城内は先程まで騒然としていたのが嘘だったかのように静まり返っていた。

 王も、手を尽くした医者や神官も、メイドも兵士も、皆が悲しみに暮れていた。 謁見の間で、王と王妃の肖像を前にブライも王妃の冥福を祈る。
 老人のローブの裾のあたりを城に居ついている白い猫がうろついた。 媚びて餌をねだるでもないその様子に、そっと抱き上げる。
「お前さんも悲しんでおるのか?」
 白猫は小さく、にゃぁと鳴いた。
「お前さんも王妃様に餌をよくねだっておったものなぁ」
 ブライはその猫を床に下ろしてやると、彼には向かわなければならない場所があった。 現実は残酷に非情に迫る。葬儀の手配をしなければならない。
 また、城内は騒然とならざるを得ないだろう。気が重かったがそれだけは避けようのないことだった。


 クリフトは自分で不思議だった。
 実の娘であるアリーナがまったく泣くことも騒ぐこともないのに、どうして自分の涙が止まらないのかと。 膝を抱えて泣くクリフトにアリーナが寄り添った。
「クリフト…泣かないで…」
「姫様、ごめんなさい、姫様だって悲しいのに…」
 アリーナが自分を覗き込んでいる。いつもどおりに。自分がこんなに頼りないからアリーナはきっと泣けないのだろう。そう思うと 本当に自分は何も出来ない惨めな奴だ、と苦しくなる。
「クリフト、血が出てる」
 クリフトは治り切らなかった額の傷のことを思い出す。もう、別にどうでもよかった。
「クリフト、これで拭いて」
 アリーナはそっとハンカチを渡した。クリフトはありがとう、と受け取るだけ受け取ってまた俯いた。
「クリフトもお母様のことを愛してくれたのね、だから泣いてくれるの?」
「…昨日の夜、大切な友達が死んでしまったんだ。私よりもずっと優しくていい奴だったんだ」
「……」
 止まることを知らない涙と言葉。整理がつかない感情と共に溢れ出した全ての感情をアリーナは黙って受け止めていた。
「でも、彼は死んでしまって、私は生きていて。 それで今日、また、私よりもずっと生きる価値のあるお妃様がいなくなってしまった…。 私の大切な人たちが、私を裏切らないで好きでいてくれる人たちが、誰もいなくなってしまった」
 …。
「私は彼らに比べたら生きる意味も何もない。何も考えずにただ、用意された道を進むだけで、 少し勉強ができたからっていい気になって。 ニックやお妃様の方がよっぽど輝いていたのに。 彼らの命が戻ってくるというのなら、すぐに自分の命を差し出したっていいんです。 もう一度、話ができたなら。まだまだ、聞きたいことも教えてもらいたいこともたくさんあるんです。 ずっと、二人だけが支えだったのに」
 神様、どうして貴方はこんなにも残酷なのですか。


「違うよ」
 アリーナはクリフトの顔を両手で持って持ち上げた。
「違う」
アリーナはもう一度繰り返した。
「え?」
「私はクリフトのこと好き。だから、平気」
 彼女は微笑んでいた。
「クリフトが来てくれたから、私は今平気なの」
「姫様は…」
 唇を噛んだ。
 最愛のお母様をなくしたこのときでも、姫様は私のことも愛してくださるのですね。
 今となっては世界でただ一人、貴女だけは私を求めてくださるのですね。


 だから、今、情けない私のために微笑んでくださるのですね。


「姫様、どうか、悲しいときには泣いてください」
 両頬のアリーナの手に自分の手を重ねる。
「今度は私が姫様の涙を受け止める番です」
(貴女は強い方だから)
 アリーナの顔を見ないようにそっと胸に抱き寄せる。
「クリフトは、クリフトだけはどこにも行かないで」
「姫様が望むなら私はいつでも側にいます」
 二人が使れて眠ってしまうまで、その晩はずっとそうしていた。









 次の日、埋葬へと向かわれる姫はやはり微笑んでいた。
 涙を必死でこらえる彼女の姿はさぞかし、民衆の同情を得たことだろう。 クリフトは埋葬に参加することを許されず、城門で彼らを見送った。
 埋葬へ同行することを許されたのは親戚以外では側近の大臣やブライのような長年仕えた魔術師、 そして、城の祭事もひとつの仕事として任された神官達のみであった。
 クリフトは神官長の言葉を思い出す。
(神官になれば…姫様に仕えることができるのか)
 ニックを絶望的な理由で失ったクリフトは騎士団を目指す理由はなくなってしまっていた。
(こんなつまらない人間にはつまらない神官の職が相応しい。 それで姫様のお役に立てるならそれだけでいい)
 最早、クリフトのアリーナへの思いは狂気といってもよいのかもしれない。なにしろ、 彼の中での存在を後押しする存在はアリーナただ一人だと確信したのだから。
 
 この3年後。神学校を首席で卒業したクリフトは何の障害もなく 神学校側からも神官長からも絶大な支持を得て神官の採用の狭い門を通ることとなった。 クリフトは最年少での神官となったのである。




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