り上げた。ルーシアが驚いたように振り向くのを見て、 してやったりと笑うと、
「“さようなら。また、いつか会いましょう!”」

 天空の青い済んだ空と空気を震わせるように伝わる高い声。
 ルーシアの姿が見えなくなった後に、元気の無いその肩をマーニャとトルネコが打ち合わせたかのように叩いた。
「さぁ、次で最後ですからね!気合を入れていきましょう!」
「そうよ!デスピサロをやっつけたら。今度こそ終わりなんだから」
 ミネアとライアンも微笑みあって頷いた。
「うん。全部を終わりにしましょう」
 クリスは歯を見せて笑うとトルネコとマーニャの背を逆に叩いてみせた。



 少し離れた場所で城内の庭園に座り込んでアリーナとクリフト、ブライはいた。
 アリーナはふわふわとしたその雲を指で押して弄びながら、クリフトに尋ねた。
「だいじょうぶ?」
「顔色も随分良くなってきたようじゃな」
「…まぁ、だんだんと慣れてきましたね」
 クリフトは困ったように顔を引きつらせて笑うと、アリーナに倣って雲を指で弄んでみる。 ここまで現実離れしてしまえば、それは夢と同じである。

 アリーナは空を見上げた。
「サントハイムから見た空もキレイだったけど、やっぱりここから見る空は雲一つないのね」
「そうですね」
 頷きながらもクリフトはずっと足元ばかりを見ていた。…広すぎる空など見上げる勇気もなかった。
 アリーナは困ったように微かに首を傾げて微笑むと、優しく語りかけた。
「これで旅も終わりね。クリフトは旅の間、少しでも楽しいって思ってくれてた?」
「…正直、何も楽しいことはありませんでした」
 クリフトは膝を抱いた。
「でも、よく思い返してみれば、いろいろなことがありました。…しばらくしたら、あの頃は楽しかったと思えるのかも知れません」
「そっか」
 旅に出たときのこと。それは自分の居場所を失う恐怖だった。
 そして、旅を続けた理由。それは単純に自分を必要としてくれるアリーナに認められたかったから。
 責任も罪の意識も、全てに背を向けて、アリーナに押し付けて。
「私は卑怯な人間です」
 ブライも青い空を見上げた。
「そうじゃな」
「自分勝手な願いを抱いて、姫様もブライ様にもずっと…ご迷惑を」
 クリフトは額を押さえた。
「…ニックにも。私は神をも裏切って、彼を盗み出して生命を取り返すなど愚かなことを考えて。 それが無理だと気付いたときには次は姫様に縋って…」
 そんな背徳の思いが、多くの人間を死に追いやった。
「“あれ”も間違いなく私だったんです」
 もう一人の自分の姿。それは悲しみという名の惨劇。
 ブライは小さく首を横に振ると、クリフトの肩にそっと手を乗せた。
「本当にお前さんは馬鹿じゃ。大馬鹿者じゃ。………どうして、ワシも姫様もずっと味方だと思わなんだ」
「…私は…ずっと…誰かに認められたかったんです」
 そうしてくれる人間はもういないのだ、と頑なに信じていた。

 ブライは立ち上がった。
「もちろん、罪はつぐなってもらうぞ」
「…はい」
「……デスピサロとの決戦。しっかりと働いてもらうからな」
 クリフトは膝に顔を埋めた。
「…………必ず…」

 ブライが立ち去って。アリーナはクリフトの背を撫でた。
「姫様…」
「ん?」
「ごめんなさい」
「どうして?」
「私はずっと…姫様を裏切り続けて…」
「そうね」
「姫様が想ってくださっているのも、私は利用して」
「そうね」
「こんなに私は罪深いのに」
 アリーナはクリフトの肩に置いた手を頭へと向けて、子供をあやすようにぽんぽん、と撫でた。
「姫様は昔からずっと強い心をお持ちなのですね」
 二人が死んだとき、号泣するクリフトにアリーナは気丈に同じように慰めてくれた。 思い出すだけで自分がいかに弱いままなのかを再認識させる。
「…あのときと一緒。私はクリフトのことが大好きだから、全てを受け入れられるの」
「私には姫様の気持ちが受け入れられませんでした」
「知ってた」
「自分が生きるための理由でした」
「うん。私も正直、だめだった。…だから、クリフトがどう思っていようとそばにいてくれるだけで良かったわ」
 お互いに依存するだけ。何も生み出さない不毛な想い。
「でも、貴方をずっと縛り付けて苦しめてきたことがわかったから。私。もう我侭は言わない。クリフトの好きに生きて欲しいの」
 その言葉にクリフトは頭を持ち上げた。隣に寄り添うアリーナは変わらない微笑でありながら、中身は違う。
「クリフトのこと、愛してるから」
 クリフトもかつてと違って泣いてなどいなかった。
「こんな私でも変わらずそう言っていただけるのですか?」
「うん」
 膝をずらして、彼女に向き合う。
「…私はこの戦いが終わったら、贖罪の旅に出ます。神官の職もお返しします」
「…うん」
 アリーナは少し躊躇した後にゆっくりと頷いた。
「それでクリフトが救われるのなら」

 クリフトは晴れやかな青空を仰いだ。真直ぐな光が眩しく瞳を刺す。 雲の上から見上げる空は憎らしい程に澄んでいる。
「…サントハイムには戻らないかもしれません」
「……そっか」

「でも、もしまた会える日が来たらそのときには例え報われなくても構いません。
…今度こそ貴女を愛しても良いでしょうか?」

 アリーナは今まで見せたことの無いような落ち着いた微笑みでクリフトの手を取って指を絡ませた。
「私は生涯、クリフトを愛してるわ」
 しっかりとその手を握り返した。
「そのお言葉は…私には勿体ないです」


 次に会えたときには。
 どこかですれ違ったままに交わらない何かを、もう一度、やり直すために。

 

「行きましょう」
「えぇ。今度こそ、決着をつけましょう」



 探していた『栄光』は最初から持っていたと気が付くには遅すぎた。


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