『戸惑』



 この村にはもう鶏もいないのかもしれない。早朝だというのに何の声もない。
 あるのはこの村全体を包み込む悲哀の念と邪悪な匂いだけだ。
「テンペという地方とは相性がよくないのかもしれない」
 クリフトは誰に言うでもなく愚痴った。
 クリフトが佇む場所。そこは墓場だった。 まだ新しい3つの墓。その墓標にクリフトは祈りを捧げた。



**********
 アリーナ一行がテンペの村についたのは昨日の夜のことだ。 彼女にとって、サラン以外の町に来るのは初めてのこと。どんな出会いや冒険があるのかと楽しみにしていたに違いない。
 新しい村への到着を喜ぶアリーナを迎えたのは、彼女の持つ旅の理想とは程遠い陰鬱な空気だった。
 昨日の晩は訳がわからないまま宿に泊まった。 彼らの泊まる部屋に突然現れたは村長から驚くべき事件を聞かされることとなったのである。
「この村は魔物に憑りつかれておるのです」
 訳のわからない三人の様子に、城から助けが来たとすっかり思い込んでいた村長は肩を落として語りだした。
 突然やってきた魔物。彼らは生贄を差し出さないようならば、村を全滅させると宣告した。その場で抵抗した男を 惨殺すると、村の娘を最初の生贄として示して連れ去ったのだ。
 村人は戦慄した。城に助けを求めたいが、彼らがみすみす使いを見逃してくれるとは到底思えなかった。
 だから、二人目の生贄を差し出した。
 その次の日、生贄を差し出した村の裏の祭壇の様子を見に行った若者が見たもの。それは一面の血の海に転がる 千切れた手首と破れた服の布地だった。

「神官は見逃して帰ったのですか?」
 恐怖に打ちひしがれる村長にクリフトは尋ねた。定期的に教会との連絡、様子の確認に神官ティゲルトが確認しに来ているはずだ。
「いいえ。魔物がやってきたのはつい10日前のこと。丁度、神官様が定期訪問で訪れた次の日のことでした」
「では、後3日待てば城から神官がやってきます」
 クリフトは正確にティゲルトの日程を計算した。ティゲルトなら城に報告し、討伐隊をすぐに組ませることができるだろう。 ブライもそう判断したのか頷いた。
「いいえ、待てないのです」
「どうして?」
 じっと聴いていたアリーナが心配そうに話に加わる。
「それは…」
 村長が答えようとしたときに、ドアが開かれた。そこには青年と若い娘、その母親らしき女性が立っていた。
「明日、私達の娘を生贄に差し出さなければならないのです」
 村長は頭を抱えた。青年も土下座して助けを請う。
「俺達は…来月、結婚する予定なんです!」
 なんという悲劇か。
 クリフトとブライは顔を見合わせた。
(一旦、城に戻って応援を呼んだほうがいいかもしれんな)
(そうですね)
 ブライの考えを察したクリフトも頷く。キメラの翼は確か持ってきていたはずだ。
「それでは、城に戻って応援を…」
「私達でやっつけましょう!!」
「おお!そうしてくださるのですか!!」
 二人の考えをよそにアリーナは強い口調で村長らに提案している。 ブライとクリフトは出鼻をくじかれた形で立ち尽くし、一転したこの事態を憂いていた。
 その青年とアリーナが手を取り合って跳ねて喜んでいる。 村長も母親もだ。生贄になる娘も両手で顔を覆って嬉しそうに泣き出す。
「私がそんな魔物なんてやっつけてやるんだから!」
「どうぞ、よろしくお願いします!」
 今すぐに戻って応援を呼ぶか。クリフトはそう考えもしたが、離反同然で飛び出てきていることを思い出して横目にブライの様子を確認した。
 ブライも、アリーナがここまで言い出してしまったら、少しは痛い目を見なければ学ぶことはないかと諦めているようだ。
 ブライは仕方ないかとため息をついて、クリフトの肩を叩いて耳打ちした。
「……今晩は良く寝て、明日の戦いに備えるように。武器の手入れと各種薬草の準備も怠るな」
「……承知いたしました」

 その夜、村長達は何日ぶりかにゆっくり眠ることができるのだろう。 そう思うと、アリーナの気持ちは昂ぶる一方だった。
 目が冴えてしまっているアリーナはサランの武器屋で見立ててもらった茨の鞭を手に取る。
「あんなにみんなを悲しませる悪い魔物なんかに負けないんだから」




「姫様の様子はどうじゃった?」
「随分と興奮されているようです」
 そんな姫の気配をドアの外から伺って神官はブライの元に戻ってきた。
 そうじゃろうな、とブライはため息をついた。
 クリフトは荷物の中から薬草を一通り並べると、止血、鎮痛、解毒、解麻痺、使うことを想定される 種類のものを選びすぐに使えるように分けていく。
「クリフトよ、ワシは現役を離れて久しい」
 ブライは悔しそうにそう言った。
「昔は高位の呪文も何の苦もなく使えたが、今ではヒャドやらルカニのような簡単な呪文を扱うのが精一杯じゃ」
「この旅の間に少しずつカンが戻ってきたと仰っていたではありませんか。大丈夫です」
 気休めになれば、とクリフトのかけた言葉を受けて、ブライは話を続けた。
「確かにな。だが、こんなにも早く強力な魔物に会うとは思わなんだ」
「……そんなことは…」
 村を襲い生贄を要求するような魔物は実はそんなに恐ろしい相手ではないことが多い。
 食料として求めるという理由もあるが、実際の理由は人の魂や恐怖、畏怖を集めるためである。それら負の力は 魔物の糧となり魔力を増す。
 しかし、それは今回のように人間により討伐隊が組まれる危険が付きまとう。また、本当に強い魔族はその程度の 生贄から得られる力では満足しない。
 よって、知能があり強大な魔物はこのようなリスクばかりで見返りの少ないことはしたがらないのだ。
 それでも、町の周りに出没するようなスライムやいたずらもぐらなどよりは余程強敵であることには間違いない。
「今回はそんなに手の打ちようのないような気配は感じん。だが、これから先はわからん。いざとなったら、このワシが盾になってでも姫様を守るつもりでおる」
 クリフトは作業の手を止め、ブライの足元に膝をついた。
「姫様とブライ様、お二人との命を守るのが私の役目です」
 フレイに念押しされた自分の役目。もちろん、二人のことは全力で守るつもりだ。
 そして、自分だってそう簡単に死んでやるつもりなどない。
 決意のこもったその瞳を見て、ブライは小さい頃のクリフトを思い返す。 よく泣いていた子供が随分と成長したものだ。
「…無茶だけはするんじゃないぞ」
 クリフトは優しく微笑むと、立ち上がって薬草袋の紐を結んだ。
「さぁ、もうお休みください」
「そうじゃな」
 ブライは蝋燭の火を消した。  村を包み込む負の感情の霧が今晩で終わりになることを確信して。




 それが、昨日の晩のこと。
 クリフトはブライもアリーナも目が醒めないうちに起き出した。
ブライを起こさないように手早く準備を済ませると彼は村の外れの墓地へとやってきたのだ。
 祈りをすませたクリフトが見た人物。それは昨晩の母親だった。
「おはようございます。神官様も娘や勇敢な若者のために祈ってくださるのですか」
「えぇ。無念の魂に救いがあるように。そして、今日の戦いに御加護があるようにと」
 母親はありがとうございます、と彼を拝むかのように両膝を落とした。
 クリフトも膝をついて、彼女に向き合い優しい声で祈りの言葉を再び唱えた。
「貴女の心にも安息が訪れますように」
 彼は目の前の女性に頼みたいことがあった。祈りを続ける彼女に真剣な顔で頭を下げる。
「お願いがあるのです」
「何でしょうか。私に出来ることなら何でも致します」
 魔物を倒す手助けならばなんでもする。娘を想う母親は強い口調で彼に迫った。 そんな様子にクリフトは安心する。

「私に化粧を施してください」

「……え、それは一体……?」
 女性は請け負ったものの、不思議な申し出に首をかしげた。
「そして、あとのお二人に気付かれないうちに私だけで魔物と対峙できるように手筈を」
 女性の顔色が変わった。神官が何を考えているのか悟ったからだ。
 目の前の青年は長剣を背負っているが、村を恐怖に陥れている魔物を一人で打ち倒せるようには到底見えない。
「しかし、神官様それは危険では……」
 クリフトは女性を促した。
「今すぐにお願いします」
「はっ、はい!」
 女性はすぐに生贄を差し出す手筈を整えるよう村長に伝えるべく走り出した。
 クリフトはその様子を見て、満足そうに微笑む。

(そう。お二人を危険にさらしたりはいたしません)


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『まぢ 濃ゆい。』