置いてけぼりをくったクリフトは、さてどうしたもんかと腕を組んだ。
「あの、あ、ありがとうございました」
 おずおずと宿屋の主人がクリフトに歩み寄って礼を言った。クリフトは胸に手を当てて微笑んだ。
「いえ、怪我がなくて何よりですね」
「しかし、大変なことになってしまいました」
 肩を落とす主人を励ます。
「大丈夫ですよ。城には優秀な兵士達がたくさんいますから。貴方は町の人達が気付いて騒ぎにならないように努めてください」
 カウンターに戻ってください、と意気消沈している主人の背を押した。
「私も処罰をうけるんだろうか……?」
「貴方が貴方のできる事を尽くしたのならば、咎められることはありませんよ」
 そう声をかけ、彼が一階のカウンターへと戻っていくのを見送る。そのクリフトの背後でうめき声がした。
「メイ…メイ…」
 クリフトは重いため息をついて、神父と老人の下へ向かい傷を癒してやる。柔らかい光が彼らを包む。
 すると、はっきりと二人は意識を取り戻したようだ。
「まだ痛みますか?」
 神父の格好をした若い男はクリフトの問いに答えずに彼の肩を強く掴んだ。
「頼む!姫を助け出してくれ!そうしたら褒美は思いのままだ!」
 なんて失礼な男だ。クリフトの顔から微笑みが消え失せる。背後からは先に癒した老人の呆けた声もした。
「メイ……」
 メイというのが偽者の名前か。姫に神父に老人。噂というのは侮れないな、とクリフトは冷静に分析する。
「信じていないのか!私は城に仕える神官であるぞ」
 クリフトは失笑した。肩を掴む腕をひねり上げた。
「……命令だったので傷を癒して差し上げましたが、“城の神官様”がホイミの一つも扱えないなんて」
「なんだって!」
 男はまさか、目の前の男が逆らうとは思っていなかったのだろう。顔を真っ赤にして怒鳴りつける。
「貴様、厳重な処罰が下されるぞ!どこのどいつだ、名前を言え!」
 クリフトは再び笑んだ。
「おや、“城の神官様”なら、ご存知かと思いましたが」
 手を離して自らの制服に手を当てる。
「これは本物のサントハイム王国の神官の制服です」
 目の前の偽者の一行は、本物の登場を直感的に悟った。冷や汗を流しながら青冷めた顔を見合わせる。
「厳重な処罰を受けるのはどちらでしょうね?」
 聖職者らしからぬ威圧感。背筋が一瞬で凍りついてしまったかのように身動きができない。まるでヘビににらまれた蛙のように、だ。
 追い詰められた男はやっとの思いで落ちていたナイフを震える手で拾うと構えた。
「ここでお前を殺しても盗賊の仕業になるよな?」
「やめろ!」
 老人が血迷った仲間を制そうと叫ぶ。クリフトは目を細めた。
「構うことはないさ!聖職者様が人を傷つけるなんてできるわけがない!」
 男はナイフを振りかぶって切りかかった。しかし、その腕はいくら力を込めても動かすことができない。
「え!?」
 男はナイフを持った腕を掴まれ、信じられないと目の前の本物の神官を見つめた。 クリフトは呆然としているニセ神父を軽蔑の眼差しで見下げる。
「貴方は勘違いしています」
「!?」
「確かに私達は“殺すことなかれ”と教えられています」
 残った右手を剣の柄へと伸ばす。
「しかし、魔物や魔族、異教徒となれば話は別です」
 男は目を見開いた。

「神官(わたくし)に切りかかるなんて、あなた方はきっと“魔物か異教徒”に違いありませんね」

 二人の目に少しだけ抜かれた神官の剣の刃が目に入る。透き通るような刀身。
 そして、何かに絶望しているような、人間味の欠片もない蒼い氷色の瞳。
 殺される、そう感じた。
「すみませんでした!」
 畏怖する男の背後で老人が床に手を着いて涙して許しを請うた。
 クリフトがその老人の行動に剣から手を離すと、男も慌てて倣う。
(少し、脅しすぎたかな)
 疲れたように嘆息した。
「クリフト!」
 アリーナがブライを連れて戻ってきたようだ。
 神官、老人、娘。その三人組。男と老人はまさか、と顔を青くする。
「ほんものの…お姫様…?」
「申し訳ございません!つい、つい出来心で!我々はただの旅芸人なんです!どうか、どうかお慈悲を!」
 ブライがそんな男達の様子を見てあきれ果てた。
「……クリフト」
「私は神の教えを説いていただけですが……、わかっていただけたようで嬉しいです」
「まぁ、いいわい」
 ブライはクリフトに手紙を見せる。
「お願いします!メイは大切な仲間なんです」
 偽者の請願を尻目に無言で目を通すとアリーナを見た。
 アリーナとブライは黄金の腕輪というものについて聞いてきたようだ。
「その黄金の腕輪というのはどうやらこの町の南の洞窟に封印されたものらしい」
「……どうなさるおつもりですか?」
 クリフトの問いにアリーナは答えた。
「助けてあげたいの」
 その言葉に男と老人は嬉しそうに顔を上げた。

「なぜですか?」

 偽者達もアリーナも一瞬時間が止まったかのように感じた。
 クリフトは理解に苦しむ、と偽者達を指差した。
「この者たちは罪人です。法によって裁かれる者。彼らの行いによって招かれた事態。
いわゆる、自業自得。私達が骨を折る必要はないと思いますが?」
 アリーナは当然、助けてくれると思っていたクリフトからの拒否に言葉を失った。
「だって、明日の深夜までに持っていかなきゃ多分あの子は…」
「……偽者のために貴女様が危険な目に遭うなどあってはならないことです」
 クリフトの言葉にも一理ある。ブライはじっと二人のやりとりを静観する。それは偽者達も同様だった。
 アリーナはもう一度だけ訊いた。
「……洞窟までクリフトが来てくれなくても、私は行くわよ?」
 クリフトは目を逸らして奥歯をかみ締めた。
「……ご命令とあらば」
「命令です。メイさんを救出します」
「畏まりました」
 クリフトは家臣らしく跪いた。
 ブライが偽者達に向かい合った。偽者達は慌てて畏まる。
「今夜、出発する。娘を救出したら然るべき処罰を受けてもらうぞ」
「もちろんです」
「どうか、我々も連れて行ってください!」
 どうやら、本当に大切な仲間のようだ。
「よい。足手まといじゃ。ここで待っておれ」
「……どうか、よろしくお願いします」
 偽者の返事を聴き頷くとクリフトの肩を叩いた。
「処罰は三人まとめて受けてもらうから安心せい」
「……早急に準備するように致します」
 命令なのだから。クリフトは自分をそう励ました。





**********
 幸運にも迷わずにたどり着くことが出来た洞窟だったが、その物騒な雰囲気だけは幸いとは言い難かった。 たいまつの炎を持っても尚、薄暗い洞窟の中を進んでいく。 明らかに人工物であることを示す直線に切り出された石が浮かび上がる。
 クリフトはずっと、寒気が止まらなかった。ねっとりとした不快感がまとわりつく。
 途中で見えた祭壇は自分達の知っている様式ではない。恐らく、はるか古代のものなのか、過去の異教の儀式に使われていた 地下祭礼場なのだろうか。厳粛な作りであるというのに、漂うのは死の香りばかりだ。
 ブライも嫌な予感がしていた。盗賊が狙うような腕輪。黄金というからには過去の貴族の残した宝か何かと思ったがどうやら様子が違う。全く、厄介事ばかりが舞い込む。
「思ったよりも深い洞窟なのね」
 アリーナの声が響いた。
「魔物も結構強いし、早く見つけて帰りたいわね」
「見つけたら帰りはリレミトで出ることにしますか」
 ブライは同意した。少しでも早く、こんな不気味な場所は出て行きたい。
 アリーナは祭壇の跡の影から見えたラリホービートルを蹴り飛ばした。
 偶然見つけた隠し階段を下りると一際大きな祭壇が見えてきた。
「……っ」
 クリフトは一層強くなる不快感に頭を抑えた。
 そこに広がっていたもの。それは祭壇上どころか足元を埋め尽くすほどの骨だ。
 人に近いものもあるが、明らかに人間ではない魔物の遺骨ばかりだ。まだ、新しいものもあり腐肉が異臭を放っている。
「悪趣味な洞窟ね。まさか、この骨の中にあったらどうしよう…」
 流石のアリーナも顔をしかめた。ブライが目の前の祭壇の更に奥に、隠されるように小さな祭壇が見えたのを指差した。
「あそこに見える祭壇が最奥のようですな」
 アリーナは目をこらした。影になっている上に入り口も狭くなっている。よく見つけたものだ。
「そうね、行って見ましょう」
 なるべく避けるようにはしているが、歩くたびに足元の骨が折れ、砕ける。
 足の裏から伝わる感触と生理的な不快感を催すその音をなるべく聴かないように歩みを進めた。
 目の前の大きな祭壇に登ったとき、二人の後を進むクリフトは足元を見つめ立ち止まった。
(古代文字……)
 神学校で習った古代の文字と同じものだ。読めるだろうか。クリフトは埃を手で払い注視する。


 血、……
 命、凍らせるべし
 魂、…べし
 死、招くべし
 …の名を呼び…
 …、の名に於いて……べし


 ところどころが風化し、失われて読めない不吉な文字の羅列。だが、最後は読めた。

-ザキ-

 呪文か。しかし、こんな呪文は覚えがない。クリフトは記憶を辿るが聞いた事もない。
(失われた呪文か)
 クリフトはそう推測した。そして、文脈からどんな恐ろしい呪文かが伝わる。
「……ザキ……」
 その言葉を呟いてみると寒気が酷くなる。
「クリフト!見つけたわよ!」
 先を進んでいたアリーナがその呼び名通りの黄金製の腕輪を持って自分を呼んでいる。
 ブライも厳しい顔で祭壇の上を眺めているようだが、何か感づいているのだろうか。
「……きっと、それは……」
 クリフトは不安だった。恐らく、その腕輪は宝でもな何でもない。
 呪いの産物だ。
「いけない……。持ち出してはいけない……」
 クリフトは激しい頭痛に顔を歪め、呟いた。
「クリフト?どうかしたのか?」
 ブライが心配そうに声をかける。
「気分わるくなっちゃったのかしら?」
「そうじゃのう、早めに出ることにしましょう」
 ブライが迷宮を脱出する呪文を唱えようと意識を集中させるのをクリフトが遮った。
「……だめです」
 アリーナとブライが目を丸くする。
「何をいっとるんじゃ、ここまで来て」
「それはここから出していいものではありません……」
 冷や汗が止まらない。
 どうか、聞き届けてほしい。クリフトはその思いで必死だった。

「……出発する前もそうだったけど、クリフトはそんなに人助けが嫌なの?」

「……え?」
 思いもよらない言葉。今度はクリフトが硬直し、アリーナを見ていることしか出来くなった。
 大体、来ることに反対したのは危険な目に遭う理由がないというだけで、来てしまった以上持ち帰ることを反対する理由とはならない。まったく違う。
「クリフトはもっと優しくて、誰の命でも大切にしていて、皆の気持ちわかってくれてるって思ってたのに」
(-何を仰っているんですか…?
 かすかにそう口が動いたが、声にならない。吐息が漏れるだけだった。
「あの人達は確かに私達の名前を利用して皆を騙した罪人だけど、あの人達が必死で“お願いします”って言ってた顔は見なかったの?大切な人を助けたいっていう思いがクリフトにはわからなかったの?」
 本当にあの偽者達は反省していたのだろうか。
 少なくてもクリフトは、あの詐欺師まがいの罪人が反省しているとは思っていなかった。 それでも、
「………………出過ぎたことを申し上げました。お許しください…」
クリフトは唇を噛んだ。
 よくよく考えてみれば、この腕輪を持ち出して災厄が起こったとしてもそれは自分の責任ではない。 全ては人助け。そして、姫の望みだ。善意で人助けをする主君の望みを叶えるためにここにいるのだ。
 ずっと警鐘を鳴らしていた不快感や頭痛が治まってきたような気がする。
(-これは正解なのか。)
 クリフトはざわついていた心が収まるのを感じてそう思った。 自分でも驚くほどに落ち着きを取り戻しつつある。 周りを取り巻く邪気にも心を乱されないほどに。
 続いていた頭痛は残っていた聖職者としての最後の良心だったのかもしれない。

 アリーナはクリフトの言葉を聴いても機嫌は直らなかった。
 ブライが困ったように再び、呪文を唱える。 アリーナやクリフトの目には空間が歪んだように映った。 重力がなくなったような宙に浮く感覚。
 気が付いて目を開くと、そこは洞窟の中ではなかった。
 洞窟の入り口だ。
 もう少しで朝になるのだろうか。満天の星空が輝き続けている端っこで白く太陽の光が見え始めている。 恐らく今から戻れば指定された時間には間に合うだろう。
「さっさと戻るわよ」
 アリーナが怒りを隠しきれない形相でぶっきらぼうに言った。 ブライは閉口したまま、後についていく。
 クリフトはいつものように落ち着きを取り戻し、微笑をたたえた。
(もうこの洞窟に用はないんだ)
 その事実が彼を安心させた。





**********
 殊勝なことに偽者達は逃げてなどいなかった。
 アリーナが腕輪を持って返ってくるのを見ると、涙を浮かべて感謝の言葉を並べた。 クリフトは姫が喜んでいる顔を見て微笑みを浮かべる。 姫の命令が全てだ。

 ブライはそんなクリフトの様子を見てため息をつく。
(まったく不憫な子だ)
 少なくともアリーナはそんな二人の様子には気が付かなかった。





 そして、夜。
 指定された墓場の奥。盗賊達は待っていた。
 そこで猿轡をかまされたドレスの少女。 遠目に見ればアリーナに少しは似ている。
「約束どおり来たわよ。彼女を放しなさい」
 一際、体の大きい首領と思しき男が汚く野卑た笑い声を上げた。
「さぁ、約束の腕輪を」
 アリーナはその腕輪を投げた。
 空を切る音すら美しく不吉だ。
 その腕輪を受け取ると男は乱暴にメイを突き放して嗤った。
「偽者の姫のためにご苦労なことだ」
 そういい残すと慌しく走り去る。
「追いますか?」
 クリフトは返答がわかっていながらもブライに尋ねた。
「よい。放っておけ」
「承知いたしました」
 アリーナとブライは感じていないかも知れないが、クリフトは放っておいても彼らは恐らく身の毛もよだつ恐怖を味わうことになるだろうと確信していた。
(……追え、とは言われませんでしたから)
 それが、自分で納得しているのか。それとも、言い聞かせているのか。彼は何も考えないようにした。

「メイ、大丈夫か?」
 偽者の男と老人が急いでメイの猿轡を外している。 ショックに震えるその少女にアリーナは笑いかけて手を貸してやる。
「だいじょうぶ?」
「ありがとうございます」
 かわいらしい笑顔。もしかしたら、本物よりも余程お姫様らしいかもしれない。
 ブライは彼らの様子を緊張して見守る。クリフトも同様だ。
「本当にご迷惑をおかけしました」
 老人が丸まった背を更に小さくして頭を下げ続ける。 杖を突かねば歩くのも困難だった老人がこんなに頭を下げるのは大変なことだろう。
「我々は旅芸人なのですが、あまりにも売れずに食べるのもままならず、 姫様のマネをしたら予想以上に評判が良く、つい……」
「そう……」
 アリーナはそっと踵を返した。
「今回は見逃してあげる。もうこんなことしちゃダメよ」
「姫様!」
 ブライは驚いて叫んだ。
「だって、辛かったから、やってしまったんでしょう?かわいそうじゃない」
 その言葉にブライはやれやれ、と頭を抱えた。
 偽者達は何度も何度も振り返っては頭を下げて夜の平原へと消えていった。
「……。」
 クリフトは丸まっていた老人の背がまっすぐに伸び、杖を持っていないことに気が付いた。
(これも姫様が望んだことなのだから)
 クリフトは自嘲気味に笑い視線を落とした。
(……ダメな家臣だ…)





 それから彼らは次に砂漠へと向かったがその間、クリフトはアリーナが明らかに自分に対して口数の減っているのを自覚した。



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