『孤高』



「すごい広い大平原ね!」
 サントハイム国土の北東部に広がるフレノール平原。 その若草色の草花の柔らかい大平原をアリーナ達は歩いていた。
 気候もよく農業、穀物に恵まれた地。
 この地で実った穀物はサントハイム国を育んでいる。
「なんだか、お布団みたい!」
 アリーナは見渡す限りの平原の中、深呼吸をする。優しい草の香りがした。
「お昼寝したり、お弁当食べたりしたら気持ちいいわね、きっと」
「それはよい考えですな。おい、クリフト少し休まんか?」
 テンペの山を下山したブライは流石に足腰に来たらしい。アリーナの言葉にすがるように後方を警戒しながら歩くクリフトに声をかけた。
「わかりました」
 クリフトも聞こえてくる草が風に擦れる優しい音に気が緩んでいたところだ。 周囲の見渡しも良い。魔物が近づいてきたらすぐにわかるだろう。
 安心して重い荷物を下ろした。
 ブライは体力の限界なのか水を飲むと、手ぬぐいをかぶり力なく座り込む。
「ねぇ、クリフト。怪我が治ったばかりなのにそんなに荷物背負ってだいじょうぶなの?」
 アリーナがクリフトの荷物を見て遠慮がちに声をかけた。
 旅に出てからずっと、アリーナやブライの分の旅支度まで彼が運んでくれていたのだ。
 ブライは姫様や年寄りに重いものを持たすなんてあり得ない、とクリフトが荷物を持つのを当然のことと言う。 そして、当人もその通りだから、と頑なにアリーナに荷物を持たせたりはしなかった。
「私だって持てるんだから、少しは……」
 そんなアリーナの申し出をクリフトは微笑みながら拒否する。
「私が一番体力がありますから」
「私だって負けないと思うんだけどなー」
 アリーナは寝転がった。
「私が男だったら、旅にももっと気軽に出られたし、クリフトの荷物持ってあげられたし」
 クリフトは不貞腐れた様子のアリーナを愉快そうに見ている。
「姫様、はしたないですよ」
「はいはい」
 アリーナはしぶしぶ身体を起こす。
「あ、次の町はもう近いの?」
 クリフトは地図と自分達の影を見ながら周囲を見ている。
「えぇ、あの丘を越えたところですね」
 指差した丘まではあと歩いて数時間か。それでも、目標が見えたことでアリーナは俄然やる気があふれ出す。
 立ち上がって出発を促そうとしたアリーナをクリフトが口元に指を当て引き止めた。
「……」
 ブライがタオルをかぶったまま寝てしまっている。二人は声を殺して笑い合った。
「…もう少し休みましょうか。日が落ちるまで時間がありますから」
「そうね」
 アリーナは再び腰を下ろすと荷物の中から薄い毛布を取り出した。
「少しだけ、私もお昼寝してもいいかしら?」
「私が見張りを勤めていますから大丈夫ですよ」
 クリフトは背負っていた剣のベルトを外して横に置いた。
「……その代わり、声をおかけしましたらすぐに起きてくださいね」
 もう返事がない。安らかな寝息が聞こえる。
「相変わらず、寝つきがよろしいですね」
 周囲に警戒の気を張る。
 しかし、あまりに見渡しのいい大平原で魔物の影すらも見えない。すこし拍子抜けしてしまう。 そのゆっくりとした時間に余計な考え事に捉われてしまう。
(この旅が終わってしまったら)
 クリフトは空を仰いだ。

(私は…どうしたらいいんだろう…)

 城から出るように言い渡され、アリーナの願いに沿うような体裁で、離反して飛び出した。
 それがティゲルトの独断であったことも、神官長がクリフトの旅立ちを黙認していることも知らない彼は、この事実だけを何度も何度も繰り返し考えていた。もう神官としての職もないものと思ったほうが良いのかも知れないとも。
(止そう。今は考えるのは)
 クリフトは自嘲気味にこめかみを押さえて視線を落とした。



**********

 危険であるというのに、ゆったりとした時間。
 彼も睡魔に襲われ、つい舟を漕ぎかけて慌てて立ち上がって身体を伸ばした。
「あれは……」
 はるか彼方に牛のような魔物の影を見る。知らない人間が見たらそれは牛だと油断するだろう。
 しかし、彼は以前に同行した上官がその魔物の群れをなぎ倒すのを見ていた。
 そろそろ出発しないと町に着く前に日が落ち始めてしまうだろう。いい機会だ。
「姫様、ブライ様起きてください」
 アリーナのブライの肩をそれぞれ叩いて回る。
「んー……」
「おぉ、寝てしまっていたか」
 二人が目を擦っている横で剣のベルトを締め、出発の準備を整えていく。
「さぁ、フレノールの町へと出発しましょう」





 海をも見渡せる大草原の丘の上の町フレノール。
 非常に長閑で平和な町。少し前にティゲルトに連れられてここに来たときにクリフトが持った感想だ。
 しかし、
「お祭りかしら?」
 あまりの人混みと喧騒にアリーナは目を輝かせた。
「そこの人、今日は何かの行事の日かな?」
 ブライが民家から飛び出してきた女性に尋ねた。
 女性は興奮した様子で言った。
「この町にサントハイムのお姫様がいらっしゃっているんですって!」
「……それはどこから聞いたのですかな?」
 ブライは緊張した様子だ。アリーナは訳がわからずに二人の話を聞く。
「町の人たちみんなで大騒ぎよ!今、宿屋にいらっしゃっているっていうからプレゼントを渡そうって思って」
 三人の驚いた様子を勘違いした女性は、小脇に抱えた立派なタペストリーを見せた。フレノール地方の特産品で世界各地からの評価が高い交易品だ。
「見て、うちで作った品物の中でも一番の自信作なの」
 クリフトが感心して細部まで観察している。
「これは立派なものですね。町の皆さん、こんなに高価なものを贈っているのですか?」
 その言葉にアリーナもようやくわかってきた。
 女性は上機嫌で答えた。
「えぇ!中には家法の宝物や、宝石を献上するって人もいるって聞いたわ」
「そうですか。それでは私達もぜひ“姫様にお会いしたいものですね”」
 聖職者の肩書きに相応しいいつもの笑顔。しかし、目だけは笑っていない彼の言葉にブライも頷いた。
「すまんが、その宿屋はどこにあるのか教えてくださいませんか?」
「町の噴水のある広場よ」
 女性は道を教えると走っていってしまった。

(皆を騙して、大切な品物を受け取っているなんて!)
 アリーナの肩が怒りに震える。
「二人とも行くわよ。ニセモノに“豪勢な贈り物”を届けてやるんだから!」
「あ、姫様!お待ちください!」
「こういうときは冷静にならないと……!」
 突然駆け出したアリーナに二人は仰天した。


 広場に近づけば近づく程、人混みが増える。数センチ先が見えない程だ。それでも強引に割って抜けていく。
 全力で疾走するアリーナは夢中で二人を振り切ってしまったことに気が付いた。
 それでも、怒りに身を任せて走り続ける。人混みの密集する広場。一際大きく立派な建物が目に入る。 それは過去の貴族の邸宅を改修した町で一番、格式の高い宿だ。
 宿屋の看板が目に入ったアリーナは強引に扉を開き、中に飛び込んだ。
 中は思ったよりも静かだった。
「ようこそいらっしゃいました。旅のお嬢様。生憎、本日は宿は貸切でございます」
 やはり上機嫌の宿屋の主人が開けっ放しの扉を閉めた。
「それとも献上品をお渡しになるなら私が預かりますよ」
 この宿屋の主人も騙されているのか。一国の姫君がご宿泊ならば、宿にも箔がつく。 上機嫌になるのも無理もない話だ。
「私はその“お姫様”に会いに来たのよ。どこにいらっしゃるのかしら?」
 宿屋の主人は信じられない、と彼女を見る。
「そんな畏れ多い。姫様は下々の者にはお会いになりませんよ」
 その言葉にアリーナは苛立つ。民衆から見たら姫とはそんなに高慢に見えるのか。
「“アリーナ姫”はそんなこと言わないわよ!」
 アリーナはそう言い放つと恐らく客室へ向かっているのだろう2階へと駆け上った。 主人が慌てて追いかけてくるがアリーナには追いつける筈もない。

 客室階。どの部屋に泊まっているのか、探すこともなかった。
 なぜなら、まさに今、アリーナの目の前で偽者の姫が屈強な盗賊達に抱えられている現場に出くわしたからだ。どうやら気絶しているようだった。
「メイ!」
 その盗賊達に打ちのめされたのだろう、神父の格好をした若い男と老人が倒れこんで偽者の姫を助け出せずにもがいている。
 アリーナは咄嗟に助け出そうと走り出すが、姫を抱えている一際屈強な男の近くに到達する前に、手下に邪魔されたどり着けない。
「ひっ、なんだこれは!」
 追いついてきた宿屋の主人が腰を抜かす。アリーナが主人に気を取られた一瞬のことだった。
「姫を助けたくば、黄金の腕輪を持ってこい!」
 そういい残すと男は裏口から走り去ってしまった。アリーナと格闘していた手下も身を翻した。
「ちょっと待ちなさい!」
 追いかけるアリーナに向かって最後の盗賊がナイフを放った。
「……っ!」
 アリーナはナイフの軌道を見極めると紙一重で避けた。しかし、目標を失ったナイフはそのまま主人へと向かう。
(しまった!)
 ガキン!
 金属音を立ててナイフが床に落ちる。
「クリフト!」
 ナイフを剣で弾いたクリフトが安堵のため息をもらした。
「危なかったですね。大丈夫でしたか?」
 主人に手を貸し立ち上がらせると、次にクリフトはアリーナに怪我がないことを確認して再び安堵のため息をついた。
 主人はまだショックで立ち尽くしたままだったが、彼を見ている時間はない。
「私は外に手がかりが残ってないか見てくるわ。ついでにブライも探してくる!」
「でしたら、私も……!」
「クリフトはそこにいる二人の怪我を見てあげてて。すぐに戻るから」
 アリーナは強気に微笑むとクリフトに手を振って盗賊の後を追った。


 姫を追いかけていたブライはあまりの人混みに道を間違えてしまい、宿屋の裏手に着いていた。
すると、突然騒ぎが起きた。柄の悪い男達が何人も何人も走り去っていく。
 その騒ぎに子供が巻き込まれたようだ。転んで泣いている男の子にブライがあわてて駆け寄った。怪我はないようだ。
 何事かと辺りを見回すと、犬が一匹倒れ込んで鼻を鳴らしている。後ろ足にナイフが突き立っている。先程の男達だろう。
「そうか、お前さんの犬か」
 ブライは子供の頭を撫でてやった。
「ひどいことをするのぉ…」
 ブライは犬の足からナイフを抜いてやろうとして気がついた。 そのナイフに手紙が巻きつけてあることに。
 すぐに全ての事態を悟った。
 目の前の手紙を見る。

“明日の深夜、墓場まで、黄金の腕輪を持ってこい”

「まったく…」
 自分達が正体を隠しながら旅をしてきたのはこういった事件を防ぐためだった。
 偽者の浅はかさには呆れてしまう。
「ブライ!」
 そこへ、後を追って飛び出したアリーナが気がついて声をかけた。
「よかった、すぐに会えて。実は……」
 手を左右に振って言葉を遮る。分かっている、ということだ。アリーナにその手紙を見せる。
「ひどい……!」
 アリーナは哀れな犬と子供を見て涙目で拳を震わせた。






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