クリフトは鏡の前で自分を見る。顔の造りがもともと整っているため、不自然ではない。むしろ、美人と呼べるレベルである。 男性よりもむしろ、同性の女性に好かれそうな中性的な顔立ちに仕上がっているものの、
(とりあえずはだいじょうか)
クリフトはそう納得した。一見してわからなければそれで十分、目的は果たせる。
神官服の上から着込んだ白く裾の長いローブ。中にはあの長剣も隠せるだろう。
ローブのフードをかぶってみる、これで髪が短いことでバレてしまうことはない。
神官が一人で退治するという段取りに村人達は驚きこそしたが、残りの二人は老人と娘だ。 退治するというからには、この若い男の神官が手練なのだろうと判断したようだ。クリフトにとっては好都合だ。
村人を助けたいというよりも、最初からアリーナとブライを守ることが最優先である。 その方向に持っていくのに、この展開は都合が良かった。
横で生贄候補だった娘の母親が自分の化粧の腕前に誇らしげに自慢しながら髪飾りを探し、あれはこれはと立ち回っている。 この討伐計画が始まってからというもの、村人達は異常に暢気だ。
退治してくれるという者が現れたのだから当然といえば当然だが、それでも、討伐が失敗すれば恐ろしい報復が待っていることは考えないのか。
暢気すぎる村人達に複雑な胸中だが、失敗してはいけないという使命感も逆に募らせられる。
決意を込めて、彼は生贄の乗る籠の用意されている教会に向かった。
神父や籠持ちも暢気なものだった。
「神の御加護があらんことを」
少しも祈りの心を感じない。籠持ちの男達も笑っている。クリフトは彼らを無視して籠に乗り込んだ。
うまく長剣を納める。胸元のクロスを握り唱えた。
「神よ、御加護を。そして、邪悪なる力から光の守護を」
そう。死んでやる気など彼の心には毛頭なかった。
ふと、邪悪な気配が増した。
籠が下ろされる。
(感じる…ここで散った方の無念の心を。そして、魔物の気配も)
クリフトは想定していたよりも早いその気配に剣を抜いて隠し持った。
籠が開かれ、邪悪な霧が一気に彼に迫った。思わず目を瞑ってしまった彼が慌てて目をひらくとそこにいたのは、 人の形に近い魔族と暴れ狛犬が2匹。
(……多いな)
心の中で舌打ちするクリフトの顎を持ち上げ、その魔族カメレオンマンは新たな生贄を物色した。
「前の2匹の贄と違って神秘的な雰囲気が魅力的だの」
長い舌を出し、舌なめずりする。だらしなく唾液が滴り落ちた。
「いい声で絶望の悲鳴を聞かせておくれ」
(……変態め)
暴れ狛犬が近寄りふんふんと匂いをかいでいたが、何か察したのか、ぴくっと匂いを嗅ぐのを止めクリフトを見る。
クリフトは剣を握る手に力をこめた。
隣にいた暴れ狛犬の首がごとりと落ちた。
カメレオンマンは何が起きたかわからなかった。
「……なっ?!」
頭部を失った暴れ狛犬がその四肢を痙攣させながら崩れ落ちるのと同時に、もう一方の暴れ狛犬の顔面に刃がつきたてられる。 貫通した剣を引き抜くと、剣を振りその汚れた血を振り落とした。
「貴様は一体……!?」
長剣を携えた白いローブの生贄はカメレオンマンに切っ先を向けた。
「神官クリフト。貴方を斬罪すべくやってきました」
その声を聴いてカメレオンマンはようやく事態を飲み込む。
「男か、人間共め謀りおったな!」
「……魔族というのは案外、単純思考なようで安心しました」
その言葉に完全に逆上した。全て作戦通りだ。
「おのれ、バカにしおって!」
杖を振り回してクリフトに迫る。その一撃はクリフトの身体を的確に突いた。
「!!」
受けた一撃は重く、クリフトは後方へと弾き飛ばされた。なんとか踏みとどまるも呼吸が詰まり、胸を押さえた。
カメレオンマンは勝ち誇った。恐らく、今の一撃であばらは砕け、内臓は潰れ混ざっただろうと思った。
「命知らずな人間が!……!?」
思いもよらない光景だっただろう。致命傷を与えたはずの人間が倒れずに笑っているのだから。
その打撃は立ち尽くした彼の胸部に直撃したというのに、何の効果もないようだった。
「頭が軽いと攻撃も軽いのですね」
「バカな!」
カメレオンマンは顔を歪ませて怒った。 怒りに任せて何度も繰り返すが、かすり傷程度のダメージしか与えられない。我を忘れて憤慨していた魔族は、うっすらと神官の周りに張られた光の膜に気が付かないようだった。
「ぐぅう!ホイミ!」
カメレオンマンは切り返されたその傷を癒しながら、歯軋りをした。
ハッタリの利く相手でよかったな、クリフトは頭の悪い魔族を嘲笑うように挑発した。
籠の中で唱えた言葉。それは敵の攻撃から身を守る神聖呪文スカラだ。
本当はあの不意打ちでカメレオンマンの首を落とす筈だった。思いもよらず取り巻きに勘付かれたので、そちらを先に倒さなければならなくなったことに彼は焦っていたが、このまま切り伏せることができそうだ。
「神よ、傷つき倒れる者にご加護を…」
蓄積した傷をホイミで癒す。
「光の守護を」
2回目のスカラ。クリフトの身を守る光が一層強くなった。これでもう、カメレオンマンの攻撃は通らない。
(邪悪なる魔族に断罪を!)
口の端を歪めて笑うその様は化粧のためか凶悪かつ妖艶だった。どこか人間離れしたその様子に、カメレオンマンはたじろいだようだ。侮っていた人間はこんなに冷たい眼をしているのか、と。
その恐れを自覚したカメレオンマンはますます逆上した。 この村を踏み台にして、このちっぽけな魔族はもっと上の位へと上り詰めるつもりだった。 魔族が人間ごときに馬鹿にされるわけにはいかない。
一方、クリフトは圧倒しながらも、胸の奥では警鐘が響き続けていた。裏を掻いているとはいえ魔族ともあろうものがこの程度で倒せてしまうものなのか。
(何かあるはず……!)
「おのれぇえ!メラぁ!!」
周囲の火の気配が集結するのをクリフトは感じた。カメレオンマンの杖の先に人の頭よりも大きい炎が巻き起こる。
(これが、炎の攻撃呪文…!)
初めてみるメラにクリフトは戸惑った。その一瞬だった。
カメレオンマンの放ったその火球はクリフトの全身を包む。奥の手と夢中で放った攻撃呪文。 防御呪文スカラは攻撃魔法には効果を発しない。思わぬ絶大な効果にカメレオンマンは勝利を確信した。
「馬鹿な人間め!焼け死ぬがいい!」
炎が崩れる。あの神官も燃え尽きたか、そう思った。
絶叫の叫び声が響く。
カメレオンマンは戦慄し、震えた。気が付けば己の左腕がない。落ちた腕が目に入る。
「はぁっ、はぁっ」
燃えているのはローブだけだった。
「おのれぇえええ!」
もちろん、クリフトだって無事では済まされなかった。火傷が痛む。思わず膝をついた。身動きができない。
「……ホイミ……!!」
なんとか集中して治癒呪文を唱える。傷消え痛みが癒えていく。しかし。
(もう一度、かけないと治りきらない……)
「死ねぇええええ!」
響き渡るカメレオンマンの絶叫にも似た雄叫びの声に振り返る。気が付くのが遅かった。
「あああ!」
血が溢れ出す。カメレオンマンの片手を失った渾身の一撃は、それでもなんとか身をひねったクリフトの左肩を切り裂いていた。
「止めをさしてやる!」
膝をついてうずくまるクリフトの前に立ったカメレオンマンが大きく杖を振りかぶったその一瞬。 クリフトは右手を思いきり突き出し、カメレオンマンの腹部を長剣が貫き通した。力の抜けた重い敵の身体を支えきれず、背中から地面に倒れこむ。
「がはっ」
身体を貫かれたカメレオンマンが吐き出した血がクリフトの頬にぼたぼたと零れ落ちる。剣を伝わって流れ出した血もクリフトの神官服を 赤く染めていく。こんな奴の血も赤いのか。クリフトは冷静にそう思った。
「おのれぇ…人間め…死んでしまええ…」
何か呪いの言葉をつぶやき続けていたが、やがて絶命したのを確認すると剣ごと横に倒し退けた。
力が抜けてしまって身体を起こせない。
「…ホイミ…」
クリフトは呪文の言葉を呟くが効果が現れない。
(魔法力が底をついてしまったか…)
持ってきた止血の薬草を肩の傷口に使う。少し血を失いすぎたのか、意識が朦朧としたクリフトは少し休もうと目を瞑った。
(私一人でよかった)
攻撃呪文ももちろんのことだが、スカラをかけて物理攻撃には万全だったはずだというのにカメレオンマンの攻撃はそれを突き破った。恐ろしい攻撃力だ。 アリーナがあの魔族に引き裂かれてしまう様子を想像して、彼は自分が間違っていなかったことを改めて確信した。
クリフトはこのまま意識を失いそうになるのをなんとか繋ぎ止めて、意を決して身体を起こした。
村人達に魔物を倒したことを伝えなければ。傷の手当もして、この穢れた血で汚れた衣類を着替えなければアリーナとブライに何を言われるかわかったものではない。
魔族の身体から剣を引き抜くと鞘に収め、それを引きずるように持ちながら彼は村へと戻るために歩き出した。
(ああ、思ったよりも遠いな……)
クリフトがそう思ったときだった。
「クリフト!」
焦って後を追っていたアリーナとブライが慌てて走りよった。
「姫様……ブライ様……どうして…?」
村長達にはなんとか誤魔化してくれと伝えたはずだった。
「全部きいたわよ!バカ!こんなにケガして!ホイミは?!」
「魔法力が尽きてしまったみたいで……」
その言葉にブライは激昂した。
「馬鹿者!あれだけ無理はするなと言ったではないか!」
血にまみれた身体を恐れることなく身体の下に入り、アリーナはクリフトを支えた。
「姫様、大丈夫です……。汚れてしまいます…」
アリーナは聞く耳持たずに彼を支えて歩き続ける。クリフトは繰り返した。
「……自分で歩けますから」
「いいから黙ってなさい!」
クリフトは驚いて口を閉ざす。
ブライも手を貸した。
「いいかクリフト、次またこんな真似をしたら今度は城に帰ってもらうかなな!」
二人のためを思ってのことだったし、勝算もあった。なぜ、ここまで二人が怒るのかクリフトには理解できない。
何を考えているのか知りたいが、ブライの表情もアリーナの表情も見えない。
あの城にもう居場所などありはしない。クリフトはブライの言葉に項垂れた。
「……本当に申し訳ございませんでした……」
急に肩が重くなる。不安に駆られたブライは慌てて様子を確認しようと顔を上げた。
気を失っている。
心臓が止まる思いをした老人は深いため息をついた。
(クリフトめ……もっとワシらを信じないか)
アリーナも今回の件にはショックを受けたのか、 ブライもアリーナも喜ぶ村人達を他所に宿に戻るまで一言も口を利くことができなかった。
その夜、宴を開き喜ぶ村人達の中でアリーナとブライの表情は曇ったままだった。
翌日、まだ床についていたクリフトは自らに治癒呪文をかける。
傷が完全に癒えたのを確認すると、誰かが気を失っているうちに巻いてくれた血の滲む包帯を捨て服を着た。 血で汚れた神官服は綺麗に染み抜きされ乾かされていた。それはアリーナと娘の母親が夜の間に骨を折ってくれた結果だと、 彼は知らない。
確認するように肩を回す。いつも通りに動き後遺症はないようだ。あとは魔法力の回復を待つだけだった。
「クリフト、入っていい?」
アリーナの声だ。クリフトは肯定の返事をする。
「具合はだいじょうぶ?」
「はい、傷は完全に治りました」
アリーナの顔は冴えない。
「もうこんなことしないで……驚かせないで」
ああ、そうか。二人がこんなに怒ったのは、自分のような者を心配してくれたからだというのか。
フレイの言葉を思い出す。自分の役目は三人揃って戻ることだと。 それは、二人に心配をかけてはいけない、という意味も含まれていたのか。
今までも彼は自分の命など何時失っても惜しいとは思ってはいない。 自分は二人のためを思ったからこそ、死力を尽くして戦った。苦しい思いをしてなぜこうまで否定されるのか理解に苦しむ。 感謝しろ、とまでは思わないが少しは労われたい。正直、面倒なこの結果には悩んだ。
しかし、不謹慎ながらに少し嬉しく思う彼はアリーナに微笑んだ。
「もう、お二人に心配をおかけするようなことは致しません」
「約束できる?」
この場を上手く納めてアリーナが笑ってくれるのなら。そんな卑怯な考えだったが嬉しそうにアリーナは小指を差し出した。 クリフトもそれに応えて小指をからめた。
指きりげんまん。
「クリフトったら、ちょっとキレイだったから羨ましかったなぁ」
アリーナは冗談めかして笑った。クリフトはそういえば女装したまま二人に助けられたことを思い出して耳まで赤くなる。
「も、もう二度としませんから忘れてください!」
聞こえてくる笑い声にドアの外で様子を伺っていたブライは安心して踵を返した。
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カメレオンマンは攻撃魔法使わないことに、後から気が付きました。