『理由』



「陛下のお声が戻って本当に良かったですね」
「そうね!しかも、エンドールまで行っていいだなんて!」
 アリーナとクリフト、ブライは再び旅路を歩いていた。
 エンドール大陸に移ったものの、サントハイムとそう離れていない景色はあまり代わり映えはしない。 それでも、クリフトは吸っている空気すらもまったく違うもののように感じ、悪い気はしなかった。
「武道大会なんて楽しみね!」
 旅の扉といわれる仕掛けをくぐってエンドール大陸に移ったアリーナは練習台とばかりに魔物の群れを打ちのめして歩みを 進めている。
 嬉しそうなアリーナを他所にブライは落ち着きがなかった。
「クリフト」
 ブライはどんよりとした暗い様子でクリフトを呼び止める。 声を潜める様子にクリフトは身を屈ませ耳を近づけた。
「あのとき、たしかに陛下はエンドールで好きにしてこい、と言っておったかの?」
 何度目だろうか。気持ちはわからないでもないが、流石にクリフトも目の前の老人は痴呆でも始まったかと思うほどに今回のブライはしつこかった。
「確かに好きにしてこい、と仰ってましたね」
「やはり、そうだったか…」
 何度確認しても同じ答え。その度にこうして肩を落とすブライにクリフトは次は何分後か、と呆れるばかりだ。

 それは、三人が城に戻って王の声を取り戻した時のこと。
 王は語った。
“エンドールに赴き、好きにやってこい”
と。
 そして、王が見た夢のこと。
“地獄の帝王が復活する夢”
 サントハイムの王族には予知夢の能力が代々備わっている。 どうやら、その夢の口止めのために魔族にかけられた呪いだったということなのか。

(サーフィスの言葉も気になる)
 そして、ブライに言われた通りに神官長やティゲルトに言い訳をしに戻ったというのに、 当人のティゲルトが神官長からの命令でいなかったこと。…それは、不謹慎にも少し安心してしまった話だが、 差し迫っている状況だというのに神官を纏め上げる副神官長がいないというのはおかしい。
 クリフトは口元に手を当てて思い返す。材料はいくつもあるが、どうそれらを組み合わせても 良い方向へと事態は向かっていないことだけはわかった。

「のう、クリフトやはり聞き間違いでは…」
「聞き間違いではありませんでしたよ」
 この日何度目かのやり取り。
「姫様のことだから、出場すると言って聞かないんじゃろうなぁ」
「…そうでしょうね」
 クリフトもそれはかね同意だった。
 しかし。
 恐らくブライすらもサーフィスから聴いた、王女の避難計画については聞かされていないのだろう。
(サーフィスの言葉が間違いないのならば恐ろしいことになる…)
 クリフトが思うのは、どんな事態になろうと主君アリーナを守ることだけだ。






 エンドールの城。
 それは魔法国家といわれるサントハイムと違い、無骨な防壁と高い二つの見張り塔が特徴的な近代的な建物だ。 無機質な雰囲気を持ちながら計算された直線のデザインが美しい。
 クリフトはその城門を見上げながら、サントハイムの城との違いを比べては感心するしかない。
「国が違うと随分と変わるものですね」
「そうじゃな」
 アリーナは城に入れば礼儀正しく、慎ましくしなければならないのが嫌なのか、明らかに口数が減っている。 背後に広がる大都会の城下町を振り返りながら、
「ちょっとだけ寄り道しようよ」
「いけません」
と、おねだりしては二人のお供に断られ不貞腐れ続けた。

「ブライ様、書状を」
「おぉ、そうであったな」
 クリフトに促され、ブライはサントハイム国王からの書状を懐から取り出した。 それは身分を証明し、友好を確かめ、彼ら三人の身の安全を願い出るものだ。 書状を慣れた様子で門番に見せると、門番は畏まった。
「お待ちしておりました!こちらへ!」
 サントハイムの兵士とは違い軍隊然として彼らにアリーナは驚いて目を輝かせた。
「随分としっかりした兵士さん達ね」
「エンドールという国は魔法や信仰よりも軍事力を重視するお国柄ですからな」
 ブライがそう答えるが、当人のアリーナは見物に全力を傾けている。 そんな様子にクリフトが声を静かに嗜めた。
「いいじゃないの」
「本当にそうお考えでしたら、私には何も申し上げることはございませんが?」
 アリーナはぐっと言葉を呑む。
 最近、クリフトが自分に対して随分と事務的になっている気がする。 神官になってからそういった傾向が強くなったのはアリーナも本人も自覚していたようだが、 旅に出てからというもの、それは尚顕著だ。
(…こんなに冷たい人だったけ…?)
 アリーナは兄のように慕っていたクリフトの変化に寂しいものを感じてしまうのは仕方のないことだった。
「…ねぇ、クリフト?」
「はい、なんでしょうか?」
 やはり、少し違う。
「最近、どうかしたの?」
「最近ですか…?いえ、何も変わりありませんが…?」
 困ったように首をかしげるクリフト。
「ごめんね、なんでもない」
 アリーナは戸惑いを隠しながら、謁見の間への扉の前に立つ。
「姫様、ブライ様。私はここでお待ちしております」
 クリフトの突然の申し出。
 ブライはそうじゃな、と頷く。
「…クリフト、一緒に来て欲しいんだけれど…」
 困ったように微笑む。
「…私は…」
「そうじゃな、お前さんはまだまだ下っ端とはいえ我が国では重要な官職につく家臣じゃ。付いてまいれ」
「畏まりました」
 ブライの言葉にクリフトは遠慮がちに後についた。






「よくぞ、参られた、アリーナ姫。我が国ではあなた方を歓迎する」
 言葉とは裏腹に沈んだ様子の国王と王女。クリフトはまた何かトラブルか、と 内心恐ろしい気になった。ブライの様子は確認してはいないが、恐らくは同じだろう。
 アリーナは質素な身なりであったが、王女らしい王宮での儀礼的な振る舞いで礼の言葉を伝えた。
「ブライ殿も何年ぶりかな?変わりなく何よりだ」
「陛下もお変わりなくご清祥のこと、お慶び申し上げます」
 そして、クリフトを見る。
「…おや、そなたは初めてみる顔だな、名は何と申す?」
「神官クリフトと申します」
 大臣や王女が不思議そうに見ているのがわかる。 それはそうだろう。政治や社交の場に出るような高官でもなければ、腕が立ちそうなわけでもない。
「神官か。そういえば、神官の…ルオンとセイルートだったかな?彼らは達者かな?」
 王だけは懐かしそうに目を細めた。 なぜ、エンドール王がその二人の名を知っているのかはわからないが、神官について良いイメージを持っているという ことだけはすぐに理解できた。
「はっ。日々、己の勤めに励んでおります」
「そうか。それはよかった。その二人には以前に王女が病にかかったときに サントハイムから来てもらったことがあってな。大変世話になった」
 その言葉に王女と大臣も思い出したようにクリフトを見た。
「然様でございましたか、お役に立てましたこと光栄に存じます」
 やっと合点がいった。医学者の神官、薬草学のルオンと神聖魔法のセイルート。 二人が功績を残しておいてくれたお陰で今、自分の面目が立っている。少し株があがったようだ。 クリフトは顔を伏せたまま、二人に随分と感謝した。
 ブライもほっとした表情だ。
(…疲れる…)
 クリフトはこういった社交辞令が好きではない。いや、あまり人と話すのが好きではない。

「…ところで、今こちらでは武道大会が開催されるとお伺いしたのですが」
 アリーナはそんなクリフトの様子に気が付いたのか、見かねて話の内容を変えた。
 すっと大臣と王女の表情が曇る。
「おや、アリーナ姫は観戦を希望かな?おい、三人に席の用意を」
「御意」
 曇った表情を見せた大臣だったが、王の言葉に気持ちを切り替える。 すぐさま手配するべく歩みを踏み出そうとしたのをアリーナが制した。
「私が出場したいのです」
「……姫様が…ですか?」
 目を丸くしたのは大臣だ。王女は言葉も出ないようだ。
 ブライはやはり、と頭を抱えた。もちろんクリフトもだが、自分が出しゃばるわけにはいかない。 望みを託し、横目でブライを見る。
「そうです、私は自分の腕を試すためにここまで来たのです」
「…サントハイム王は…」
「もちろん了解済みですわ」
 アリーナの毅然とした態度にエンドール王はくっくっと笑いをこらえられない。
「流石はサントハイム王とその姫だ。それならば良かろう。大臣、出場者を追加せい」
 ブライは言い出すタイミングを逃したようだ。クリフトは視線を再び落とす。

 王女モニカが玉座を立ちアリーナの手をとった。
「アリーナ姫、お願いがございますの…聴いてくださいますか?」
「もちろんですわ。何でしょう?」
 アリーナの頼もしい返事にモニカはぽつりぽつりと話始める。
「優勝者となっていただきたいのです」
 ブライとクリフトはあまりの願い事に驚いて顔を上げ、顔を見合わせる。
 やはり、また何かトラブルであったようだ。
「実は…私はこの大会の優勝者と結婚をしなければならないのです」
「…なに、それ…?」
 アリーナの顔がこわばる。思わず地が出てしまったのにも誰も気が付かない程に皆が固唾を飲んでいた。
 耳が痛いほどの沈黙。
「そうお触れが出ているのです」
 大臣が言いにくそうに言う。王は渋い顔をしたままだった。
 そう、優勝商品はエンドール王女なのだ。
 先程の暗い顔の理由がわかったアリーナはモニカの手を強く握り返した。
「必ず、私が勝つから。そうしたら、そんな約束無しになるものね」
「アリーナ姫…」
 モニカが今にも泣き出しそうな赤い顔でいるのを見て、王は玉座を降り、頭を下げた。
「どうか、よろしくお願いします」
 一国の王が屈辱的にも玉座を降りて。
 誰も何も言えない状況の中、アリーナだけが、
「必ず」
と、頷いた。






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