『消失』



「これが神官長が言ってた“砂漠”なのね」
 アリーナ達はサントハイムの南部に広がる砂漠を横断していた。
 日よけのフードをしっかりとかぶったまま黙々と歩き続けるブライ。 太陽の傾きと地図を真剣に確認しながら無言で付き添うクリフト。 対照的に元気に砂を観察して喜ぶアリーナ。
「本当に砂と石ばっかり」
 アリーナは無邪気に石を持ち上げようとするのをクリフトが静かに制する。
「姫様、さそりが出ますよ」
 夜行性のさそりは昼の間は石の下や土の中に潜んでいることが多い。アリーナはびっくりして手をひっこめた。
「……毒でしたら、解毒呪文で中和できますが、痛い思いはしたくないでしょう?」
 クリフトは目を傷めないように茶色に焼かれたガラス越しに太陽の位置を確認しながら事務的に話し続ける。
「………ご忠告ありがとう」
 アリーナは低く呟くように答えるとクリフトに背を向けた。合わせない視線。
 ブライはため息をついた。
 アリーナは旅に出て四六時中一緒にいることでクリフトの思いもよらない一面を知ったこと。
 クリフトは善意での思いを一括されたこと。
(……いい大人がいつまで意地を張っておるんじゃ)
 一方、当のクリフトだってそんなことは分かっていた。
 つまらない意地を張る自分がどんなに愚かか心の中では嘆きに嘆いている。 先程から謝ろうと思っているのだが、アリーナが口を聞いてくれないどころか目も見てくれない。 意地も張ってしまうというものだ。
(ブライ様に申し訳ないことをしているな…)
 日よけのフードを被り直しながら、無意識のうちにガラスを強く握ってしまい掌に鋭い痛みが走る。
 そんな自分に尚も笑えてくるが、ここは砂漠という危険地帯である故になるべく魔法力は温存したい。 もし、ここで道に迷ってしまったり夜になってしまえば状況は更に過酷になる。
 クリフトは持っていた手ぬぐいで血を拭った。
(砂漠のバザーに着いて姫様のご機嫌が少しでも良くなったら謝ろう…)
 クリフトは目の前を歩くアリーナの背を見ながらそう思った。

「やっと見えてきたのう」
 ブライの言葉にアリーナは喜んでブライの手を取って駆け出した。
「暑かったわね!バザーに着いたらまず、冷たい飲み物を飲みましょ!」
 クリフトも自分の案内が間違っていなかったことに心底ほっとした。
 先程から汗ばんだ掌の傷がじりじりと痛みを持っている。 見れば、傷は洗う水も惜しみ、消毒もせずに魔物との戦いなどを重ね不衛生にしていた為か、赤く化膿し始めていた。 すぐに癒そうかと思ったがブライを引っ張ってアリーナは随分先まで駆けていってしまっている。
(着いてからでもいいか)
 クリフトはそれを後回しにして追いかけた。



 砂漠のバザー。その噂をフレノールで聞いてからアリーナはずっとそれだけを楽しみにしていた。
 世界各地から砂漠のオアシスに商人が集まり、バザーを開催しているという。 中には滅多に見られないような貴重な品や珍しい効果を持つ魔法の品、加えて世界各地の料理の屋台まで出ているという。
 アリーナが楽しみにしていない筈がなかった。
 100を優に越える出店数。肩がぶつかり合うほどにひしめく人の数。 始めて見るクリフトも想像以上の規模に驚く。
「サントハイムでこんな催しがあったなんて」
「定期的に開催されておるからな。祭りのようなもんじゃなぁ。スリに気をつけるんじゃぞ」
 わかりました、と答えるものの、アリーナとブライの後を歩くクリフトは彼女の様子が気になって仕方ない。
「あ、ココナッツジュースですって!」
 親しそうにブライの腕をとって歩くアリーナは上機嫌に小さな屋台を指差した。
 ブライもかわいい孫のように思っているアリーナの嬉しそうな顔にまんざらでもないのか、主人からジュースを受け取り、 代金を渡した。

 クリフトが屋台の間から覗くヤシの木の日陰を見つけ、三人は腰を下ろす。
 にぎやかな喧騒から少し離れて、通り行く人々の数に改めてこのバザーの規模と絶大な人気を見た気がした。
「んー!甘くて冷たくて美味しい!」
「それはよかったですな」
 クリフトはそんな楽しそうな二人の様子を見て安心する。
 謝るなら今か。そう思って口を開きかけたが、近づいてくる鎧の兵士に気が付いて、固まる。
「貴方はお城の……」
 クリフトに続いてブライとアリーナも彼に気が付いたようだ。
「アリーナ様!こんなところにいらっしゃったんですね!」
 その鎧は見慣れたサントハイムの近衛兵のもの。
 あまりにも険しい表情と焦った声。ただ事ではなさそうだ。
「どうかしたの?」
 アリーナも緊張した顔で問いかける。
「王様が大変なのです…すぐにお戻りください」
「お父様が!?」
 アリーナが狼狽して立ち上がる。
「一体どういうことですか?」
 クリフトの問いに兵士は沈んだ様子で話す。
「今朝のこと、王様のお声が急に失われてしまったのです」
 そして、それはどんな魔法も治療も効果がなかったこと。呪いかもしれないこと。
「すぐに戻りましょう、ブライ、クリフト」
 アリーナがすぐに決断する。心配でたまらないのだろう。
 ブライも頷いた。



(あぁ、姫様がようやく私を見てくれたというのに)


「私は……ご一緒に戻りません」

 想像した通り、アリーナはクリフトを憎そうに睨みつけている。 忠誠心も人間性も疑われているのは、テンぺとフレレノールの件が後を引いていて、分かっていることだ。
「なんで?貴方の主君の一大事よ?」
(私の主君は貴女お一人です)
 言葉を返すような無礼な一言を飲み込むとクリフトは深く頭を下げた。
 城に戻ったら、自らを待っているのは処罰。ただそれだけ。
 どんな処罰だって構わないが、アリーナの目の前で捉えられるのだけは避けたかった。
「ここは様々な国、職種、考え方の人々が集まっています」
 クリフトは顔を上げた。
「ここで私は別行動で手がかりを探したいと思います」
 アリーナの顔から怒りが少し収まったのがわかる。
「……そうね。わかったわ。ここで手がかりを集めてちょうだい」
「承知しました」
 クリフトは咄嗟に随分と説得力のある言い訳が出たことを喜んだ。
 ブライも頷いた。
「それじゃぁ、お前さんはここでしっかり情報を集めるのじゃぞ」
 目じりと眉毛の端を下げた頷き。意味深な表情。
 ブライはクリフトが残留を提案をした本当の理由をわかっているのだろう。
 クリフトは胸が痛くなった。
「じゃぁ、頼んだわよ」
 アリーナが余裕のない表情でそう言残し、ブライの瞬間移動魔法で消え去るのを見守るとクリフトは その場にしばらく立ち尽くした。



(……思ったよりも早い旅の終わりだったな)
 考えないようにしてきたこと。
 城に居場所がないと飛び出してきた自分。
 言われたように巡礼の旅に出てしまった方がよかったのかもしれない。
 こうして、アリーナに軽蔑された上に処罰されることと比べたら。


 それでもクリフトはアリーナのために働けるのならとバザーを駆け回り、 声の出なくなる症状や呪いについて訊いてまわった。
 何の手ごたえもないまま、何件回ったころだろうか。
 目の前の人混みの中に自分と同じ、緑の制服の男を見た気がしたのは。

(…粛清…)

 クリフトの頭に浮かんだのはアリーナとブライのことだった。
 城に戻った二人の口から自分の至らなさ、そして、居場所が。全て話されたのかもしれない。
 警戒したクリフトはベルトに隠してあった小さな投擲用ナイフを探る。人混みの中でもこれなら身を守れる。
 処罰されても構わないと思っていたのに咄嗟になると保身に走る身勝手さ。
 ナイフを取ろうとした右手がズキズキと痛む。
 しかし、人混みの中から自分を見つけ近寄ってきた男にクリフトは愕然とした。
「サーフィス!」
 サントハイム神官、神聖魔法学者の神官サーフィス。40を過ぎた穏やかな人の良い神官だ。 その温厚な性格と慈悲深い性質から城中の多くの人間が彼を信頼して相談相手にすることがあるほどだ。
 人を傷つけるような性格でもなければ、技術も持ってはいなはず。 ナイフに伸ばした手もそのままにクリフトは戸惑った。
「安心してほしい。連れ戻すために来たんじゃない」
 警戒を解かない若い神官にサーフィスは優しく笑いかけて両手を上げた。武器など持っていない。
「久しぶりだね、クリフト」
「お久しぶりです。サーフィス、貴方が研究室(あなぐら)から出てくるというのは…珍しい話ですね」
 サーフィスの研究室はクリフトの勤めていた地下書庫の更に奥だ。
 サーフィスはティゲルトよりも長く神官を勤め上げた上に聖職者らしい慈悲深く信頼を集める気質であるにも関わらず、 学問が生き甲斐だからと次期神官長の職を譲っている。そんな彼は与えられた研究室から滅多に出てくることはない。
 クリフトは最も近い場所に勤めていながら、何日も会わないことなど、ざらにある話だ。そんな彼の研究室はあなぐら、とあだ名されている。
 彼が城の外に出てくることはそうある事ではない。疑問を持ったクリフトの探りの言葉。
 サーフィスは愉快そうに軽く笑った。
「たまには外もいいものだ」
 喧騒を眺めながら、サーフィスは静かに答える。
「陛下の声が失われたことで医学神官の二人も書庫管理官も私も、神官は総動員されている」
「……」
 クリフトが黙って話を聞いているのを確認するとサーフィスは続けた。
「それで、姫様とブライ様に会って旅の途中のことをきいてね。クリフト、君に聞きたいことがあってここまで来たんだ」
 クリフトの余裕のない表情に気が付いたサーフィスは屋根のある屋台を指差した。
「話は飲み物でも飲みながらにしようか」
 どうやら、本当に自分を捕まえに来たのではなさそうだ。
 少し安堵したクリフトはサーフィスに続いてその屋台に向かった。






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