思ったよりも落ち着いて腰を下ろせる屋台だ。テーブルと椅子が備え付けられている。主人は魔法の使い手なのか
氷の呪文でできた氷が暑い砂漠の気温を冷やし続けている。
少し値の張る料理を出すお店なのか、中は思ったよりも客はおらず
程よい賑やかさだった。
しかし。クリフトは落ち着かなかった。この喧騒に似つかない、聖職者然とした堅い雰囲気の神官服の男二人というのもまず目立つというのに。
サーフィスは年の割りに子供のような味覚を持っている。
子供が喜びそうな果物の乗ったカラフルな甘い飲み物を嬉しそうにつついているのを、周囲が奇異な目で見ている気がして仕方ない。
居辛いクリフトは冷たい紅茶の氷をカラカラと回しながら、視線を落とし続けていた。
「…美味しいですか?」
なかなか話に入らないもどかしい沈黙にクリフトはきっかけになればと話しかけた。
「あぁ、外に出てきた甲斐があったというものだ」
「そうですか…」
「近頃は特に思うんだが、いい大人が甘いもの頼んだって本人の自由だと思うんだ」
…本人も周囲の目に気が付いていたのか。
クリフトは苦笑する。
「男だから女だから、といった理由での偏見はよくない」
こんなところで、こんなにも真面目で崇高な話をするとは思わなかった。確かにクリフトも身体能力や考え方の特性の違いは認めても差別は嫌いだが。
「そうですか…」
「そうだとも」
サーフィスがさて、と真剣な顔でクリフトに向き直した。
「フレノールの南の洞窟に入ったそうだね?」
クリフトは顔を強張らせた。あの封印された腕輪を持ち出したことを思い出す。
「…行きました」
「あそこは、ティゲルトやフレイも立ち入ることが禁止されているのはもちろん知らないことだね?」
「…禁止ですって…?フレイはともかくティゲルトまでが?」
初耳だった。もっとも、城内に常駐するクリフトのような役目の者が聞かされていないのも仕方のない話だ。
「…無事に帰って来たこと、それが一番だから咎めることではない。それは安心してほしい」
話がよくわからない。
「どういうことなのですか?」
サーフィスは少し間を空けた。何から話すべきか悩んでいるようだ。
「…あそこに入って、どんな感想を持った?」
クリフトは思い出す。あの邪悪な空気。そして謎の祭壇。
「恐ろしい死の香りを。…何か邪教か何かの根拠地だったのかと思いましたが」
サーフィスは静かに否定した。
「歴代の歴史学の神官の功績によると、フレノール周辺であそこまで大規模な洞窟を作るような邪教組織は存在しなかった。はるか古代からだ。あの周辺は農業を営み、大自然に感謝する自然崇拝があった地だ」
邪教ではないとすると何なのか。クリフトは首をかしげた。
サーフィスは真剣な表情でスプーンを弄ぶ。
「せっかくだ。最初から話そう。私はこの話は前任の神聖魔法学神官にきいた。恐らくこれは神官長と私しか知らないことだ」
クリフトは無言で頷き、その口止めを了解する。
「あの洞窟が見つかったのは約100年前。当時の歴史学神官が発見した。彼は中に入ると驚いた。中に広がる魔物の遺骸と邪悪な空気に」
クリフトも自分が見たものと全く同じだったことを思い出し確認する。
「そして、彼は調べていくうちに古代語で記された何かと魔法の品々を発見した。それを持ち帰って調べてみるとそれらは遥か古代に封印されたものだったらしい」
封印された古代語…。
思い出しただけで背筋が冷たくなるあの呪文のことを思い出した。
「彼も最初は邪教のものかと思ったらしいが、すぐにそうではないと判断した。
先に話したような事実が一つ。そして、その封印が神聖なものであったからだ。そして、一つの仮定を導き出した」
「…仮定…?」
「そう。仮定だ。竜の神と地獄の帝王の話はもう暗記しているだろう?」
聖職者たるもの、何回も聞いている話だ。信者に講釈だってできる。
「その話の中にでてくる話。 -地獄の帝王を地下深くに封じ込めた- とある」
カラン。
二人が押し黙る中、紅茶の氷が溶けて音を鳴らした。
「…まさか、そんなことは…!」
「…仮定の話だ。あそこに地獄の帝王が封じられているとは到底思えない。
まぁ、封印のことを思うと無関係とは言い切れないがね」
「…それじゃあ、あの腕輪はまさか…!」
クリフトは唇を震わせた。自分はとんでもないものを持ち出してしまったのではないか。
「そこにあった遺骸は魔物のものばかりだ。それを持ち出そうとして神の封印の前に手が出せなかったと彼は
仮定したらしい」
ざわざわと血の気がひいていく。
(…私は人助けの命令に従っただけだ。私には何も関係ないはずだ…)
クリフトは唇を噛んだ。
「その後、その仮定を検証するために再び神官は洞窟に潜った。
…そして、その洞窟から戻ることはなかった」
「まさか、あの魔物の骨の中にその神官が…?」
「そうかも知れないな」
サーフィスは変わらず静かに続けた。
「その事件を受けて、当時の神官長はその仮定を検証することもないまま
洞窟への出入りを禁じ、余計な口外がないように命じた」
「検証されないまま…」
当時の歴史学者の神官が観察した結果から出た推測。
それでも、実際に中を見たクリフトが感じたものと遠くない感覚。
仮定と言われながら、それは現実味のある話に聞こえた。
「そう、所詮は推測。だから結局はよくわからない、ということだ。その中のものを持ち出したとしても。
そんなに簡単に持ち出せたのならそんなに危険な物でもないと僕は思うけどね」
サーフィスは呆然としているクリフトに気休めにそう伝えた。
「彼が持ち帰った魔法の道具や古代語が私の前任の神官に回っていた。
それを調べて驚いたそうだ。強力な爆発呪文の効果が秘められた杖や使える者などほとんど残っていない
変身呪文の効果を持ったものもあったらしい」
「……そんなものが…」
現在に残る魔術師ではそんな高等な道具を作れる者は殆ど残されていない。当時の神聖魔法学者の
驚く気持ちを察する。
「それよりも…」
サーフィスのやさしい目つきが鋭くなった。猛禽類のような眼光だ。
「その洞窟の奥に、失われた呪文が残されていたそうだ。ところどころが失われた呪文が」
「!」
クリフトはびくりと肩を震わせた。
「それを復元した前任の研究者は驚いたそうだ。
その悪しき恐ろしい呪文に」
「…どんな呪文だったのですか…?」
「生物の命をその言葉一つで奪い去る呪文だ」
「…命を…奪う…」
クリフトはサーフィスの言葉を復唱した。
「そう。そして、すぐにその呪文は危険性を察知した当時の神官長が城の宝物庫の奥深くに封印した。
…見ていないな?」
サーフィスは鋭く強い目でクリフトから視線を外さない。
「曰くつきの洞窟の中に封じられた呪文。…見ていないね…?」
「……!」
その強い威圧感に言葉を失う。
「…見ていないし、覚えもないし、興味もない…そうだね?」
胸の奥まで響く低音。
クリフトは首を縦に振る意外に選択肢はなかった。
「なら、いいんだ」
サーフィスがようやく視線を外した。
「ほら、クリフト。早く飲まないと氷が溶けて薄くなるぞ」
笑顔に戻ったサーフィスは再び目の前のトロピカルフルーツをつつきだした。
クリフトも強張った顔で紅茶を口に流し込む。口の中はからからに乾いていた。
(……忘れろ、ということか)
わざわざここまでやってきたサーフィスの目的がようやくわかったクリフトは
力なく肩を落とすしかなかった。
「そうだ。姫様とブライ様から聞いたんだが、なかなか苦労しているようだね」
「え、えぇまぁ…」
二人は一体どこまで話したのだろうか。すっかり頭から離れていた事実に気が重くなる。
サーフィスはおもむろに荷物を探ると瓶を取り出して目の前に置いた。
中には黄金色の飴が入っている。
「…これはなんでしょうか?」
「以前に新魔法の研究のために詩人から譲り受けたエルフの飲み薬を煮詰めて固めたものだ」
サーフィスは苦笑した。
「実験は失敗しちゃってね。高価なものだったから飴にしておいたんだ」
サーフィスは立ち上がって身支度をする。机の上に多めに代金を置いた。
「声が枯れ果てた詩人の喉を癒し、誰もが魅了される歌声を生み出したという秘薬だ。
苦労している後輩に手柄を上げよう」
「え…?」
クリフトも身支度をすると慌てて後を追い店を出る。
サーフィスはキメラの翼でヒラヒラと顔を扇ぎながら振り返った。
「…先日、神官長は神官を全員集めて話をされた。…近いうちに災いが起こるだろう、と。
陛下も姫様を武道大会の見学にかこつけて非難させる計画を決断された。
そのすぐ後だ。今回の騒動は」
「…なんですって?!」
サーフィスの驚愕の話。
「姫様を守り、ブライ様を助けるのが君の役目だ」
「私は…処罰されないのですか?」
サーフィスは驚いて笑う。
「それだったら、最初からティゲルトが追いかけて捕まえに行っているだろうよ」
クリフトは秘薬の瓶を強く握りしめた。
「…ありがとうございました…」
「期待しているよ」
キメラの翼の効果が発動し、一筋の光となって空へと消えるのを見送ったのと入れ違いに
光の筋がこちらへ向かってくる。
アリーナ達か。
クリフトはその光の下へと急いだ。
「姫様!」
クリフトは走り寄った。呼吸が乱れる。ブライが無理しおって、とにやりと笑う。
「クリフト、手がかりは見つかった?」
すがるようなアリーナの目にクリフトは微笑んだ。
「恐らく、このエルフの秘薬の飴が効くはずかと…」
陽光に煌く黄金の飴。
アリーナの顔が喜びに染まる。
「あ、ありがとうクリフト!」
手渡したその手の怪我にアリーナは顔をしかめる。
「その手、どうしたの?まさか、怪我をしてまでこの薬を…?」
「え、あ、これは…」
クリフト自身もすっかり忘れていた怪我。まったく大したことはないが、化膿していることを思い出すと痛み出す。
まさか、うっかりガラスを握ったとも言えずクリフトは視線を泳がせて押し黙った。しかし、アリーナは
赤く痛ましいその傷を見て、
「早く治したほうがいいわ」
と、自分の持っている薬草を探り出す。クリフトは自分で治せるからと、止めようとするが、
ブライが首を横に振っているのに気が付いた。
「ありがとうございます」
「……この間は言いすぎちゃってごめんね。クリフトは命がけで尽くしてくれてるんだよね」
なんだか騙しているようで心苦しいが、少しでも誤解が解けるのなら。と黙っていることにした。
もう一度、ブライを見るとにやにやと何度も頷いているのがこそばゆかったが。
「私こそ申し訳ございませんでした。……二度と姫様の意に背くような真似はいたしません」
そう、全て命令に従えば、二度と悲しませることはない。
「すぐに戻ってお父様にこの薬を渡しましょう!」
アリーナの笑顔の提案にクリフトはどきりとする。
「あ、私は…」
ブライが杖でクリフトの後頭部をこんこんと叩く。
「良いから行くぞ。そろそろティゲルトにも一言、言い訳せんといかんじゃろう?」
(やはり全て知っていたか…)
「なんの話?」
意味のわかっていないアリーナにブライが何か言おうとしているのに気が付いたクリフトは、
「何でもありませんから」
と、引きつった笑顔で誤魔化し、またブライに意味深に笑われるしかなかった。
NEXT
BACK